9.エリカ・鏑木・ローランはいかにして咀嚼音オタになったのか&朝霧との顛末
「エリカ、次は大事なショーなのよ? あなた、ちゃんと痩せなさい」
私、エリカ・鏑木・ローランは中学三年生でモデルとして活動し始めた。
今は10月、クリスマス商戦を控えて、企業はたくさんのショーを行う。
服やモノを売るために、私たちモデルも忙しくなる時期らしい。
とあるブランドのショーに私は呼ばれることになった。
中学三年生で最年少、母親もモデル。
みんなの注目が集まることが確定している、大きな仕事だった。
だからマネージャーは私に注意をしたのだ。
「瘦せますよー、大丈夫ですから―」
マネージャーの言葉を笑って受け流す。
だけど、内心ではすごく怖かった。
彼女の言うように、私は少しずつ太り始めていたのだ。
私はストレスがたまるとやけ食いをしてしまう癖があった。
お肉に、お菓子に、パンにご飯、なんでも食べる。
その癖はモデルになっても抜けるどころか、むしろ加速していた。
気づいた時には、味のしない食べ物を口の中に放り込んでいた。
美味しくない。どんなに高いものを食べても。
それなのに、体はすぐに反応する。
両親の反対を押し切って自分でやりたいって言って入った世界なのに。
私はなんてバカなんだろうって自己嫌悪に陥った。
ショーまであと一か月しかない。
それなのにお腹はぽっこりして、脚はむくむし、顔はパンパン。洗練さは皆無。
このお腹を見られたら、もう終わりだろうな。
SNSであげつらわれて、ママにも怒られそう。
自嘲するけど、私はお菓子を食べ続けた。食べなきゃ、苦しくて。
ある夜のこと。
私は都合よく痩せる方法をYoutubeで探しながら、スマホをいじっていた。
そこで私は「【おひとり様歓迎】一緒にたべよう! 夕ご飯ASMR&ちょっと雑談」というライブ配信を発見した。
ASMRって何だろう。
初めて聞く言葉だ。
『今日はご飯を食べるASMRをします。今日の晩御飯は私が自炊したもので……』
画面の向こうには質素な夕食が映っていた。
白いご飯にお味噌汁、卵焼き、魚の塩焼き、お漬物みたいなの。質素。
その傍らにはVTuberのアバターがあって、彼女が食べるらしい。
『それじゃ、頂きます。……んぅ、美味しい。卵焼きには自信があるんですよね、えへへ』
彼女は一人で喋りながら、ゆっくりと食べていた。
時折漏れる、「美味しい」って言葉に心惹かれる。
思わずワイヤレスイヤホンを取り出して、両耳にはめる。
食べ物をかみ砕く音、喉を食べ物が通る音がダイレクトに聞こえてくる。
お漬物を嚙む音がすごい。
どうやって録音してるんだろうか。
食べるときに、こんな音がしたんだっけって感動してしまう。
『白ご飯、つい、食べ過ぎちゃいますよね。美味しくて。本当に農家の方には感謝してもしきれません』
自分のことを振り返る。
私はずっと食べ続けてきた。
ストレスを解消するために、不安を消すために。
でも、食べたことがまたストレスになっていく。
だけど、スマホの向こうの彼女は違った。
食べることを楽しんでいた。感謝していた。
『ごちそうさまでした。えっと、お魚はちょっと焦げたんですけど、美味しかったです。あ、お水飲みますね』
動画を一時停止。
私も彼女と一緒のタイミングで水を飲んでみることにした。
動画を再開すると、ごくごくと喉を通過する水の音が耳から入って、お腹まで到達する。
あぁ、私は水を飲んでるんだって思った。
当たり前なのに。
私は今まですごくワガママだったんだなって気づく。
食べ物でストレスを解消しようなんて、ひどい話だ。
悠木ゆめめ。
私もこんな人になりたいって思った。
誰かにプラスの影響を与えられるような、そんな人に。
生まれて初めて、憧れる人を見つけた。
胸の奥に詰まっていたものがストンと落ちたような気がした。
その日から私は食べ過ぎなくなった。
何かを食べる時には、いつも彼女のASMRを聞いて、一緒に食べる。
水を飲む時にも、彼女と一緒に水を飲む。
