8、白日に曝されたんです
残り二日。先刻確認したところ現在七百六十五。大量に積み上げた嘘。そんな成積。
だが、これから四十八時間誰とも話さなければ、嘘を吐くこともない。会ったとしても、三十回以上も嘘を重ねるなんてことは逆に困難だろう。俺はあの楓ちゃんが消滅した日以来あまり外に出ていない。一度の買い物で、必要なものは揃えてしまったし、来訪者も一人もなかった。時田まことちゃんも放置してくれていた。放置プレイというやつか。いいや違うか、まぁいいや。
と、その時――
(ピーンポーン)
「誰だよ…っ」
もう、これ以上一つの嘘も吐けないと思って、俺は素早くドアを開ける。
ガチャッ――――バタン。一度開いてすぐに閉じた。
(ピンポンピンポーン)
混乱した。ドアの向こうに知り合いがいた。いるはずないんだ。来るはずがない。ここは俺だけの部屋で、誰にも知られていないはずなんだ。いくら友人とはいえ来るはずがないんだ!
なのに……何で……何で?
(ヴ)(ヴ)
居留守を咎める振動二つ、居留守が確定する度に嘘が加算されてしまうならば、やはり開けるしかないのだ。平静を……装う。
ガチャ。
「あ、キョウ? 本当にこんなところに住んで……」
「何故ここに?」
「え? あ、ほら、これ。借りた漫画返そうと思って、お前の家に行ったら、ここに住んでるって言われて……」
「あぁ、そっか。わざわざありがとな」
「ところで、お前、学校行ってないって本当か?」
「え?」
「しっかりしないとダメだぞ。で、俺は、漫画返しに来ただけで忙しいから、また今度な。メールか何かするよ」
「ああ……」
言いたいことだけ言って、友人は去っていった。
バタン。扉が、閉じられた。
「まことちゃん……何かしたのか?」
《何かしたと思うですか?》
「思う」
《残念ながら、何もしてないです》
「嘘だろ? 俺が学生してないことばらしたろ?」
《いいえ、そんなの知らないです》
「俺は学生なんだよ!」(ヴ)
何故震える!
「なんでだよ! 学費約百万のところ十数万払って休学してるだけで、学生を証明するもの持ってるだろ! ホラ! これだよ! 学生証」
言って、財布からカードを取り出し、まことちゃんに突き出す。不毛な行為だった。突き出した学生証の裏側に、『休学中』と赤く囲った印がはっきりと見えてしまって、俺は思わず顔をしかめた。
《キョウスケさんが自分の気持ちに嘘を吐いても嘘になりますよ?》
「はぁ?」
《まぁ、あと少しです。嘘なんか吐かなければいいのです。そうすれば生き残れます。嘘を吐かないなんて当り前のことにすら命を懸けられないのなら、あなたはやっぱり死ぬべきなのではないでしょうか》
「……あはっ! バレちまった。皆に。ふへへ……あはは! あははあははあははは! うおおああ! 嘘でした! 全部嘘でした! とんでもない嘘つきでしたあああ!」(ヴ)
《…………》
「まことちゃん! 嘘今いくつ?」
《七百七十――》
「今嘘いくつ? 今嘘いくつ? 今嘘いくつ?」
《今ので七百七十三です、数を聞いたので七百七十四になりました。本来なら七百七十六ですが、二回分サービスです》
「もうどうでもいいやー」
《死にたいとでも言うですか?》
「死にたいよ」(ヴ)「……今ので七百七十五だっけ?」
《そうですね。で、今あたしに訊いたので七百七十六です》
「ちくしょう……」
(ピンポーン)
「誰だよ!」
「隣人ですけど……何かありましたか?」
「嘘が暴かれたんです! 白日に曝されたんです! こんな素敵なことはないです!」
「は?」
「あぁいいえ? 劇の練習ですね? そうです劇の練習です!」(ヴ)
「ちょっと友人みんなにメールでも送ります。もう逃げません、はい、逃げません」
『全部嘘でしたー学校も卒論も嘘でしたー』
そうしーん。大量のへんしーん。
『知ってたよ』『知ってた』『そうらしいな』『まぁ人生色々あるよね』『知ってたよ』
『知ってました』『噂通りなんだ』『知ってたよ』『嘘だぁ』
「そうだね。そんな気はしてた。そんな気はしてた! わかってたよ。知ってたってわかってた。そうだろうなとは思ったさ!」(ヴ)(ヴ)(ヴ)(ヴ)(ヴ)(ヴ)
「はははははははははははは! あといくつだっけ? あと嘘何回で死ぬんだっけ?」
「二井戸さん? 二井戸さん? 大丈夫ですか?」
ドンドンドン。
「うるっせえな! 大丈夫だよ! 死なねえよ! そこのドブ川に飛び込んだりしねぇよ!」
ガチャリバタン!
