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第19話 それは僕の魔法だよ



 


「やれやれ」


 場違いなほどに気の抜けた、平坦な声が真っ二つに割った。一瞬、誰も反応できなかった。


「学園祭って、もっと平和なものだと思っていたんだけどな」


 張り詰めていた空気が、わずかに弛緩する。いや、弛緩したというよりは――強制的に「現実」へと引き戻されたのだ。


 振り返ると、そこに一人の少年が立っていた。


「……ロイド様?」


 アイリスが、驚きに目を見開いてその名を呼ぶ。


 ロイド・ウィステリアは、いつも通りだった。

 だぼだぼの制服に、サイズが合っていない上着を羽織っている。きちんと着ているはずなのに、どこか投げやりで、だらしなさが漂う格好。耳元のアクセサリーが、歩みに合わせて小さく揺れている。


 まるで、この異常事態すら彼にとっては“予定外ではない”と言わんばかりの平然とした佇まいだった。


「――っ、何だ!?」

「おい、今の魔力……!」

 

 なにか、異様な気配を感じ取ったのであろう。周囲の他生徒たちが、ざわめきながらこちらを見ている。

 

 ロイドは一度、ゆっくりと周りを見渡し、それから――アイリスにだけ、静かな視線を向けた。


「君は、たぶん何も知らないまま来たんだろうけど」


 責める響きはない。確認するような、淡々とした声。


「ここからは、逃げないよね」

「……当たり前です」


 即答だった。


 わずかに残る魔力の残存。その中でルイは、しでかそうとしたことの重大さに顔色を蒼白にする。自分だけは違うのだと、必死に否定してきたものが。否定できない形となって、今、白日の下に晒されている。


「……な、なんだ今の術は……お前ら、何を……」

 

 腰を抜かしそうになっていた上級生たちが呟く。

 恐怖と混乱で引きつった顔の彼らを、ロイドは冷徹に見下ろした。


「大丈夫、大丈夫」


 ロイドは、ぐずる子どもを宥めるような、拍子抜けするほど優しい声で言った。


「それ、君のじゃないから」


 その言葉が落ちた瞬間、場の緊張がわずかに質を変えた。恐怖ではなく、困惑へ。拒絶ではなく、拠り所のない揺らぎへ。


 ルイの足元で、残った影が一度だけ、苦しげに強く波打つ。――ここから先は、ロイド・ウィステリアという男の独壇場だった。


「なにを」


その声は、掠れていた。答えを求めているというより、事態の推移に意識が追いついていない、困惑しきった声音。


「この子が悪いんじゃない」


 ロイドは、場に残った刺々しい緊張ごと切り捨てるように、あっさりと言い放った。


「君たちが、扱い方を知らないだけだ」


 責めるでもなく、庇うでもない。ただの冷徹な事実を告げるような口調。


 次の瞬間だった。


 ロイドの足元から、清冽な水が広がった。音は、一切しない。床から染み出すのではなく、そこに最初から在ったかのように、滑らかに出現したのだ。


 濁りは一切なく、温度すら感じさせないほどに澄んだ水。同時に、その水面を撫でるように、淡い光が幾重にも重なった。


 強すぎず、眩しすぎない。主張しないのに、寸分の狂いもなく計算された配置で光の粒子が舞う。


 驚くべきは、その調和だった。

 水と光は、互いに干渉しない。どちらかが主になることもなく、ただそこに“同時に存在している”。


 優しく包み込み、境界を整え、暴れる力の居場所を与えるような――極めて高度な「秩序」の魔法。


 残った影が、ゆっくりと、けれど確実に応じた。暴れない。拒まない。まるで、迷子になっていた自分が、あるべき形を思い出したかのように。


 そこにいた、誰もが、一斉に息を呑む。周囲には、すでに人だかりができていた。


「水と、光……?」

「同時に二つの属性を……これほどの精度で……?」

「あれは……闇……」


 ざわめきが、混乱から圧倒的な困惑、そして畏怖に変わる。理解ができない。けれど、これが異常事態であることだけは、誰の目にも明らかだった。

 

 ロイドは、そんな周囲の反応を楽しむように肩をすくめた。


「ねぇ、みて?」


 次の瞬間、彼はいたずらっ子のように無邪気に笑う。


「僕の魔法、綺麗でしょ」


 その一言で、場の空気が完全に塗り替えられた。

 余計な説明も、威圧も、誇示もない。ただ、一目で分からせられたのだ。この男は――底の知れない変人で。

 そして、紛れもなく、この学園の誰をも凌駕する天才なのだと。


 闇が、完全に静まった。ルイの足元から、禍々しい影がほどけるように霧散していく。まるで、最初からそこに在るべきではなかったかのように、跡形もなくなる。その様子を気に留める生徒はいなかった。


