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第24話 悩みなさい、青少年は





 十七歳の誕生日は、確かに“ちょっと特別”だった。


 朝はルイの献身に触れ、昼は友人たちに囲まれ、夕暮れにはギルバートの不器用な誠実に息を呑み、夜にはロイドが描いた紫の余韻に包まれた。


 寮の部屋に戻り、灯りを落としてベッドに沈み込むと、昼間の賑やかさが嘘のような静寂が追いかけてきた。

 アイリスは枕に頬をうずめ、深く息を吐き出す。


(……静かになると、急に現実が来るのよね)


 胸元のブローチは、まだ箱の中にある。もったいなくて、すぐには着けられなかった。指先で触れるだけで、あの夜空に咲いた紫の花火の熱が戻ってきてしまいそうで。それが怖いのか、嬉しいのか。自分でもまだ正体が掴めない。


 机の上には、ギルバートから贈られた青いアイリスの花束がある。


(信念、か……。あの人らしいメッセージね)


 そしてルイ。夏からずっと、彼との距離感だけが勝手に揺れている。近寄ってきたり、離れたり、曖昧だ。


(恋って、そんなにみんな簡単にしてるものなの?)


 学園祭の“情報戦”だの、告白だの、ペアだの。友人たちは楽しそうだった。悩みながらも、迷いながらも、ちゃんと前を向いているように見えた。


(私は……どうなんだろ)


 恋をしなさい。

 運命を変えたいなら、恋をしなさい。


 軽いノリで、冗談みたいに言った神様の声が、頭の片隅に、まだ引っかかっている。


 けれど今日一日を振り返ってみても、自分にあるのは「心臓が忙しかった」という困惑ばかりだ。誰かを想うとか、選ぶとか、そんな綺麗な言葉でまとめられるほど、自分の気持ちは整理できていなかった。


 でも、そんなふうにぐるぐる考えているうちに、

 まぶたが、少しずつ重くなっていく。


 窓の外の紫が、ゆっくりと濃くなる。世界が夜へ沈むのに合わせて、意識もまた、静かに沈んでいく。


(明日から……また日常だし)


 そう思ったところで、ふっと、足元がなくなる感覚。落ちる、というほど怖くはない。むしろ、布団に沈み込むみたいに、自然で。


 アイリスはそのまま、夢の底へ、すとんと滑り込んだ。



 ――気づいたとき、そこは真っ白だった。


 床も、壁も、天井も。境界線が曖昧で、どこまでが空間で、どこからが何なのか分からない。


 目を瞬かせても、景色は変わらない。音もない。風もない。自分の呼吸だけが、やけに大きく聞こえた。


「……え、どこ」


 声は吸い込まれて、返ってこない。

 アイリスは周囲を見回し、しばらく固まったあと――

 小さく息を吐いた。


「……夢だ」


 妙に冷静な結論だった。だって、あまりにも白すぎる影も、奥行きも、現実特有の雑音がない。納得した、その瞬間。


「お、当たり」


 軽い声が、背後から落ちた。


「寝起きの割に頭が回るね、アイリス」


 振り返ると、そこにいたのは見覚えのある“気配”だった。輪郭はぼんやりしているのに、声だけがやけに鮮明な存在。


「……神様」

「そうそう」


 神様は、満足げに頷いた。


「誕生日おめでとう。十七歳だね」

「……ありがとうございます、って言えばいいんですか」


「うん。言って」


 軽い。軽すぎる。

 アイリスは、じっと神様を見た。


「……なんで出てくるんですか。今日」

「今日だからだよ」

「雑!」

「神様は忙しいからねぇ」


 忙しい神様とは一体なんなのだろうか。その時点で、だいぶ信用ならない。


「で? どう? 十七歳の感想」

「……特に」

「えー、つまんない!」

「つまんないって言わないでください!」

「だって誕生日だよ? 十七歳だよ? 青春だよ?」


 矢継ぎ早に言われて、アイリスは思わず口を尖らせた。


「青春って……」

「そうそう。恋とかさ」


 さらりと出た単語に、肩がぴくりと跳ねる。


「――っ」


「ん? 今反応したね?」

「してません!」

「したした。絶対した」


 神様は楽しそうに笑った。


「どう? 恋してる?」

「してません!」


 声を張り上げると、神様は満足そうに手を叩いた。


「いいねぇ。その反応、運命に噛みつく明るさってやつ」


 褒められているのか、からかわれているのか分からない。でも、その言い回しには、妙な引っかかりがあった。どこかで、似たような評価をされた気がする。理由は分からないのに、胸の奥が少しだけむず痒い。


「……恋はしてません」


 アイリスは、改めて言った。


「というか、よく分かりません。恋って」


 神様は腕を組み、わざとらしく首を傾げる。


「じゃあ、候補出そうか。

 まず魔法薬学の先生。最近人気だよね」

「先生はだめです!」


 即座に切り捨てると、神様は肩をすくめた。

 

「次。先週告白してきた生徒……でも僕的には、あれはお勧めしないな」

「……なんでですか」

「長男はやめておいた方がいい」


 神様は、楽しそうに目を細めた。

 軽口なのに、どこか“知りすぎている”響き。

 アイリスは、じっと神様を見た。


(……この人)


(ほんとに、全部見えてるんじゃないでしょうね)