悠木ゆめめっていう人が本当に生きていて、私と一緒に存在しているんだって思うと、幸福感に包まれた。
そして、もう一つの感覚が私の中に芽生えた。
悠木ゆめめと一緒に食事をすると、ぞくぞくするのだ。
彼女の咀嚼する音に、彼女の嚥下する音に。
私は今まで感じたことのない快感を覚えていた。
幸福感よりも、もっと強い感覚。
耳から伝わってくる音が体の芯まで響いていくような。
まるで私自身が食べられているような。
「エリカ、いい感じに仕上げたわね。がんばってきなさいよ!」
マネージャーが嬉しそうな顔で褒めてくれる。
一か月が過ぎるころには、私の体重はベストなものになっていた。
ただし、胸とお尻にお肉が残ってしまったのは心残りだ。
ショーモデルはまだまだ細さが重要視されていて、グラマーな体型のモデルには需要が少ない。
でもいいや、私は私の体が好きだし。
実際、ショーは大成功。
ニュースにもなって、けっこう嬉しかった。
どれもこれも、悠木ゆめめちゃんのおかげだった。
高校生に入ると仕事の質を変えた。
SNSに参戦して、自分を自分で売っていく方向に切り替えたのだ。
私はもうブレないって思った。
悩んだときには悠木ゆめめちゃんの配信があるから。
彼女のASMRを聞いて、一晩眠れば絶対に大丈夫っていう確信があるから。
悠木ゆめめは、私にとって友だち以上に大切な存在になっていた。
それに私には夢ができた。
悠木ゆめめちゃん、本人に会うことだ。
芸能活動を続けて有名になっていけば、画面越し以外でも彼女に会えるかもしれない。
そして、私は自分の名前を呼んでもらうのだ。エリカって。
それはきっと、がんばった自分へのご褒美になるはずで。
そんな時、彼女に出会った。
実を言うと、気にはなっていた。
私の小学生時代の友人である、朝霧透子が話しかけていたから。
名前は藤咲ゆうな。
背の小さな、かわいい子っていう印象だった。
キレイな目をしていて、素直そうな、小動物みたいな女の子。
でも、最初の頃は気づかなかった。声も小さいし。
だけど、彼女が私の渡したジュースを飲んだとき、それは起こった。
液体が彼女の喉を通っていく音!
それは紛れもなく、何度も何度も聞いたあの音だった。
みんな同じだろうって思うかもしれない。
だけど、飲み方は人によってだいぶ違う。
悠木ゆめめの飲み方は私の耳に染みついている。
私が何回、一緒に水を飲んできたって思ってるんだ。
「藤咲ちゃん、今からご飯? じゃあ、一緒に食べようよー、学食いこ!」
私は真実を確かめるために、彼女を昼食へと連れ出した。
そして、確信した。
彼女、藤咲ちゃんは悠木ゆめめ本人だ。
どうしよう。
誰も気づいていないのだろうか。
いや、藤咲ちゃんは素性を隠してVTuberをしているのだ。
ここで私が騒いだら、絶対に落胆するだろうし、悪くいけば活動停止だ。
彼女のASMRがなければ私は生きていけない。
私は自分の欲望を抑えきれず、彼女のお弁当ASMRを生で頂くことにした。
彼女が食べているのをおかずに白米を食べるのだ。
おかしいって思われるのは百も承知だ。
だけど、止められなかった。
なんでだろう、悠木ゆめめのASMRって悪い薬でも入ってるのかな?
彼女の「いただきます」だけでご飯がおいしい。
「藤咲ちゃん、私のこと、……エリカって呼んでくれない?」
欲深い私は野望の実現に動く。
名前で呼んでもらうのだ。
悠木ゆめめに名前で呼んでもらいたい。
「エリカぁ、あんた、何やってるのよ?」
しかし、その夢は寸前で潰えてしまう。
朝霧透子が現れたのだ。
熱があるのは本当らしく、点滴をしていた。
あの子、家が病院だから、親に打ってもらったんだろうか。いいところで。
「もー、とーこ、大げさすぎ。びっくりしてるじゃん。私たち、もう仲良しだもんね。ゆうなちゃん?」
「へぇー? ゆうなちゃん?」
藤咲ちゃんを名前呼びすると、透子の目つきが変わる。
私は確信する。
あぁ、透子、気づいてるんだなって。
藤咲ちゃんが悠木ゆめめだってことに。
私がASMRにはまってるって言った時には、知らんぷりだったくせに!
