第七話 金木犀
そろそろ三十分。
御者が迎えに来る頃だ。
カインは物語を書き換え、騎士達と燃えたセドリックの服を削除、『港広場に素っ裸の変態がいるが夜6時に保護された。彼は宰相の息子セドリックだった』と記載した。
武器も消し、服についた返り血もなかったことに。
「カインさん、お待たせしました」
「いえ、時間通りです。ありがとうございます」
迎えに来た御者に菓子屋はなかったと報告したカインは何事もなかったかのように馬車に乗る。
馬車が中央広場を通過したことを確認したカインは、御者との待ち合わせは中央広場だったと物語を書き換え、王宮へと戻った――。
◇
「……っ!」
ウセキ国物語の文章を目で追っていたカインの師匠ローレルはあまりの出来事に息を飲んだ。
こんなカインは知らない。
カインが弟子になってからまだ二ヶ月。
いくつかの物語を練習したが戦う機会は当然なかった。
嵐の中、船から落ちそうになった主人公を助ける一般人、魔王を討伐する勇者のパーティメンバー。
練習ではあくまでお助けキャラとしてサポートをしていたが、物語の中では柔らかい物腰の男だった。
王子補佐官をしている時のカインのまま、品行方正な礼儀正しいカインだったが。
いくら相手が物語の中のモブキャラだと言っても、こんなに躊躇せずに戦えるものなのか。
斬った時の感触は残るはず。
これがクライブ一族!
圧倒的なカインの戦闘力にローレルは身震いした。
「蜘蛛が小さいからメスだと思ったのだろう」
子供の蜘蛛も全て焼き払うのはいいが、素っ裸の変態を公園に放置して行くところがカインらしいと総監グスターは溜息をついた。
「せめて服を直してやるとか、公園へ来ていないことにするとか、もう少し配慮するようにカインを教育してくれ」
「……私がですか?」
総監グスターの指示にカインの師匠ローレルは苦笑する。
それは修復士以前の性格の問題だ。
ローレルは溜息をつくと、再びウセキ国物語の文字を追い始めた。
◇
「ただいま戻りました」
「おかえり、カイン」
時間通りに戻ったカインの手には青いリボンのかかった袋とオレンジ色のリボンがかかった箱。
「家の用事じゃなかったのか?」
フィオナの贈り物を買いに行ってたのかとリチャードはニヤニヤする。
「用事のついでに侍女達に人気の店に寄っただけですよ」
カインがニッコリ微笑むと、用事の方がついでだろうとリチャードは笑った。
いつも通りリチャードは夕食を済ませ、フィオナにおやすみと言い、いつも通りに就寝する。
宰相の息子セドリックが丸刈りの素っ裸で保護されたことが国王陛下と王子リチャードに報告されたのは翌朝だった。
「カインも気をつけろよ」
街は危ないぞと言うリチャード。
「港は物騒ですね」
気をつけますとカインは紅茶を淹れながら微笑んだ。
最近、騎士に見張られている。
襟のバッジは赤色。
彼らは国王陛下付きの騎士達だ。
カインはリチャードに頼まれていた資料を倉庫から探しながら溜息をついた。
「何か御用ですか?」
「一人になると危ないぞ」
「そうですね」
うっかりしていましたとカインが笑うと、騎士ハリウスは眉間にシワを寄せた。
「……お前は何者だ?」
以前言われた金木犀が気になって仕方がないとハリウスが言う。
何か思い出しそうなのに思い出せない。
頭に靄がかかったようだとハリウスはカインに告げた。
「金木犀の匂いで思い出せますか?」
カインがどこからともなく金木犀の花を取り出すと、倉庫は一気に花の香りに包まれた。
「……懐かしいと思うのはなぜだろうか? 戻りたいと思うのはなぜだろうか?」
何も思い出すことはできないが何か気持ちが揺さぶられるとハリウスは困った顔した。
「教えてくれないか? 忘れているものを」
ハリウスの願いにカインは首を横に振った。
修復士のルール。
自分の正体を自ら告げてはならない。
自分が修復士だと言うことを告げずに「ハリウスは修復士ですよ」と言うのは無理だ。
「自分で思い出してください」
カインは金木犀をハリウスに手渡しながら悲しそうに微笑んだ。
「ハリウス、貴方はなぜ騎士になったのですか?」
王子リチャードを守るためにフィオナはリチャードの妹になった。
フィオナを守るためにエルメはフィオナ付きの侍女になった。
ではハリウスは?
