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お針子たるもの

作者: 河辺 螢

 下町の小さな仕立て屋「一針の幸福」、若い店主アーヴェが一人で切り盛りする店だ。

 着心地よい服が並び、修理もリフォームもオーダーメイドも何でも受け付けている。


 時折裏手に馬車が止まり、お忍びでやってくる貴族が夜会のドレスを依頼しているともっぱらの噂だ。

 ドレスなら王都の本通りの一流店で名の知れたデザイナーが何人ものお針子を雇って作るものだ。こんな裏通りの小さな店では質の良い生地やレースだって用意しようがない。見栄を張った貧乏貴族の依頼を受けたのが曲解されているのだろうと言う人もいたが、当の本人アーヴェはその噂を肯定も否定もせず、いつも笑顔で聞き流していた。


 すぐに終わる簡単な修理は店先で直すが、滑るように動く指の動きはなめらかで、目立たないように直すのも、あえて装飾で塞ぐのも意のまま、その腕は確かだ。

 しかし貴族らしき人からの依頼があった時はいつも店を閉めた後で作業していて、誰も作業している所を見たことがなかった。どこかの店で仕入れたものを少し形を変えて売っているのではないかなどと噂する者もいたが、実際のところよくわからない。しかし苦情が来ている様子もないので、それなりの仕事はしているのだろう。



 王城の夜会が開かれる二か月前に馬車がやってくると、その日からアーヴェは午後三時には店を閉めてしまい、店の二階にある作業場に引きこもるようになった。よほど布が堅いのか、指貫(ゆびぬき)をなくしたのか、どの指にも包帯が巻かれていて、心なしかやつれている。

 いったい何を頼まれたのか、誰が聞いても答えることはなく、

「秘密の注文なので」

と笑顔を向けるだけだ。



 友人のパン屋の娘ノーマが碌に食事もしていないのではないかと心配して、時々家のパンを持って行くが、集中しているのかノックをしても返事がない。しかし留守にしているわけではなく、暗くなれば明かりがつき、その明かりは夜遅くまで消えることはない。

 裏口にパンの入ったバスケットを置いておくと、翌日には店にバスケットを返しに来てくれる。

「返事くらいしてよねー。死んでても気がつかないよ?」

「ごめんごめん、期限が近くてね。大変なのよ」

 本当に大変なのだろう。目の下に隈ができているが、本人は楽しそうなので何も言えなかった。



 アーヴェが作っているのが本当にドレスだったら。

 何度も依頼が来るくらいだ。きっと素晴らしい出来なのだろう。誰の作品とも語られることなく夜会でお披露目されるドレス。街の住民にドレスの噂など届くことはないが、少なくとも周囲の貴族が身に着けているドレスに引けを取らない出来に違いない。

 見てみたい。

 そう思ったのは、ノーマだけではなかった。


 その日の夕方、ノーマが差し入れのパンを持って行くと相変わらず返事はなかったが、ノブを回すとかちゃりとドアが開いた。

 鍵をかけ忘れるなんて滅多にないのだが、不用心でそのままにしておけない。声をかけておこうと一歩足を踏み入れると、背後から誰かが近づいてきた。

 丈の長いローブを着て頭からフードをかぶっている。姿を隠しているのだろうが、街にこんなローブを作れるほどの金持ちはおらず、余計に目立つ。お付きの人までいるので、高貴な人のお忍びと思われた。


「あなた、…アーヴェさん?」

 透き通る美しい声で話しかけられた。思ったより若いようだ。

「いいえ、友達です」

「そう…。アーヴェさんにお会いしたかったのだけど、お留守かしら」

「多分二階で作業をしていると思うんですが…。聞いてきましょうか?」

 薄暗い店内に入ると、ローブの人とお付きも一緒に入って来た。奥のドアを開けると階段があり、二階は作業場兼住居。注文のない時ならよく遊びに来るのだが、製作に追われている時は遠慮している。

 ローブの人は二階にもついて来ようとするので、

「こちらでお待ちください」

と声をかけたが、

「あら、大丈夫よ」

 何が大丈夫なのかはわからないが、待っている気はないようだ。後ろのお付きの方が遠慮がちだが諦めている。ご主人は押しの強いタイプらしい。


 作業室のドアには隙間があり、光が漏れていた。細かな手作業をしているので早くから明かりをつけているのだろう。

 ノーマはアーヴェに声をかけようとしたが、ローブの人に

「しぃっ」

と制止された。ローブの人はするりと前に出るとドアの前にしゃがんで隙間に顔を近づけた。

 そんなことをされると、見てみたくなるのが人情だ。

 ノーマも遠慮なくローブの人の上からドアの向こうを覘き込んだ。高貴な人の上を取るなど本来なら失礼この上ないが、不機嫌なのはお付きの人だけで、ノーマは気付かず、ローブの人は気にしていないようだ。


 そこは華やかに荒れ果てていた。

 何種類もの黄色や白色の布が巻かれて立てかけられ、長く引き出されたままだらりと垂れているものもある。絨毯の上にも布、箱に入った糸やボタンなどの小物、黄色とオレンジのリボンにレース、細やかな細工のバラの花を模した造花が籠に山と積まれ、床には布の切れ端や糸くず、ほこりと化した布のなれの果てが散乱している。