藤咲ちゃんを独占しようとしている透子に腹が立ってきた。
透子は嫌いじゃない。馬が合うと思う。
だけど、ここは譲れない。
「あ、あの、二人とも……やめてください!」
取っ組み合いのケンカになりそうになった私たちを止めたのは、藤咲ちゃんの言葉だった。
「あの、二人とも、よければ、私をゆうなって呼んでください。……透子さんも、エリカさんも」
だって、だって、だって!
私を名前で呼んでくれたんだもの!
あぁ、生きててよかった!
藤咲ちゃん、悠木ゆめめ、好き!
「ちょ、いきなりだよぉ」
気づいた時には鼻血が出ていた。
ものすごい早いパンチでももらったかのように。
彼女の声はすごい破壊力だった。
◇ 朝霧さんと鏑木さん、停戦後のやりとり
「で、あんた、いつから気づいてたの?」
「ふふー、こないだ藤咲ちゃんにいちごみるくあげたでしょー? その時に藤咲ちゃん、ごっくごくジュースを飲んだじゃん?」
「飲んでたかしら?」
「飲んでたよー。あんなにエロい飲み方するの、悠木ゆめめだけだからー」
「エロいとか言うな! ゆめめ様は清楚で売ってるのよ! いや、売るとかじゃなくて存在自体が清廉潔白、神聖な存在なの! 藤咲さん見てたらわかるでしょうが」
ケンカをした責任を取って、私は透子を彼女の家まで送っていった。
ベッドに横たわった彼女と少しだけ会話をするつもりが、思いのほか弾んでしまう。
っていうか、透子、熱があるのに血圧あげすぎだと思う。
「えー、だってすごいんだよ? 悠木ゆめめの食事ASMRってさぁ、そっちの界隈には有名なんだからー! ちゅぱ音がエロいって」
「ちゅぱ音とか言わないで! ゆめめ様は甘々ささやきとか、寝る前マッサージASMRが至高なのよ? お食事系も嫌いじゃないけど、それはあくまで余興でしょうが!」
「意地っ張りなんだからー。ほら、これでも聞いてみてよー?」
私は透子の耳にワイヤレスイヤホンを突っこむ。
そして、聞かせてあげるのだ。
珠玉の咀嚼音・嚥下音ライブラリを。
「……う、うそでしょ、音だけだとなんだかいやらしく感じるわ。私のゆめめ様のイメージが……。あ、頭がおかしくなる。で、でも、これは私に熱があるからだわ! きっとそう!」
「だったらこれー! はい、ゆめめちゃんと一緒に水を飲んでみてー」
「は? 一緒に飲めですって? なんでそんな変態みたいなこと」
「いいから!」
「……ごきゅ。……これは!?」
かくして、私は透子の咀嚼音ASMRの扉を開くのに成功したのであった。
ようこそ、こっちの世界へ!
「透子、風邪、ちゃんと治しなよー!」
「エリカ、あんた、抜け駆けしたらタダじゃおかないからね! それと……」
「わかってるよー、藤咲ちゃんの秘密は絶対に漏らさないからー」
「約束だからね。破ったら魚の方のハリセンボンを飲ますわよ、比喩じゃなく」
「あはは、こわいよー」
笑いながら、透子の部屋を出る。
最後の会話で、完全に打ち解けたのを感じる。
透子は藤咲ちゃんのことを大事に思ってるんだなって気づいた。
私も同じだと思う。
藤咲ちゃんの秘密は二人で守っていかなきゃ。
あぁ、早く明日が来ないかな。
藤咲ちゃんに早く会いたい。
彼女のことを思うと、胸のあたりがぽかぽかする。
これって……。
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