レインブルグの薬師2
それからのシェルリは、悲しみに負けてずっと塞ぎこんでしまった。狭い家で暮らし始めの三日間は、リドの送った荷物に寄り添うように座って俯き、顔も見せなかった。ニイナはシェルリの中で整理がつくまで待とうと判断し、とにかく特効薬の作成を最優先とした。ミースはどうしたらシェルリが元気になってくれるのか考える日々となった。
この店と呼ぶのも怪しい狭い家に移った翌日から、ひっきりなしに誰かしかが木窓を叩いていた。ニイナの言っていた常連の客であった。ニイナは特効薬の作成で手が離せないので、ミースが売り子になって客を応対した。この日もミースが知らない常連の客が来ていた。
外で窓を誰かが叩くのが聞こえる。三度のノックを2回続けるのが、常連の合図となっていた。ミースはそれを耳で確認してから、木窓を押し上げて元気よく言った。
「いらっしゃいませ!」
「おや、可愛らしいね、新しい売り子さんかい?」
外にいたのは少し太った髭のおやじで、可愛らしいミースを見て顔をほころばせていた。
「はい、ミースって言います!」
「そうかい。じゃあミースちゃん、腹痛の薬を売ってもらえるかな?」
「えっと、お腹が痛いのお薬ってどれ?」
ミースが奥に向かって言うと、ニイナが調合を続けながら指だけ動かして指示した。
「棚の右下の端の方に、黒い丸薬が入った瓶があるだろう」
「あ、あった! これでいい?」
ミースが薬を持ってくると、ニイナは頷いた。
「そう、それだ」
ミースはその丸薬を客に渡して金を貰うと、粗末な窓の向こうでペコリと頭を下げた。
「お買い上げ、ありがとうございました~」
ミースの売り子ぶりは中々様になっていて、薬を買った親父は感心していた。ミース自身も売り子を楽しんでやっていたし、三日間で薬の事も少しずつ覚えてきていた。
ニイナの作った薬は良く効くので、隠れて営業していても客足が途絶えなかった。
翌日の朝、ニイナが寝る間も惜しんで作り続けた特効薬の数は二〇〇を越えた。
「よし、とりあえずこれくらいでいいだろう」
ニイナは特効薬の入った瓶を数個テーブルの上に置いた。今や、特効薬がテーブル全体に敷き詰められている状態になっていた。
「一っ風呂浴びたら話をする」
ニイナは自分の肩を揉みながらシェルリとミースを交互に見た。ベッドの上に座っていたミースは身を引き締めてニイナの事を真摯に見つめ返したが、シェルリは相変わらずリドの荷物の側に座っていて、顔を上げはしたものの、その目は虚ろ心も伽藍堂だった。
ニイナは風呂に入り溜まっていた疲れを落としてから、元の薬師の服装に戻った。この四日間、幾らも眠っていないニイナだったが、まだ休むつもりはないらしい。
ニイナはテーブルの前のソファーに座ると手招きした。
「集まれ子供たち」
ミースはすぐにベッドから降りてテーブルの前に座るが、シェルリは部屋の隅で俯いたままだ。ニイナはそれを見て言った。
「シェルリ、お前がそんなんじゃ、騎士もじいちゃんも浮かばれないよ」
微笑を浮べながら、優しく諭すような調子だった。シェルリは一向に動く気配がなかった。すると、ミースが立ち上がりテーブルの上の薬を一つ取ると、シェルリの前に行ってそれを見せつけるように前に突き出した。
「お姉ちゃん、お薬沢山できたよ。お薬売らないの?」
シェルリはなおも沈黙、ミースの表情に怒りが現れ、怒りは言葉にもなってシェルリを打った。
「わたしはお薬売るよ! わたし、お母さんとお父さんが病気で死んで、すごく悲しかった! あんな思い、他の人にはさせたくない! だから、わたしはこのお薬を沢山売るの!!」
シェルリはミースに突き動かされた。顔を上げたかと思うと、立ち上がってミースを見つめる。涙に濡れる瞳には、悲しみと悔恨が同居していた。
「お姉ちゃん、お薬、一緒に売ろうよ」
ミースは笑顔になって、両手で包み込んだ薬瓶をに差し出した。シェルリはその手を握り、それからミースに抱きついて、涙を零す。今度は悲愴ではない、勇気と決意が誘引した涙だ。
「貴方は親を亡くしているのに、リドさんはニイナさんの肉親なのに、二人の方がずっとずっと悲しいはずなのに、それなのにわたし……ごめんなさい……」
ミースがシェルリを目覚めさせた。それは覚醒と言っても良い目覚めだ。涙を拭ったシェルリの顔つきが変わっていた。その瞳の奥には、戦いに身を投じる者と同じ覚悟が燃えている。ニイナはそれを見て安心したのか、安堵するように浅い溜息をついた。
「よし、作戦会議だ」
