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第25話 悩みなさいと言われなくても、季節は勝手に進みます




「悩みなさい、青少年」


 ――そう神様に言われなくても、学園生活というものは存外に忙しい。


 学期末試験の重圧に、山積みの提出課題。行事が終わった後の気の抜けたまとめの授業。教室の空気はどこか慌ただしく、落ち着かない。


(恋だなんだって、考えてる暇なんてないわよ)


 アイリスはノートを閉じながら、小さく息を吐いた。


 立ち止まって考え続けるより、まずは動いてしまう。先に進んで、あとから考える。それで後悔するなら、それも自分で引き受ける。そうやって「今」を必死に生きているうちに、季節は容赦なく進んでいく。


 ――冬だ。

 悩みが追いつく前に、時間だけが先を駆けていく。恋に恋する暇もなく、冬休みはもうすぐそこまで来ていた。


「冬休み、どうする?」


 放課後の教室で、友人たちの声が弾んでいた。窓の外はすっかり冬の色で、空気は凛と澄んでいる。


「実家に帰る?」

「雪が降ったら綺麗よね」

「私は暖炉の前でだらだらしたい……」


 アイリスはくすっと笑いながら、机に肘をついて話を聞いていた。ようやく試験から解放され、誰もが浮き足立っている。


「アイリスは?」

「私は……特に決めてないかな。

帰省して、ゆっくり過ごす予定」


 答えながら、視線が自然と前方へ流れた。少し離れた席に、ギルバートがいる。背筋を伸ばし、机に向かい、黙々と書類を確認する姿。一つひとつに目を通し、迷いなく朱を入れていくその所作は、相変わらず几帳面だった。


 けれど、以前のような氷の壁はもうない。周囲の生徒たちも、自然に彼を「クラスの一員」として受け入れ始めていた。


「……ギルバート殿下は?」


 アイリスが声をかけると、彼は顔を上げた。


「王城に確認する書類が溜まっている。冬休みも、完全には休めないだろうな」


「相変わらず真面目ですね。殿下らしいわ」


 ギルバートはわずかに眉を寄せ、「……悪いか」と鼻を鳴らしたが、その表情はどこか柔らかい。


「書類が終われば、少しは時間もできるかもな」


 ポツリと付け足された言葉に、友人が「殿下、話しやすくなったよね」と囁く。少し前までなら、こんな噂話すら遠巻きだったはずだ。それが今は、笑い混じりに語られている。猫耳事件以来、彼との距離は確実に縮まっていた。


 校舎を出ると、冷たい風が頬を打った。空気は、もう完全に冬のものだ。息を吸い込むだけで、胸の奥がきゅっと縮む。


「うぅ……寒い」


思わず肩をすくめた瞬間、ふわりと温かな影が差した。


「はい。風邪を引きますよ」


 差し出されたのは、ルイが持っていたコート。受け取ると、布地にはまだ彼の体温が残っていて、冷え切っていた指先がじんわりと解けていく。


「ルイは大丈夫なの?」

「僕は平気です。成長期ですから」


 ルイは少しだけ困ったように目を伏せた。冬に入ってからの彼は、妙に落ち着いている。


「家に帰ったら、温かいミルクココアを用意しますね」

「それ、絶対おいしいやつ」

 

 アイリスが笑うと、ルイはほんの少しだけ――本当に、わずかに表情を緩めた。


 アイリスは冬が苦手だった。土属性の魔力は、太陽と植物の力に強く結びついている。草木が芽吹き、土が温まる季節は力が巡るけれど――冬は地面は眠り、光は弱くなる。魔力の流れが鈍くなる分、身体も冷えやすい。朝、指先が強張る感覚が、そのままそれを教えてくれる。


「甘さは控えめにします」

「えー」

「後でミルクを足せばいいでしょう」


 そんな何気ない、日常の延長線上にある約束。


(……暖かくて、優しい。やっぱり、私はこの優しさが――)


 そこまで考えて、アイリスは思考を止めた。好きかどうかは、まだ断定できない。けれど、少なくとも、この隣が心地よいことだけは、はっきりしていた。


 

 校門を抜ける頃、ふと、別の記憶が胸をかすめた。


 ――夏休み。人気のない校舎。

 昼間なのに、ひんやりとした空気が残る回廊。


 白い光が床に落ちていて、足音だけがやけに響いていた。あの日も、こんなふうに人の気配が薄かった。


 そこで、偶然出会った藤色の髪。


(ロイドは……)


 思い浮かべるだけで、胸の奥が、ほんの少しざわつく。


 あの人は、暑い季節も寒い季節も、どこか同じ距離で立っている。近づけば会話は軽いのに、踏み込もうとすると、すっと霧のように離れる。


 この冬も、彼は一人で研究棟に籠もり、淡々と古本をめくっているのだろうか。誰にも急かされず、誰にも縛られず。


(……寂しく、ないのかな)


 心配でも同情でもなく、ただ、ふと気になった。


 ロイド本人に聞いたところで、きっとはぐらかされる。

「さあ?」とか、「どうだろうね」とか。そんな曖昧な笑顔が、簡単に想像できた。


 冷たい空気を吸い込むと、肺の奥がきゅっと縮む。太陽の力が弱くなり、草木が眠るこの季節は、どうしても体が重くなる。


 それでも、こうして季節が移ろうのを感じる瞬間は、決して嫌いではない。立ち止まる間もなく、時間は進んでいく。悩む暇もないほど日々は忙しく、けれどその忙しさが、今は心地よい。


 気づけば、次の季節がすぐそこまで来ていた。

 冬休みは、もうすぐだ。


 何かが新しく始まりそうな予感を抱きながら、アイリスは、白く弾ける息を弾ませて歩き出した。

 


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