第4話:空から来たのは助けじゃなくて、だいたい厄介ごと
「……来た。……今度は、俺じゃない」
セイがそう言った瞬間、私の背中が冷たくなった。
いや、正確には。
冷たくなったのは背中だけじゃない。
喉も、指先も、心臓の周りも。
全部が、ひゅっと縮んだ。
怖いって感情は、体のあちこちを同時に固める。
便利なのか不便なのか、よくわからない機能だ。
空の高いところ。
白い線が一度、二度、三度。
流れ星みたいに走って、でも流れ星より鋭い。
その直後、遅れてくる低い振動が地面を揺らす。
音の種類が、自然じゃない。
空気が“機械で押された”みたいな圧。
私は息を呑み、畑と火を背にして立った。
逃げるか。
隠れるか。
戦うか。
……選択肢がどれも重い。
私の文明は片手分しかないのに、世界はもう両手で殴ってくる。
「セイ、何が来たの?」
私が聞くと、セイは短く首を振った。
バイザー越しの顔は見えない。
でも声だけは、少しだけ硬い。
硬いってことは、知ってるか、警戒してるか、どっちかだ。
「……わからない。……でも、匂いがする」
「匂い?」
セイが指を上に向ける。
空。
そして、森の向こう。
匂いって、比喩じゃなくて、本当に匂いだった。
風に混じって、金属の熱い匂いが流れてくる。
焦げた油。
熱を持った鉄。
この星の土や木とは違う匂い。
人工物の匂い。
ロボたちが一斉に動いた。
列がほどけて、円陣みたいに形を変える。
私と火と畑を中心に、半円の壁になる。
……え、私の畑を守る配置じゃん。
そのことに胸が熱くなりそうになって、私は慌てて自分を叱った。
熱くなるな。
今は生存モード。
感動はあと。
あとでいい。
あとがあるなら。
「ソラ、火は消さないで」
セイが言った。
消さない。
消したら死ぬ。
消したら畑が終わる。
消したら私が終わる。
私は頷く。
言葉が出ない。
出せない。
出せるほど喉に余裕がない。
独り言ならいっぱい出るのに、誰かと共有する声は重い。
重いけど、言う。
「……畑、踏まないでね」
自分でも何言ってるのって思う。
この状況で、畑。
でも畑は、私の未来だ。
未来を踏まれたら、今を生き延びても意味がなくなる。
意味がなくなるのは、嫌だ。
セイが、ほんの少しだけ頷いた。
それだけで、私は少しだけ呼吸が楽になった。
言葉って、すごい。
ひとりで喋ってたとき、言葉はただの音だったのに。
今は、繋がる縄だ。
一本だけの、命綱みたいな縄。
空が、また光った。
今度は線じゃない。
点が、膨らんだ。
白い点が大きくなって、熱を持って、尾を引いて。
落ちてくる。
落下。
大気圏突入。
私のポットと同じ。
ただし、サイズが違う。
全然違う。
落ちてくるのは、私の穴蔵が丸ごと入るくらいの塊だった。
「うわ、やめて。やめて。畑の方だけはやめて」
私が本気で祈ると、塊は森の奥の方に落ちた。
地面が揺れた。
鳥が飛び立つ。
森の木が波みたいに揺れる。
そして、遅れて――轟音。
音が来るの、遅い。
宇宙は音がないから、こういう“遅れ”が妙に怖い。
見えた後に来る恐怖。
やめてほしい。
でも世界はやめてくれない。
落下地点から、煙が上がった。
黒じゃない。
白い。
蒸気みたいな白い煙。
冷却?
消火?
何かのシステムが働いてる。
つまり、あれはただ落ちた残骸じゃない。
生きてる。
動くものだ。
セイが、短く息を吸った。
「……厄介だ」
厄介。
その単語が出るってことは、本当に厄介なんだろう。
私はステッキを握り、脳内で必死に既知のものを並べた。
煙幕。
トラップ。
落とし穴。
弓。
弓……作れる?
