表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/49

第21話 【急募】年上の余裕に対抗する術





 アイリスは鏡の前で、完全に固まっていた。

 

 右を見ても、左を見ても、映っているのは自分。昨日と同じ顔のはずなのに、今日はどういうわけか、視線の置き場に困るほど落ち着かない。


(……そもそも、デートって何をするものなの?)


 ただのお茶? 街の散歩? それとも、あのロイドのことだ。何か魔導具の実験に付き合わされるとか、とんでもない事件が起きる前提の誘いではないのか。


 学園祭の喧騒から数日が経ち、季節は足早に秋の終わりを告げようとし、窓から入り込む風はもう夏の熱を完全に失い、凛とした冷たさを帯びていた。


 そんな折、女子寮の扉に一枚の手紙が挟まっていたのだ。差出人の名はなかったが、見覚えのある、奔放でいてどこか理知的な筆致。


『一週間後の週末。中央広場の噴水前に十一時。

 とびきりおめかしして来てね』


「……」


 アイリスは、じっとその紙を見つめた。


 正確には、忘れたふりをしていたのだ。


 学園祭での混乱、ルイのこと、ギルバートの視線……それらの処理に追われ、あの約束を棚上げにしていた。


(……冗談じゃ、なかったのね)


 じわじわと実感が押し寄せ、鏡の中の自分が情けないほど困った顔をする。断る理由など、どこにもなかった。命を懸けて自分とルイを救ってくれたのは、紛れもなく彼なのだから。


(あの人、絶対、普通のデートじゃない)



 悩みに悩んで結局、選んだのは――くすみ栗色の髪に似合う、淡いアイボリーのワンピースだった。

 

 そもそも、選択肢がほとんどなかった。普段の私服は、侯爵令嬢らしさとは程遠い。動きやすくて、汚れても困らなくて、長く使えるもの。地味で、実用的で、「らしいですね」と言われる服ばかり。


(おめかし用のお洋服なんて……数えるほどしかないもの)


 跳ねやすくて言うことを聞かない髪を、今日は時間をかけて梳かし、丁寧に整えた。ほんの少しだけ背伸びをした化粧。控えめな色味だが、それでも鏡の中の自分は、いつもよりずっと“よそ行き”の顔をしていた。


 街の中央広場は、秋祭りを控えて活気に満ちていた。

 屋台の活気ある呼び声、石畳を叩く馬車の音。そんな賑やかさの中で、彼は――ひときわ異彩を放っていた。


「……目立ってる」


 遠目にも一瞬で分かった。

 基本的に貴族は街の雑踏には近寄らない。

 

 ロイド・ウィステリアは噴水の縁に腰掛け、悠然とそこにいた。いつものだぼだぼの白衣ではなく、すっきりとした仕立ての上着を纏い、研究道具も持たず。


(……よく見れば、綺麗な顔をしてる)


 学園では「変人」というフィルターがかかっているが、冷静に見れば彼は公爵家の嫡男であり、端正な顔立ちは通行人の視線をこれでもかと集めている。


 その視線の先に、自分が向かっている。そう意識した瞬間、アイリスの心臓が不規則なリズムを刻み始めた。

 

 ――そして。

 

