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第41話 帰ってきた、恋は情報戦!!リターンズ





 夏の学園は門を閉ざし、授業も行われない。それでも世界が止まるわけではなく、学園では誰かが研究に没頭し、城下では相変わらず人の行き来がある。そして貴族の屋敷では変わらぬ日常が続いている。


 ただ――その夏は、どこか奇妙だった。


 小さな魔力の乱れが観測された、という話はあった。

 城下の一角で結界が揺らいだとか、魔法具が一瞬だけ誤作動を起こしたとか。けれど、どれも大事にはならず、原因を調べる前に自然と収まっている。


 貴族同士の諍いも、いくつか芽はあったらしい。大きな争いに拡大しそうだった問題も、噂話の段階でふっと立ち消え、正式な問題として扱われることはなかった。


 侯爵家にも、本来なら面倒な調整を要する報告が届くはずだった。けれど、それも結局――「解決済み」という素っ気ない一文だけで終わった。


 誰かが手を打った形跡はない。英雄の名が上がることもなく、感謝の言葉が飛ぶこともない。障害となるものが、音もなく取り除かれているような静けさ。


 夏は何事もなく過ぎていった。


 何も起きなかった。それだけのことだ。けれど、あの静けさが本当に“偶然”だったのかを、確かめる術は、誰にもなかった。



 夏休みが終わり、学園にはまた、規則正しい音が戻ってきていた。朝の鐘。廊下を行き交う足音。久しぶりに袖を通す制服の感触。どれも懐かしくて、少しだけ照れくさい。


「やっぱり、この時間に起きるのつらいよねえ」


 背伸びをしながら、同級生が笑う。

 その声に、アイリスは小さく頷いた。


「分かる。夏休みの間に、身体が完全にだらけたもの」


 教室に入ると、すでに何人かが席についていた。

 窓から差し込む光は、まだ夏の名残を帯びているけれど、空気は確実に変わっている。暑さの中に、ほんのわずかな秋の気配が混じっていた。


 ルイは、いつも通り、少し後ろを歩いている。


 歩幅も、速度も、無意識のうちにこちらと同調していた。

姿勢は正しく、表情も落ち着いている。顔色も悪くないし、歩調も安定している。


 必要以上に口を挟まない。けれど、アイリスが少しでも立ち止まれば、彼もまた同時に足を止める。守られている、というより、「置いていかれない」ように、常に影を踏まれているような距離感。


 以前なら、その過剰な同期に息苦しさを覚えたかもしれない。けれど今は――その重さが、妙に心地よかった。


 教室では、休み時間の話題が一斉に弾けていた。


「帰省した?」

「南に行ったよ、暑かった!」

「結局、課題ギリギリだった……」


 そんな声に混じって、別の話題がちらほらと顔を出す。


「そういえばさ」

「もうすぐ学園祭だよね」


 その言葉に、空気が少しだけ浮き立った。


「今は課題優先だよ、楽な企画にしよう」

「研究展示がいいんじゃない?」

「1年生が喫茶店やるみたいよ」


 アイリスは、机に肘をつきながら、そのやり取りを聞いていた。


(そっか……もうそんな時期なんだ)


 学園祭。一年目のそれを思い出すと、どうしても別の感想が浮かぶ。――情報戦だった。


 どこが主導権を握るか、誰が裏で動いているか。

 準備というより、駆け引きの連続だった気がする。


(今年は、ずいぶん平和そうね)