弓は知ってるけど、材料と張力の加減がわからない。
こういうとき、知識の“雑さ”が命取りになる。
私は自分を恨む。
前世で、もっと本気でサバイバル動画を観ておけばよかった。
いや、観てたら観てたで「宇宙サバイバル」の回が必要だった。
そんなジャンルある?
森の奥で、金属が擦れる音がした。
さっきの振動より、近い。
ぎぃ、がごん。
何かが開く音。
扉?
ハッチ?
そして、甲高い電子音が何度も鳴った。
ぴ、ぴ、ぴ。
警告。
起動。
カウントダウンみたいな嫌なテンポ。
ロボたちが、いっそう身構える。
セイもレンチを握り直した。
レンチって、こういうとき頼もしく見えるから不思議だ。
文明の最初の武器は、たぶん工具だ。
工具は正義。
火と同じくらい正義。
ただし、相手が同じことを思っている場合は、地獄。
森から出てきたのは、人間じゃなかった。
人間の形っぽいけど、人間じゃない。
四本脚。
背中に薄い板みたいなもの。
板が開いて、羽のように広がる。
そして、その板の下から、小さな銃口が覗いた。
自動ドローン。
武装ドローン。
私はそう理解した。
理解した瞬間に、背中がさらに冷える。
ドローンって、だいたい面倒なやつだ。
だって、人間が乗ってないから。
ドローンの目――みたいなセンサーが光った。
赤。
赤い点が、私の火をなぞる。
次に畑。
次に私。
最後にセイ。
そして――
ピ、という音が変わった。
ぴ、ぴ、ぴ、が。
ぴーーーー、になった。
危険判定の音にしか聞こえない。
やめて。
判定するな。
私は危険じゃない。
畑は危険じゃない。
豆は無罪だ。
次の瞬間、ドローンが撃った。
光の線。
熱線みたいなものが、地面を焼く。
土が黒く焦げ、煙が上がった。
狙いは――火の近く。
私の足元のすぐ前。
警告射撃。
……やるじゃん。
やるじゃんじゃない。
やめろ。
怖い。
でも、撃ってきたってことは、次は当ててくるってことだ。
「ソラ、下がれ!」
セイの声が鋭くなる。
私は反射で穴蔵の方へ跳び退いた。
その動きに合わせて、ロボたちが前に出る。
盾。
盾になる。
金属が、私の前に立つ。
家族だ。
セイの家族。
そして、今だけは、私の壁でもある。
私は唇を噛んだ。
頼りたくない。
頼りたくないけど――今は頼る。
生活圏を守るために。
守るためなら、借りる。
ドローンがまた撃った。
今度はロボの肩を掠める。
火花。
金属が焦げる匂い。
ロボが倒れないのが、逆に怖い。
強い。
強いけど、強いもの同士がぶつかると、周りが巻き込まれる。
巻き込まれるの、私だ。
畑だ。
豆だ。
豆は巻き込まれるべきじゃない。
豆は平和の象徴なのに。
象徴にしてるのは私だけだけど。
セイが叫んだ。
「配置、変えろ! 火を守れ!」
ロボたちが再配置する。
動きが揃っている。
機械兵指揮。
これがセイのチート。
寄せ集めの家族を、一つの意志にする力。
意志の方向が、今は私に向いてる。
その事実が、胸を熱くする。
熱くするな。
今は生存モード。
感情の整理はあと。
あとがあるなら。
私はステッキを握り、必死に考えた。
既知のもの。
既知のもの。
既知のもの……!
熱線のドローンに対抗できる既知のもの。
鏡?
反射?
でも鏡で反射できるかはわからない。
水?
水蒸気で視界を遮る?