 「……ロイド様」


 歩み寄り、声をかける。ロイドは顔を上げ、アイリスを見た瞬間――ほんの一瞬だけ、目を瞬かせた。


「……へえ」


 短い相槌。けれど、その視線に評価されたような、深部まで見透かされたような気がして、アイリスは思わず背筋を伸ばした。


「おはようございます。今日は、その……」

「ちょっと待って」


 ロイドが軽く手を上げ、言葉を制した。


「その話の前にさ。……その話し方、まだ続ける?」


 いつもの飄々とした笑顔。ただ、今日は少しだけ楽しそうで――悪戯を思いついた子どもみたいな色が混じっている。


「敬語」


 一瞬、何を指摘されたのか分からなくて、それから、自分の口調を思い出す。


「今日は“学園”でも“公爵家”でもないでしょ」


 仕草は軽いのに、視線は外さない。逃げ道を塞ぐわけでもなく、ただ待っている。


「それ、疲れない?」


 胸の奥に、ぐさりと刺さる。疲れている。正直、敬語や硬い言葉を選び続けるのは、昔から苦手だった。


「で、でも……ロイド様は、公爵家で……私は、侯爵家で……」


 必死に理由を並べる。身分、立場、常識。いつもなら、ここで話は終わるはずなのに。


「身分とか、世間体とか、そんな細かいこと」


 ロイドは、途中で遮った。声が、少し低くなる。


「僕が気にしないって、知ってるよね?」


 ロイドが一歩、近づいた。近い。呼吸が届くほどの距離。逃げ場を塞ぐわけではないのに、その柔らかな威圧感に足が竦む。


「それに」


 囁くみたいな声で、追い打ちが来る。


「今日は――デートなんでしょ?」


 その一言で、アイリスの思考は完全にショートした。改めて口にされると、その言葉の破壊力は想像を絶していた。心臓がうるさい。


「ほら、名前を呼んで。『ロイド様』じゃなくて……『ロイド』って」


 ロイドは、期待通りの反応を楽しむように目を細めている。アイリスは指先に力を込め、震える声を振り絞った。


「……ロ、ロイド」

「うん。いい子だ」

「な、なんですかそれ!」

「ご褒美」


 さらっと返され、完全に調子を狂わされる。

 二つしか年が違わないはずなのに、この底知れない余裕。距離の詰め方も、引き際も、すべてが計算されているようでいて自然。


(これが……大人の余裕、なの……!?)


 ロイドは満足げに背を向け、歩き出した。

 

「じゃあ、行こっか。まずは散歩から。――今日は、長いよ」



 何気ないはずのその言葉が、なぜかやけに意味深に響いた。通りは秋祭りの準備で混雑しており、少し油断すると人波に押されそうになる。


「結構、人が多いわね……」


 前の人を避けようとして、ロイドとの距離が不意に縮まる。肩が触れそうな距離。意識した瞬間、余計に足取りがおかしくなる。そんなアイリスの様子を察したのか、ロイドがふと足を止めた。


「ねえ。手、引く?」

「……は?」


 頭が、追いつかない。雑踏の音が、少し遠くなる。自分の鼓動だけが、妙に大きく聞こえた。


「迷子になりそうだし、転んだら危ないでしょ」


 理由はもっとも。態度はいつも通り。だが、差し出されたその手――細く、長く、美しい指が、アイリスの視線を釘付けにした。


(て、手)

(ひ、引くって……)



 細くて、指が長い。何かを掴むためじゃなく、ただ“そこに出された”手。何でもない仕草のはずなのに。


(ちょっと待って)


(これは、デートだから?)

(それとも、人混みだから?)


 考えれば考えるほど、思考が絡まる。断る理由を探す。でも、うまく見つからない。手を引くくらい、普通なのに。学園でも、困った時は何度も引っ張られてきた。


 ――なのに、今は。


 ロイドは急かさない。視線も、態度も、何一つ変えない。ただ、手を差し出したまま、穏やかに待っている。


「無理なら、いいけど」


 そう言われると、余計に逃げ場がない。


(……ずるい)


 深呼吸する。胸の奥を落ち着かせるみたいに。


「……は、離さないでくださいね」


 精一杯の強がりを絞り出すと、ロイドの眉が面白そうに上がった。


 重なる手。指先から伝わる体温は、想像していたよりもずっと温かい。指先を軽く絡めるような、逃げ場を塞ぐほどではないのに、ほどける気もしない触れ方。


(……あ、無理。これ、死んじゃう)


 心臓が完全に仕事を放棄した。雑踏の音も、屋台の匂いも、すべてが遠い膜の向こうへ追いやられた。意識できるのは、繋がれた手の感触と、隣を歩くロイドの微かな気配だけ。


「ほら、行こ」


 耳元に落ちた低い声。アイリスは大パニックを起こしながらも、引かれる手に身を任せて歩き続けた。


(……神様)

(これ、デートっていうか――)

(事件では?)


 秋の街はまだ始まったばかり。

 なのに、彼女はもう、彼という名の深い沼から逃げ場を失っていることに、まだ気づいていなかった。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