シェルリが目の前に座ると、ニイナは手招きして言った。
「それじゃ話が聞こえない、もっと顔を近づけろ」
「はい」
シェルリが身体を前に出すと、ニイナも顔、と言うよりは唇を近づけてきた。
「ん~」
「ちょっ!?」
ニイナと唇が触れる寸前のところで、シェルリは跳ぶように身を引いて事故を回避した。
「何してるんですか!? もう少しでファーストキス奪われるところでしたよ!?」
「チッ、おしい」
本当に残念そうにしているニイナに、シェルリは頬を膨らませて怒りを露わにする。
「いい加減にして下さい! ふざけてる時じゃないんですよ!」
「そう怒るな、キスなんてただの愛情表現じゃないか」
「じゃあ、ミースがニイナお姉ちゃんとキスする~」
「ミースは良い子だね、じゃあ早速」
「駄目です!! ミースに変な事しないで下さい!!」
「冗談だよ、この場の空気を和ませようと試みたのさ」
「……それ、絶対嘘ですよね」
ニイナは全く信じていないシェルリに言った。
「嘘じゃないよ。それよりもほら、これからの事を話し合わなきゃね」
自分で水を差しておいて平然と言い放つ。それからニイナは反論の隙を与えないように手早く地図を開いて話を始めた。
「レインブルグでは墳血症の広がりが加速しているし、近くのフロスブルグに至っては壊滅状態って話だ。店舗売りだけじゃ埒があかないから、二人には外に出て路地売りをやってもらう」
そこまで言ってから、ニイナは二人の少女を交互に見た。その表情は真剣で、一瞬にして狭い部屋の空気が重くなり、少女たちの間には緊張の糸がピンと張った。
「まず確認なんだけど、この特効薬は王宮から違法のレッテルを張られた薬だ。これを売るという事は、王政に対して戦いを挑む事を意味する。これはただの薬売りじゃない、命を懸けた戦いだ。二人に命がけで薬を売る覚悟があるのか確認したい」
「わたしやります!」
「ミースもやるよ!」
二人とも即答だった。ここまで命がけの逃避を続けてきたシェルリと、墳血症で死の間際に立ったミース、二人とも命を懸ける事の重さを分かった上での即応だった。
「よし、それじゃあ二人とも地図を見て、これはレインブルグの地図だ。矢印が書きこんであるところが騎士団の巡回ルート、奴らは今のところは大通りしか見回っていない。裏路地なら堂々と薬が売れるよ。特効薬の噂が広まれば、監視の目も厳しくなるだろうけど、ぎりぎりまでは薬を売り続けるんだ」
ニイナは説明を終わると、地図を畳んで羅列する薬瓶の上にそれを置いて言った。
「特効薬を違法とか言っているのは、どうせろくな奴らじゃない。薬を売りまくって、そいつらの鼻を明かしてやろうじゃないか! いくぞ!」
『おーう!』
3人で拳を天に向かって突きあげて気合いを入れた。それは戦いの始まりの合図でもあった。
ニイナは二人に大きな布製の鞄を渡した。それには白い翼と試験管が交差するマークが入っていた。
「これがニイナ薬店のトレードマークさ。これを見ただけでも客は来ると思うけど、最初は声を出した方がいいだろう。裏路地なら大声出しても騎士団には聞こえないさ」
大きな布製の鞄にありったけの薬を詰めて、地図を片手にシェルリとミースは街に出た。
二人とも街に来るなり隠れ家と言ってもいい狭い薬屋に移動し、それから一歩も外に出ていなかったので、街全体が異様な状態である事を初めて知った。表通りの方もあまり賑わっていないようで、声もなければ歩いている人も少なかった。それが墳血症の広まりによるものだとシェルリにはすぐに理解した。ふたりで裏路地を歩いている時も、ある家で家族が墳血症にかかって絶望している人々がいた。シェルリは早速その家の扉を叩いた。出てきたのは女で、奥では夫らしい男がいて子供の看病をしていた。
「……どなたですか?」
女は疲れ果てていた。目の下の隈が濃く、魂を吐き出すような弱々しい声で、精も魂も尽き果てているという様相だった。墳血症のミースの看病をしたシェルリは、出鱈目な程の大変さを良く知っている。だからその家の誰かが墳血症である事を確信できた。
「あの、わたしたち墳血症の特効薬を売って歩いています」
「墳血症の特効薬ですって!!? そんなものが本当にあるの!!?」
女は目を見開き、疲れの濃い顔に驚きを乗せて言った。シェルリの言っている事がとても信じられないという様子だ。
「これが特効薬です」
シェルリが青い薬の入った小瓶を見せると、女は急に訝しげに眉をひそめる。
「本当に効くのかい?」