煙幕。
煙幕は作れる。
私はステッキを振って、乾いた木炭粉と、細かい土――粉塵を作り出した。
体が少し重くなる。
頭がくらっとする。
やりすぎるな。
でも、やらないと死ぬ。
「セイ! 目、潰す!」
私は叫んだ。
自分でも驚くほど大きい声が出た。
ひとり言じゃない。
戦場の声だ。
私は粉塵を火の上に投げた。
火が一瞬、黒い煙を吐く。
その煙が風に乗って、ドローンの前へ流れる。
視界が遮られる。
センサーは煙に強いかもしれない。
でも“強いかも”と“完璧に無効”の間には、必ず隙がある。
私はその隙に賭ける。
ドローンの射撃が、一瞬だけ乱れた。
地面を焼き、木を焦がし、狙いが逸れる。
その瞬間、セイが前に出た。
レンチを投げた。
投げレンチ。
宇宙海賊の戦法が投げレンチ。
語感が軽すぎる。
でも、レンチは重い。
レンチは固い。
レンチは正義。
レンチがドローンの脚に当たり、バランスが崩れる。
ドローンが地面に片膝――いや片脚をついた。
そこへロボが突っ込む。
腕の刃で、背中の板――武装ユニットを切り裂く。
火花。
高い悲鳴みたいな電子音。
ドローンが暴れる。
熱線が暴発する。
危ない。
木が燃える。
畑の近くの草が燃える。
やめて!
火は友達だけど、勝手に増える火は敵だ!
私は全力で川の水を思い浮かべた。
バケツ。
バケツなら知ってる。
容器。
私はステッキでバケツを出し、水を汲んで走った。
走るたび、足の小石が痛い。
痛いけど走る。
畑を守るためなら走る。
私は火の友達であり、火の管理者だ。
管理できない火は、私を殺す。
私は水をぶちまけ、燃えかけた草を叩く。
じゅっ、と音。
蒸気が立つ。
煙が鼻に刺さる。
咳が出る。
でも、消えた。
消えた。
よし。
畑はまだ生きてる。
豆も、まだ未来だ。
未来を守った。
一歩だけ。
その間に、セイたちはドローンを押さえ込んでいた。
ロボが二体で脚を固定し、もう一体が頭部――センサー部分を覆う。
セイが近づき、側面のパネルを開いた。
迷いがない。
配線を引き抜く。
バチッ、と火花。
ドローンの光が消えた。
動きも止まる。
沈黙。
静寂。
風が戻ってくる音がした。
戦いが終わると、世界は急に広い。
広すぎて、怖い。
私は膝に手をついて、息を吐いた。
息が熱い。
喉が痛い。
でも、生きてる。
生きてる。
生きてるってことは、次の心配がすぐ来るってことだ。
休ませてくれない。
生存って、忙しい。
「……あれ、何?」
私が尋ねると、セイは壊れたドローンを見下ろしたまま言った。
「……管理ドローン。……たぶん、旧文明の自動防衛」
旧文明。
この星にも旧文明があった。
それで、残骸のロボがいる。
それで、空から何か落ちてきた。
点と点が繋がっていく。
嫌な繋がり方で。
文明の残骸は、だいたい面倒を残す。
未来じゃなくて、面倒を残す。
でも、面倒の中に資源もある。
資源がないと、私は死ぬ。
だから、面倒を避けきれない。
セイが森の奥を見た。
落下地点。
煙はまだ上がっている。
そして、微かに聞こえる。
また別の電子音。
ぴ、ぴ、ぴ。
まだいる。
あれ一体じゃない。
いやだ。
私の生活圏が、旧文明の防衛区域に近いってこと?
だったら私、最初から詰んでない?
詰んでない。
詰んでないはず。
詰んでないって言い続けないと、詰む。
だから言う。
独り言で。
「はい、ソラさん。落ち着いてください。危険があるということは、資源もあります。資源があるということは、畑に肥料が手に入る可能性もあります。つまり豆が強くなる」
豆でメンタルを立て直すの、我ながらどうかと思う。
でも、私の世界の中心は畑だから仕方ない。
畑がなければ私は私じゃない。
宇宙で土を夢見た女だ。
土を守るのが私の生き方だ。
セイがこちらを振り返った。
バイザー越しの声が、少しだけ低い。
低いってことは、決断の声だ。
「……ソラ。……ここ、境界だ。……旧文明の巣が近い」
「巣……?」
「施設。……まだ動いてるやつがある。……だから、ドローンが出る」
まだ動いてる施設。
旧文明の自動施設。
そこには、きっと電力がある。
部品がある。
金属がある。
資源がある。
それは魅力だ。
でも同時に、死の匂いがする。
私の欲しいものは、だいたい危険とセットだ。
世の中ってそういう仕様なの?