ハリウスが騎士になったのはなぜなのか、カインはずっと疑問だった。
「リチャード様を守るため。いや、見張るため……」
見張るではおかしいな、やはりリチャード様を守るためだと言うハリウスに、カインはニッコリ微笑んだ。
「そうでしたか。ありがとうございます」
何かを納得したようにカインは頷く。
箱からリチャードが見たいと言った資料を五冊取り出すと、カインはハリウスに三冊手渡した。
腕に抱え倉庫を二人で一緒に出る。
リチャードの部屋の前でハリウスに持たせていた資料を受け取ると、カインは助かりましたと微笑んだ。
「なぜだかお前を守らなくてはと思う。何か思い出したら理由がわかるだろうか?」
「ハリウスが守らなくてはならないのはリチャード殿下ですよ」
王子付きの騎士ですから。とカインは笑った。
『見張るため』
ハリウスの言葉にカインは本の虫の正体を確信した。
ハリウスが騎士になった理由は『本の虫を見張るため』だ。
ハリウスはリチャードを守る立場ではなく、本の虫を倒すために騎士になったのだ。
本の虫はルイージ。
ハリウスが近くで見張ることができる者。
目立たず息を潜めている者。
事件の時には近くにいる者。
事件の時、同じ部屋にいることもあれば、蜘蛛に任せて自分はいない場合もある。
『本の虫』と『蜘蛛二匹』なら全ての犯行が可能だ。
三匹の動きと、記憶を持つ三人の動きのせいで、かなり物語が複雑になってしまった。
だが、もう逃さない。
もう一匹の蜘蛛はどちらだろうか?
候補者は二人。
国王陛下と宰相だ。
カインは些細な事も見逃さないように、じっくり周りの観察を続けた。
「合格……ですか?」
急に謁見の間に呼ばれたカインは国王陛下に突然告げられた言葉に目を丸くした。
「このひと月、カインがフィオナの婿に相応しいか見定めさせてもらった」
うんうんとご満悦な国王陛下にカインは苦笑した。
国王陛下付きの騎士が毎日見張っていると思っていたが、フィオナのためだったとは。
危害を加える気もなく遠くから見ているだけだったが、それにしても尾行が下手すぎるだろう!
この国は大丈夫か?
「いつも周りに目を見張り、危険がないか確認していたと報告を受けている」
宰相が報告書を捲りながら内容を読み上げていく。
お茶会以外でフィオナに会っても公私混同せずリチャードの補佐官として振る舞い、もちろん浮気もない。
国王陛下は上機嫌だ。
「ずっとルダー国の王子の方がフィオナは幸せになるのではないかと悩んでいたが、すまなかったな。フィオナを頼む」
「ありがとうございます」
カインが頭を下げると国王陛下は嬉しそうに微笑んだ。
国王というよりもフィオナの父としての笑顔だろう。
公務の時の顔とは全く違う国王陛下の笑顔にカインの黒い目が揺れた。
「結婚式の準備はどうだ?」
「はい。滞りなく」
困ったことがあればいつでも相談に乗ろうと言ってくれる宰相にカインはお礼を言った。
「王宮内に新居ですまないな」
「感謝しています」
王宮以外に住む場所を作ればフィオナの護衛に多くの騎士が必要だがその心配もない。
フィオナの生活環境も変わらないのでストレスもない。
国王陛下はフィオナのことを思っている。
そんな国王陛下がフィオナを殺そうとするだろうか?
消去法で行けば蜘蛛は宰相。
本当にこの結論で良いのだろうか……?
「陛下、一つだけお願いがあるのですが」
フィオナ姫についてだとカインが言うと、国王陛下は発言を許すと頷いた。
「フィオナ姫は昔、中央階段から落ちたことがあると言っておりました。結婚したらその階段は使用せず、東階段を通る許可を頂きたいのです」
カインの言葉に反応したのは宰相の方だった。
王族が歩く通路は決まっている。
どんなに近道があっても決められた道以外は通らないようにリチャードもフィオナも幼い頃から教育されている。
フィオナは中央階段以外は許可されていない。
部屋は中央階段から近いわけではないのだが。
「新居は東階段と中央階段の間だったな。良いだろう」
別に構わないだろう? と宰相に確認する国王陛下。
宰相は戸惑いながら構いませんと頷いた。
宰相はサラサラとメモをし、すぐに手帳を閉じる。
「ありがとうございます」
カインは深くお辞儀をしてから謁見の間を後にした。
今の世界でフィオナが階段から落ちたことはない。
王女が階段から落ちれば周りの者が処罰される。
国王陛下の耳に入っていないなどあり得ない。
優しそうな国王陛下。
フィオナのことは大切にしていそうなのに。
カインはグッと手を握った。
◇
「国王陛下が蜘蛛に憑りつかれているとは」
カインの師匠ローレルはウセキ国物語のページを捲りながら溜息をついた。
蜘蛛は国王陛下と宰相の息子セドリック。