 張り詰めていた空気が、一気に抜けた。膝から力が抜けたのか、ルイの細い身体が小さくふらつく。


「……っ」


 考えるよりも先に、アイリスの手が伸びていた。彼の身体を、咄嗟に支える。


「……すみません」

「謝るのは、あと」


 アイリスは短く言い切り、ぎゅっと彼の袖を掴んだ。指先に、痛いほどの力を込める。――もう、離さない。その意志だけが、彼女の手首に伝わっていた。

 

 周囲では、堰を切ったように声が戻り始めていた。


「あの魔法は何だったんだ?」

「……ただの事故じゃなかったのか?」


 不安と、目の当たりにした「凄み」への興奮が混ざり合った、異様な熱気。そのざわめきの中心で、ロイドがひらひらと手を振った。


「はいはい、落ち着いて。観客がそんなに騒ぐものじゃないよ」


 相変わらずの口調。相変わらずの緊張感のなさ。彼はちらりと、アイリスとルイを一度だけ見やり、何事もなかったかのように視線を外した。


「さっきの闇は……何なんだ……」


 それが、あの男たちだったのかは、わからない。誰かが絞り出すようにこぼした呟きに、ロイドは満面の笑みで答えた。


「ああ、あれ? それは僕の魔法だよ」


 ――一瞬、周りのざわめきが完全に止まった。


「フィナーレを盛り上げるために、僕が内密に仕込んでおいたショーなんだ」


 あまりにも堂々とした嘘。けれど、目の前で見せつけられた圧倒的な魔法を見れば、「彼ならやりかねない」という妙な説得力が生まれてしまう。誰もが毒気を抜かれたように、言葉を失った。

 

 ロイドは「ねぇ、そうだよね」と、地面に座り込む上級生の男たちに笑いかける。

 

「ちょっと演出が派手になっちゃったけど

みんな、楽しんでくれたかな?」


 冗談めいた言い方。あまりにも軽い調子。その笑顔はどんな魔法よりも圧倒的だった。


「光も、闇も」


 ゆっくりと、彼は続ける。


「全部、僕のものだからね」


 その場にいた、誰もが、今見た“魔法”の完成度が、単なる暴走などでは到達し得ない次元であることを理解してしまったからだ。


 ミリ単位で完全に制御されていた魔法。闇でさえもが、まるで彼のキャンバスの上に描かれた「色彩」の一つとして機能していたという事実。魔力属性の相性などという常識は、彼には通用しない。まるで、この世のすべての魔法の理を、彼は掌の上で弄んでいるかのように見えた。



「光は敬われて、闇は嫌われる。じゃあ、その両方を同時に扱う僕は――君たちの目には、どう見えるのかな?」


 答えを求めているわけではない。ただ、重い言葉を投げただけ。誰も、返せなかった。


「くっ……! 覚えておけよ!」

 

 捨て台詞を吐き、男たちは逃げるようにその場を去っていった。彼らの姿を見て、周囲の生徒たちが、呆気にとられた。誰しもが、その状況を完璧には理解できていなかった。

 

 ロイドは興味を失ったように視線を切り替え、再びルイを見る。


「君さ、やっぱり、隠すの下手だよね」


 淡々と、けれど核心を突く響き。

 その言葉に、ルイは、はっとして深く俯いた。


「……知っていたのですか」

「まあね、気づかない方が難しいよ」


 一拍置いて、ほんの少しだけ声を落とす。


「そんなに嫌われ者でもないと思うけどね。少なくとも、僕は嫌いじゃない」


 ルイの指先が、わずかに震えた。

 いつものようにロイドは、くすりと笑う。


「大変だね」


 他人事みたいで、けれど――突き放してはいない。


「どう扱うかは、君次第だよ。閉じ込めるのも、逃げるのも、受け入れるのも」


 一瞬だけ、視線が鋭くなる。


「――僕は、全部知った上で、ここにいるだけ」


 ロイドとルイの交わす淡々とした会話。


 アイリスは、その言葉の意味を全て理解することは出来なかった。この人の言葉は掴めない。信用していいのかも、分からない。でも、確かに、何かを変えてくれた。


「アイリスちゃん」


 少しだけ、楽しそうに。


「さっきの、良かったよ。逃げないところ」


 アイリスは一瞬考えて、肩をすくめた。


「逃げるって選択肢、私にはないので」

「それが一番、厄介なんだよね」


 学園祭は、少しずつ、けれど確実にざわめきを取り戻していく。混乱は残り、後処理も説明も、これから山積しているだろう。


 けれど、ロイドは興味が尽きたというように踵を返した。


「……さて」


 背中を向けたまま、ぽつりと呟く。


「今回は、このくらいでいいかな」


 その寂寥感と傲慢さが入り混じった背中を――誰も、呼び止めることはできなかった。



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