第46話 夜を避けた
最初は、ひとつの遠い未来だけだった。
ある出来事を、考えるより先に理解してしまう。遠い未来の結果だけが、思考の外側から流れ込んでくる。理由も過程も追っていないのに、「ああ、そうなる」と分かってしまう。
けれど、それは一度きりでは終わらなかった。
同じ感覚が、繰り返し訪れる。
しかも、少しずつ形を変えて。
明日でも、数時間後でも、もっと近いところでも。人の選択が分かれた先。取らなかった道に立っている姿。ほんの違いで、別の結末に辿り着く可能性。それらが、断片のまま、重なって見える。
映像じゃない。音でもない。
ただ、知っている。考える前に、すでに分かっている。
選ぶ前から、選ばれなかった未来まで含めて。
驚きはなかった。恐怖も、ほとんどなかった。
ただ、思考が止まらない。
何かを見るたびに、その先がついてくる。
世界が、常に一歩先で終わっているような感覚。
終わりだけではない。途中も、分岐も、回避した結果も。どれを選んでも、どれを選ばなくても、「そうなる可能性」を、すべて同時に抱えさせられる。
未来が見えるというのは、便利なことなんかじゃなかった。これは、休まらない。終わらない。
ロイドは、ようやく理解し始めていた。
――これは「慣れる」類のものではない。
増え続けるものだ、と。
はじめからロイドは何もしなかったわけではない。
いくつかの未来を「避けよう」としてみた。
それは、大げさなことではない。
言葉を選ぶ。一拍、返事を遅らせる。
本来なら踏み込む場面で、半歩引く。
ほんの些細な選択だ。
それだけで、結果が変わる未来も、確かにあった。怒鳴られない。衝突しない。その場が、少しだけ穏やかに終わる。
――でも、時間がずれるだけだった。形が変わるだけだった。避けたはずの出来事は、別の経路を辿って、結局起きる。同じ人が、同じように傷つく。別の人が代わりに失うこともある。
誰かがいなくなる。何かが、取り返しのつかない形で失われる。それを避けるために人と関わるほど、見える未来は増えていった。
言葉を交わすたび。視線が合うたび。選択肢が、枝分かれして押し寄せる。世界が、騒がしくなる。
頭の中で、未来が重なり続ける。考えなくてもいいはずの「その先」が、勝手に流れ込んでくる。
疲労は、体ではなく、思考に溜まった。
ロイドは理解する。
これは、努力の量でどうにかなる話じゃない。善意や工夫で、消せるものでもない。避けても、変えても、どこかで必ず――誰かが、何かを失う。
その事実だけが、何度試しても変わらなかった。
部屋に籠もるようになったのは、自然な流れだった。誰かに止められたわけでも、閉じ込められたわけでもない。気づけば、扉を閉める時間が長くなり、外の音が減っていった。
世界を遮断すると、未来は少しだけ静かになる。完全に消えるわけではない。ただ、押し寄せてくる頻度が下がる。
それだけで、息がしやすくなった。
ロイドは考える。能力を失う必要はない。
否定するつもりも、壊す気もなかった。
――見る回数を、減らせばいい。
答えは単純だった。
机の上に並ぶのは、魔法具でも儀式用の器具でもない。
紙と、インクと、簡単な計算式。魔力の流れを「遮る」のではなく、「散らす」ための構造。
未来を見る回路に、直接触れない。代わりに、感情の揺れを鈍らせる。強い感情があるから、未来は鮮明になる。誰かを守りたい、何かを変えたいと願うから、可能性が視えてしまう。
ならば、その振れ幅を小さくすればいい。
実験は、失敗も成功もなかった。派手な反動も、目に見える変化もない。ただ、次の日の朝。目を覚ましたとき、頭の中が静かだった。それだけで、十分だった。
ロイドは、その小さな金具を指先で転がす。
後に、耳元に残ることになる――
感情を抑え、視界を曇らせるための“目印”。
世界を救いたいわけじゃない。
未来を変えたいわけでもない。
ただ、これ以上――知らなくていいことまで知り続けるのを、やめたかった。
だから、閉じる。距離を取る。見る頻度を下げる。
それは逃げではなく、判断だった。未来を知る力を持ったまま、未来に踏み込みすぎないための、選択。
ロイドは、その静けさの中で、ようやく思考を休める。
痛みも、喜びも、未来と一緒に、薄い膜の向こう側へと追いやって。