「じゃあ……私は……ここに住めない?」
声が自分でも嫌になるくらい小さい。
私が二日で作った場所。
火と穴蔵と畑。
ほんの小さな生活圏。
それを捨てろって言われたら、私は泣く。
泣くけど、泣いても移動しないと死ぬなら移動する。
生きる方を選ぶ。
私は開拓者だ。
開拓者は、泣きながらでも前に進む。
セイが、少しだけ首を振った。
「……住める。……守れば」
守れば。
守るには、武器と壁と、情報と、仲間がいる。
仲間。
その単語が、喉の奥で引っかかる。
私は仲間なんて、持ったことがない。
持ったことがないから、欲しい。
欲しいから怖い。
失うのが怖いから、最初から距離を取ってしまう。
でも今は、距離を取っても距離が勝手に詰まってくる。
旧文明が、ドローンが、空からの落下が、私たちを同じ場所に縛る。
縛られるのが、嫌だ。
嫌だけど、縛られた縄を利用することもできる。
開拓者は、縄を使う。
首を絞める縄じゃなくて、崖を登る縄として。
私は、意を決して言った。
「……守るなら、私の条件、もう一つ追加」
セイが頷く。
ロボたちも、点滅を落とす。
聞く姿勢。
ちゃんと交渉できる相手だ。
それだけで、少し安心してしまうのが怖い。
でも、交渉できるのは事実だ。
事実に乗る。
私は事実に乗って生きる。
「この拠点は、私の拠点。セイの船は知らない。でも、ここは私の生活圏。だから、守るために協力するなら――“一緒に住む”じゃなくて、“共同作業”にして」
言いながら、自分でも難しいことを言ってると思う。
一緒に住むのは怖い。
でも協力はしたい。
都合がいい。
私、都合がいいことを言ってる。
でも、生きるって都合がいいことの積み重ねだ。
私は都合よく生きたい。
セイは少し黙って、そして短く言った。
「……いい。……共同作業。……俺も、家族の場所が要る」
家族の場所。
ロボたちの場所。
セイもまた、居場所を探している。
居場所を作るために、修理して、寄せ集めて、航路を渡っている。
宇宙の開拓者だ。
……同じだ。
立場が違うだけで、やってることは同じだ。
その事実が、怖さを少しだけ溶かした。
森の奥で、また電子音が鳴った。
ぴ、ぴ、ぴ。
そして、今度は複数。
こっちへ近づいてくる。
私は背筋を伸ばした。
戦闘の後の戦闘は、体力が足りない。
でも、やる。
やらないと畑が焼ける。
畑が焼けたら、私の未来が焼ける。
セイが短く命令する。
「撤退。……火は維持。……罠、作る」
罠。
いい。
罠なら、私も得意だ。
得意ってほど作ったことないけど、概念は得意だ。
概念で生きてきた女だ。
私はステッキを握った。
既知のもの。
落とし穴。
縄。
杭。
煙。
火。
そして――豆は……今はいい。
豆は戦えない。
まだ芽も出てない。
芽が出たら、精神的支柱になる。
「よし。共同作業、開始」
私が言うと、セイが一瞬だけ止まった。
そして、ほんの少しだけ、声が柔らかくなる。
「……了解、ソラ」
名前を呼ばれるたび、胸が変な音を立てる。
でも、その音が怖いだけじゃないことを、私は知り始めていた。
怖いのは、生きてる証拠だ。
そして――
生きてるなら、次の一日を作らなきゃいけない。
森の奥から、また金属がきしむ。
今度は、数が多い。
旧文明の影が、こちらへ伸びてくる。
私は火を守りながら、土を踏みしめた。
ここは私の生活圏だ。
そして今日から――私たちの共同作業場になる。