「この薬を使えば、墳血症は必ず完治します。ただ、この薬は薬王局で認められていない違法な薬なんです。売った方も、買った方も処罰の対象になります。もしこの薬を買った事が騎士団にでも知れたら、どうなるかは分かりませんけど……」
「冗談じゃないよ、効くかどうかも分からないのに、そんな危険なもの買える訳ないじゃないか」
「ちょっとまて、お前たちはニイナ薬店の売り子じゃないのか?」
言ったのは奥の方で子供を看ていた男だった。彼は立ち上がってシェルリ達に近づいた。
「やはりそうだ、その鞄のマークはニイナ薬店のものだ。ニイナの薬なら信用できる。悪魔の病が本当に治るのなら違法でもかまわん、薬を売ってくれ!」
「あんた!?」
「このままではトニーは死ぬ。トニーを助けられるのなら、騎士団に捕まったってかまわんさ」
薬は違法に重ねて高額であったが、男は家じゅうの金をかき集めて薬を買った。早くも一つ目の特効薬が売れたのだ。
その後は、シェルリとミースは路地裏で別れ、それぞれ薬を売りにかかった。
「墳血症の特効薬はいりませんか! 悪魔の病をたちどころに治すことが出来る薬です! いかがですか!」
呼んだところで裏路地には人が余りいないので、大声をだしてもあまり意味がなかった。そこでシェルリは、近くの家々を一軒ずつ回る事にした。
最初に扉を叩いた家には墳血症の患者はいなかった。
「おや、可愛い娘さんだね。その鞄のマークはニイナの薬屋のマークだね。新しい売り子さんかい?」
「はい、墳血症の特効薬を売って歩いています」
「墳血症の特効薬だって!? それ本当に治るのかい?」
「必ず治ります」
「そうか、ニイナの作った薬なら間違いはないだろうな。なら隣の家にいくといい。お子さんが墳血症で酷い事になっているんだ」
次の家では特効薬が売れた。またそこで墳血症の患者がいる家を聞き、そこに特効薬を売りに行く。シェルリはそれを何度も繰り返して鞄の特効薬を減らしていった。そうしているうちに、鞄のマークを見て寄ってくる人も何人か出てきた。ニイナはこの街では名の知れた薬師で、ニイナ薬店のマークを見ただけで、お客は一つも疑わずに特効薬を買っていくのだった。もちろん、誰もが違法な薬で買った側にも危険が生じる事を覚悟の上で買っていった。
二〇〇個以上あった薬はたったの二日で全て売れた。ニイナ薬店の知名度がシェルリたちを大きく手助けしてくれたのだった。おまけに裏路地に騎士団が来る様子はなく、悠々と薬売りに専念する事も出来た。
隠れ家兼店舗では、特効薬は絶対に売らなかった。店舗売りをしてしまうと、人が集まってきて隠れ家が騎士団にばれてしまうからだ。ニイナは周到な思考で安全を確保し、特効薬を効率的に販売する手を考えていた。
最初の二〇〇個の特効薬を売り切った後、ニイナはシェルリたちに言った。
「よくやった、あんたたち。これから三日は休暇にするから、ゆっくり休みな」
それを聞いたシェルリは、ニイナの呑気さを目の当たりにして采配を誤る軍師に従うような不安を抱いた。
「その日に作った薬を直ぐに売った方がいいと思います。こうしている間にも、墳血症で死んでいく人がいるかもしれないんですよ」
「シェルリの気持ちは分かるが、わたしの言う通りにするんだ。今は待つべき時なのさ。これから騎士団も動いてくると思うから、慎重に行かなきゃならない」
シェルリは腑に落ちないところはあったが、ニイナの言う通りに三日間は待った。その間に、新たな特効薬が出来上がり、それらを鞄に詰めてシェルリとミースは街へ出る準備をする。その段になってニイナは言った。
「情報屋の話だと、まだ騎士団は裏路地には来ていないようだが、これからは騎士団が見回りに来るという前提で薬を売る。もう声を出す必要も、家の扉を叩く必要もない。出来るだけ目立たず、かつ逃げ道の確保できる場所で立っていればいいよ」
「それで薬が売れるんですか?」
シェルリが心配になって言うと、ニイナは人差し指を立てて得意になった。
「シェルリ、墳血症の患者が特効薬を三日間飲み続けたらどうなる?」
「えっと、病状はかなり良くなると思います」
「だろう、今頃は特効薬が墳血症に効く事が街中に知れ渡っているさ。どこにいても、客の方が血眼になって売り子を探し出してくれるよ。あんた達がやるべき事は、出来るだけ目立たないようにして薬を売る事、それだけさ」
それを聞いて、シェルリはニイナの考えの深さに驚くと同時に心強くなった。ニイナの駒の進め方にはまったく隙がなかった。