「じゃあ次は……」


 神様が指を折る。その仕草につられて、アイリスの喉が小さく鳴った。


「ギルバート殿下は? 玉の輿だよ」

「言い方!」

「だって王族だよ? 首元も指先も宝石だよ? 財政的に強い」


 神様の目が、きらきらしている。なぜ神様が財政の話に妙に詳しいのかは、考えないことにした。


「じゃあ、従者」


 その一言で、空気がわずかに変わる。


「ルイは……」


 言いかけて、止まった。理由は分からない。ただ、言葉が一拍、遅れただけ。


「ルイは従者です」

「従者でも恋はできるよ?」

「……できますけど」

「歯切れ悪いねぇ」


 神様は、楽しそうににやにやする。


「最後。公爵家の天才」


 その言い方だけで、誰のことか分かるのが悔しい。


「……ロイドは」


 顔を寄せられる。距離が、近い。


「……変人です」

「でも、顔は整ってるよね、実は好みでしょ?」

「違います!」


 勢いで否定したけれど、胸の奥が少しだけ騒がしかった。神様は、声を立てて笑った。


「いやぁ。十七歳、いいね。最高」

「面白がらないで!」


 アイリスは顔を真っ赤にして叫んだが、神様は突然、その空気をスッと切り替えた。


「で」


 たった一音。それだけで、アイリスは背筋を伸ばす。


「本題、魔王のこと」


 その言葉が落ちた瞬間、白い空間が静まり返った。

 音が、ひとつ消えた気がする。何も変わっていないはずなのに、影が落ちたような錯覚。アイリスは、ゆっくり息を整えた。


「……神様は」


 視線を逸らさずに、訊く。


「魔王が誰か、知ってるんですか?」

「知ってるよ」


 あまりにも、あっさり。だからこそ、胸の奥が冷えた。


「じゃあ――」


 一瞬だけ、言葉を探す間があった。

 ほんのわずかな期待。もしかしたら、という思考。


「でも教えない、僕は平等だから」


 神様は肩をすくめて、当たり前のことを口にするみたいに答えた。


「君にだけ教えるなんて、不平等でしょ」

「でも私、死――」


 言いかけて、口を閉じた。その言葉を出してしまえば、ここから先が全部、違うものになる気がした。十七歳の夜の夢の中で、それを切り札みたいに使うのは――したくなかった。


 神様は、その沈黙を見て、小さく息を吐いた。軽い調子は崩さない。けれど、言葉の運びだけが、少し丁寧になる。


「それにさ、もし僕が」


 指を一本、立てる。


「『この人と恋をすれば世界は助かるよ』なんて言ったら」


 次に、もう一本。


「それ、もう“選択”じゃないじゃない」


 アイリスは、何も言えなかった。


「君の気持ちを、誘導することになる

 他の人の想いも、君の知らないところで勝手に曲がる」


 神様は、笑った。いつもと同じ、軽い笑顔。だからこそ、その言葉が深く刺さる。


「それは恋じゃない」


 白い空間が、しんと静まり返る。音も、距離も、曖昧だったはずの世界が、その一言で輪郭を持つ。


 アイリスは唇を噛んだ。反論はできなかった。それが真理だと、心のどこかで分かっていたから。


「だから教えない」


 神様は、ひらりと手を振る。


「君が選ぶ。誰かの想いも、君自身の気持ちも、嘘にならないようにね」


 アイリスは俯いた。胸の奥が、じんわりと熱い。理由は分からない。でも、その熱だけは、確かに残っていた。


 ――選ぶ。

 その言葉は、どこか甘くて。同時に、踏み出したら戻れない場所みたいで、少し怖かった。


 絞り出すように、アイリスは言う。


「私、どうすればいいんですか」


 不安を吐露するアイリスに、神様はあっさりと笑った。


「悩めばいい」


「雑!」

「雑じゃない。真理」


 神様は胸を張る。


「たくさん悩みなさい。青少年は悩んで成長していくんだ」

「神様が言うと腹立ちます!」


 言い返しながら、でも、なぜか少しだけ笑ってしまった。神様はその笑いを見て、満足そうに頷く。


「いい顔」

「やめてください」


 神様は大げさに両手を広げる。


「そのまま進め、恋して、失敗して、泣いて、笑って」

「失敗する前提!?」

「だって人生だもん」


 軽い言い方。でも、どこか突き放さない優しさがあった。神様は、最後にぽつりと付け足す。


「答えはね、君が作るんだよ」


 その言葉が、白い空間に落ちていく。落ちたはずなのに、消えない。音もなく、形もないまま、胸の奥に、静かに残り続ける。神様はくるりと背を向けた。


「じゃあまたね。誕生日の君」

「え、待って――」


 伸ばした手は、空を掴む。神様の輪郭が、白に溶けていく。最後に聞こえたのは、笑い混じりの声だった。


「選ぶの、楽しみにしてる」


 伸ばした手は空を掴み、アイリスは目を覚ました。

 自室の天井。薄いカーテンから差し込む朝の光。


「……なんで神様に恋バナされなきゃいけないのよ」


 可笑しさがこみ上げ、その後に、ふっと胸が重くなる。

 選ぶこと。悩むこと。答えを自分で作ること。

 昨夜の花火。青い花。チェリーパイの匂い。


 アイリスは布団の中で小さく拳を握った。今日もまた、考える前に体が動いてしまうかもしれない。けれど、それが自分だ。


「悩みなさい、青少年……か。上等じゃない」


 神様の声を思い出して、アイリスは小さく笑った。

 窓の外は秋の朝。学園は今日も動き出す。


 そして、彼女の運命もまた、静かに、けれど確実に動き続けていた。




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