 誰も資金の話をしていない。根回しだとか、裏の調整だとか、そういう気配もない。それが少し拍子抜けで、同時に、ほっともする。


「アイリスは、展示何やるか決まった?」


 話を振られて、顔を上げる。


「うん。たぶん、魔法理論のまとめかな。地味だけど」

「えー、アイリスならもっと派手なのでも良さそうなのに」

「派手なのは、去年で十分よ」


 笑いながら返すと、周囲もつられて笑った。

 そんな何気ない会話の中で、ふと、視線を感じる。


 前の席――ギルバートが、静かにこちらを見ていた。

 目が合うと、すぐに逸らされる。


 特別な表情ではない。けれど、以前よりもどこか落ち着いた、冷ややかで静かな雰囲気をまとっている。その瞳には、かつてのような迷いや熱は見当たらない。


 教室のざわめきは続く。学園は、何事もなかったかのように動き出している。


 今はまだ、誰も知らない。この穏やかな日常の延長に、「選ぶ」時間が待っていることを。その予感だけが、ほんのりと、空気の底に混じっていた。



 学園祭の準備期間に入ると、学園の空気は少しずつ浮つき始めた。


 展示物や当番の話もあるが、廊下で耳に入ってくるのは、それとは別の話題が多い。声を潜めるほどでもないが、妙に歯切れの悪い会話。


「ねえ、今年ってさ」

「うん?」

「後夜祭、あるんでしょ」


 その一言で、周囲の反応が変わる。去年の学園祭では、そこまで神経を使う必要はなかった。誰と回るか、告白するかしないか。せいぜい、その程度の駆け引きだった。


「去年はさ、誰が誰を好きか、って話だったよね」

「今年は違うよ」

「違う?」

「誰が誰と“並ぶか”、でしょ」


 笑い混じりの声だったが、どこか本気だ。


 今年は学園祭実行委員と魔法研究会の合同企画で、後夜祭が開催されるらしい。後夜祭の内容は三日目の夜に行われる、小さなダンスパーティー。


 卒業式の夜に開かれる舞踏会の、予行のような位置づけだと説明されていた。参加は自由。でも、自由だからこそ、選択が目立つ。


「ペア選び、重要じゃない?」

「適当じゃダメなやつだよね」

「ね。去年より、情報戦じゃない?」


 誰と話しているか。誰の隣に立っているか。

 何気ない距離感が、そのまま意味を持つ。それはもう、「恋」という甘い言葉では包みきれない、もっと政治的で、未来に関わる選択。


「……そんなに?」


 思わず口に出た言葉に、周囲の友人が顔を見合わせた。そして、くすくすと笑う。


「まあ、アイリスには関係ない話だもんね」

「え?」


 思わず、アイリスは首を傾げる。


「関係ないって、どういうこと?」

「だって、決まってるじゃない」


 友人の一人が、当たり前のように言った。


「ギルバート殿下でしょ?」


 心臓が、跳ねた気がした。


「……え」

「とぼけなくていいって。みんな分かってるし」


 悪意はなかった。むしろ、祝福と少しの羨望が含まれている。


「最近の殿下、すごいしっかりしてるじゃない?王族らしくて素敵だって、他クラスの子も言ってたよ」

「そうそう。あれって、将来を見据えてるからでしょ?」

「アイリス様をお迎えする準備、って噂だよ」


 盛り上がる友人たちの声が、遠く聞こえる。


 ――違う。

 アイリスは、曖昧に微笑むことしかできなかった。


 彼女たちが見ているのは「王族らしくなった立派な王子様」と「その隣にふさわしい侯爵令嬢」。でも、アイリスが知っているのは「線を引いて遠ざかった彼」と「線の外に置かれた自分」。


 認識が、あまりにもずれている。

 けれど、否定できる空気ではなかった。


「いいなあ、特等席」

「ダンスの練習しなくちゃね」


 無邪気な質問が、重石のようにのしかかる。誰と並ぶか。誰の隣に立つか。周囲にとって、その答えはもう出ているのだ。そこにあるのは「いつ発表されるか」という興味だけで、「選ばれない可能性」なんて、誰も想像していない。


(……みんな、そう思ってるんだ)


 胸の奥に、冷たい鉛が沈んでいく。


 ギルバートの隣。それは誰もが憧れる場所で、当然アイリスが立つべき場所だと、世界中が信じている。


 当の二人だけが、心をすれ違わせていることも知らずに。


 その期待を、今はまだ否定できないまま――学園祭の準備は、既定路線の上を進むように始まっていった。



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