本の虫は騎士ルイージ。
周りの者を操りながら国の政を行っていれば、戦争を起こすことも魔女狩りも容易い。
川の整備もせず災害の地に行くのは国王ではなく王子リチャード。
他国にフィオナを嫁に行かせるのも、王子の婚約者を誰にするのも国王であれば余裕だ。
宰相の息子セドリックは自由に動ける立場。
宰相では国王と同じ行動が多いため、あえて別行動ができるセドリックなのだろう。
そして本の虫、騎士ルイージ。
今まで全く目立たなかった人物。
どちらかといえばノーマークだ。
「これだけ複雑であれば当時の修復士達が帰って来れなかったのも頷けますね」
「あぁ、わかったとしても蜘蛛一匹だろう」
まさか本の虫と蜘蛛二匹がいるとは思わない。
本の虫が一匹いるだけでも正体を探るのには骨が折れるというのに。
「任せたぞ、カイン」
カインがウセキ国物語の修復を始めてからすでに三時間半。
総監グスターは両手をグッと握ると再びウセキ国物語を眺めた。
◇
「……どうかな?」
仮縫い中の真っ白なウェディングドレスを着たフィオナが照れながら尋ねると、カインは満面の笑みを返した。
「とても綺麗です」
金髪・青眼の美少女フィオナ。
まだ十五歳だがすでに女神のような美しさだ。
「へぇ~。ドレスの後ろってこんなに長いんだ」
リチャードがフィオナの後ろに回り、床に引きずるロングトレーンを不思議そうに眺めると、デザイナーは「バージンロードをゆっくり歩く姿が美しいんです!」と力説した。
「カイン、カイン!」
リチャードに呼ばれたカインもフィオナの後ろに回ると、リチャードはフィオナの背中を指差した。
フィオナの背中は大きく開いており、セクシーすぎる。
驚いたカインに気づいたデザイナーは「最近の流行です」とフォローした。
「へ、へ、変?」
振り返りながら尋ねるフィオナ。
「いえ、その、背中に手を回すと……」
照れながらフィオナの横に回り込み、腰の少し上にそっと手を置くと、予想通り素肌を触ることになってしまった。
一気に真っ赤になるフィオナとカイン。
初々しい二人にリチャードはもちろん、その場にいた侍女達も騎士達も微笑んだ。
扉から国王陛下と宰相が入室すると、エルメだけを残し、他の侍女達と王子付き騎士はスッと部屋から引いた。
代わりに国王陛下付きの騎士達が入室する。
「あぁ、キレイだな、フィオナ」
「お父様! ドレスありがとうございます」
どうですか? とフィオナが尋ねると、国王陛下は嬉しそうに微笑んだ。
純白のウエディングドレスはまだ仮縫いだが、上半身にはレースが施され、肩から手首にかけて刺繍されたイリュージョンレースが品の良さを引き立てている。
「美しい。美しいよ、フィオナ」
珍しく興奮している国王陛下に宰相は思わず振り向いた。
「いいね、ウェディングドレスは初めてだ」
綺麗だ、素晴らしいと褒め続ける国王陛下に、リチャードも首を傾げる。
「父上、褒めすぎじゃないか?」
カインはフィオナ付き侍女エルメを呼ぶと、リチャードを部屋の外に連れて行ってほしいと頼んだ。
「リチャード様、申し訳ありませんが先に執務室に戻って頂いても? エルメ、リチャード様に紅茶を」
「結婚式まで我慢しろよ」
ニヤリと笑いながら揶揄うリチャードを部屋の外へ追い出すとカインは大きく息を吐いた。
これでリチャードが巻き込まれてこの場で亡くなることはないだろう。
リチャードが亡くなれば物語が白紙に戻ってしまう。
リチャードだけは絶対に守らなくてはならない。
リチャード付きの騎士も一緒に部屋へ移動するはず。
本の虫の騎士ルイージを引き離すこともできたはずだ。
今この部屋にいるのは、国王陛下、宰相、フィオナ、騎士が三人、そしてデザイナー二人と自分。
「そういえば王妃様がお呼びでした。すみません、フィオナ姫の美しさに目を奪われてお伝えするのを忘れておりました」
「あらあら、王妃様が? 少し行ってきても良いかしら」
「はい。お願いします」
デザイナー二人も部屋を出ていく。
「宰相、フィオナの美しさは芸術だ」
「はい、将来が楽しみです」
「えぇっ、ちょっと褒めすぎっ!」
ドレスのせいで動けないフィオナがワタワタと焦ると、国王陛下は嬉しそうに目を細めた。
「私のフィオナ。さぁ、いい顔を見せておくれ」
様子がおかしい国王陛下を再び宰相が見る。
カインはフィオナを守るかのように国王陛下とフィオナの間に立った。
「カイン、いくら婚約者でも」
そこに立つのは不敬だろうと言う宰相を気にすることなく、カインは国王と目を合わせた。
「カイン?」
急に目の前にカインの背中が現れたフィオナが首を傾げる。
「必ず守ります」
カインが小さな声でフィオナにつぶやくと、驚いたフィオナは目を見開いた。