「うわ! 二井戸……さん?」と隣人。
「嘘なんだよォォ!」と俺の叫び。
靴も履かずに部屋着のまま、髪も髭も、ひどい有様。駆けていた。誰も居ない世界に行きたかった。いつの間にか右手に携帯をバトンのように持っていた。川沿いのアスファルトを走った。寒いし熱いし何かもうよくわからん。とりあえず俺が最低のゴミ人間だということは確定していて、それだけは嘘じゃねえな。
ゴーミはきえろ! ゴーミはきえろ!
脳内シュプレヒコールで俺が排斥されて、新しいゴミの俺が生み出されようとしていたりいなかったり。このまま下流まで行けば海が見えるかな。あ、違った。これ上流に向かってるわ。今さらターンして海に向かうのも頭のおかしな行動だし、どうしたって頭のおかしな行動だし、あぁ、どうでもいいな。
裸足で走って親友を助け出すとか、そんな小説昔五回くらい読んだな。俺は親友から逃げるために……いやぁ、親友というか……友人から逃げるために裸足で走っているわけだ。汗が出てきた。久しぶりに走ったから、足が痛い。ゴミのように痛い。ゴミのように痛いって一体何だそれ? 意味がわからない。
ゴミ! カス! クズ!
無い、無い。何も無いカラッポ。意味の無い嘘ばっかり。俺という人間の発する言葉には何の真実味も信憑性もなくて、排泄物以下。排泄されたものは自然の中で循環したり、新たなエネルギーとなったりするってのに、俺はそれよりも遥かに価値の無い……何と形容していいものか迷うくらいに不要物。
思えばね、思えばそうだね、嘘ばかり吐いてきたね。あぁもう嘘ばっかりだ。過去を思い出すたびに頭を抱えてその辺のスポンジに打ち付けたくなるくらい腐った過去だ!
仮病や遅刻、約束破りに始まり、約束を土壇場でキャンセル、そして親と母校をいともあっさりと裏切って推薦で入学した学校に行かなくなる。都合のいいくらいに激甘な親に寄生し、ゴミよりも害をもたらす。自分以外にストレスを与え、迷惑を撒き散らして生きている。生きていない方が良い。死んだ方が良いんだ。こんな千切りにされた消しゴムよりも使えない奴。止まった時計よりも使えない奴。ぬいぐるみや人形より人間味の無い奴。誰かを愛し愛されようなんて図々しいにも程があるんだこのクズ!
それでも人を愛したい? できるわけねぇだろ!
ゴーミはかえれ! ゴーミはかえれ!
足から何かすごい痛い感じがして、見ると、血がなんかすごかった。
「うわぁ。なんか緑色の液体が出てる」(ヴ)
緑色? 葉緑体を持つ植物に失礼だ。俺は温暖化の要因の一つと言われている二酸化炭素を生み出しはするが、それを吸って酸素を生み出すなんてハイグレードな機能は無えぞ!
とりあえず足が痛いので走るのをやめた。もしも俺が戻るのを待っている何とかヌンティウス的な誰かがいたとしたら、そいつは失望するね。ていうか死ぬね。俺の身代わりに処刑されて、俺は逃げるね。誰も知らない場所に行って、適当に生きて死ぬね。
目の前に自転車があった。施錠されてない。跨った。ペダルを踏んだ。動いた。車輪が回った。走った。漕いだ。進んだ。盗んだ。
「鍵をかけていない奴が悪いんだ。俺は何一つ悪くなんかないね」(ヴ)(ヴ)
漕いでいく。視界が流れていく。汗をかく。目的地はどうしようか。あてもなく走ろうか。すべて、すべて、どうでもいい。何もかも。
…………家を出てからどれくらい経っただろう?
もう太陽が沈みかかっている。目的地に着いた。自転車は、壊れたので途中で捨てた。ここは、いつもの六畳一間。布団の上に辿り着き、俺は死んだように眠った。結局、自分のねぐらに帰ってきたという情けない話だった。