 トルソーにはほぼ出来上がっているように見えるドレスが着せられているが、その前に椅子を置いて裾を持ち上げるアーヴェは、いつもと様子が違った。

「リボンよ、リボンをこう花の形にしながらパイピングにつなげて…、んぐ! そうよ、ここから少し色を変えて…っ! 痛っ! じゃなくてこう…、そうそう、こうよ! ぐふふふふ」

 やたら独り言が多く、どうしてしまったのか頻繁に指に針を刺し、悲鳴を上げながらも楽し気に、…というより取り憑かれているかのように手を動かしている。

 手の包帯は解いていて、指貫はしていない。あれでは針を刺しまくりだろう。

 いや、あれほど針を刺していたら、大切な依頼品のドレスに血がついてしまうのではないだろうか。

「ああ、血が!」

 ローブの人がドアを開けて部屋に入り込んだ。慌ててノーマが止めようとしたが、手をすり抜けてドレスのところに駆け寄り、アーヴェの持つドレスの裾に目をやったが、

「…ついていないわ」

 見ると、ドレスにも、アーヴェの指にも血は全くついていなかった。


 侵入者に驚きながらも、アーヴェの手は止まらなかった。

 よそ見をしたせいで二人の見ている前でブスリと指に刺さった針、

「いっ!」

 しかし手は止まらず、ぷっくりと丸まり垂れそうになった血は目の間で消えていった。

 その消え方は、まるで針が血を飲んでいるかのようで…

 その数秒後、アーヴェの手の動きは激しくなり、リボンを使って描いたバラの花がドレスのすそに満開になって広がった。

「そう、これこれ! これをやりたかったのよ!」


 アーヴェは侵入者よりもドレス製作に夢中になっていた。目の前で繰り広げられる細やかな細工と斬新な手法、そしてぶすぶすと遠慮なく指を刺し、働き続ける針。

 裾の仕上げが終わり、ようやく針山に針が突き刺された。

 肩をぐるぐる回して一息つくと、アーヴェはノーマの隣にいるローブの人に笑いかけた。

「心配しなくても大丈夫です。期日には間に合わせますから」

 ローブの人は少し顔を引きつらせながら、

「え、ええ、…そ、そうね。楽しみに…してるわね」

と答え、お付きの人にうなずいて合図すると、差し入れらしきお菓子を置いて帰って行った。

 どうやら彼女が依頼主だったようだ。


 二人だけになり、ノーマは血は出てはいないが穴だらけでささくれたぼろぼろのアーヴェの手を見て、

「こんなことしてたら、指が動かなくなっちゃうわよ」

と叱ったが、

「大丈夫。むしろ腕は上がってるのよ」

とけろっとしている。

 針山の上に刺さる針。一見普通のただの針だが、黒光りし、時折虹色の光が走る。

「それ、『魔女の形見』?」

 昔この街には魔女がいて、いろいろな魔道具を作っていたという。魔女が亡くなった後、そのほとんどは貴族が買い占めたと聞いているが…

「『魔女の形見』かどうかは知らないけど、いつもドレスの発注の時には奥様が布や材料と一緒にこの針を貸してくださるの。血を吸われるけど、自分のイメージを思い浮かべてこの針を持ち、指を動かすと思った通りのものができるの。しかも次からは普通の針でも同じものが縫えるようになってるのよ。奥様は何人かのお針子に針を貸したけれど、使いこなせた人はいなかったんですって」

 にたーっと笑ったアーヴェはまた新しい何かを思いついたらしく、指を何度もぐっぱっぐっぱっした後、例の針を手に取った。

「花飾りの下、刺繍で葉っぱを描こうかしら。…それよりも別の布に刺繍して、立体的に添えて…緑じゃ目立つわね。…黄緑、…いっそ白とか」

 針に白い糸を通すと、白い布に白い刺繍を始めた。ブスリと指を刺した針が血を吸い取ると、後は猛烈な勢いで葉を刺繍していく。黄色の糸に変え、薄い黄色、少し濃い黄色、とグラデーションを施し、ノーマの目の前で葉の形の刺繍が出来上がった。

「フフフ、よし、これをあと五枚…」

 針に心を囚われているような、そんな恐ろしさをノーマは感じた。

「あんた…、大丈夫?」

 しかしアーヴェは取り憑かれているのを楽しんでいるとしか見えない。

「こんな素敵なものを作れるようになれるのよ。少々痛かろうが何? 血でよければいくらでも! お針子たるもの、腕があってこそでしょ?」

 そういえば、アーヴェは小さい頃から凝り性なところがあった。針のせいというより元々の性分、むしろ針と意気投合している。だからあの針を使いこなせるのか。何となく納得がいった。


 ノーマは机の端にパンの入ったかごを置き、

「ちゃんと食事を取って、鍵は閉め忘れないようにね」

 その言葉は既にアーヴェの耳に届いてはいなかった。



 数日後、無事ドレスは納品された。

 今回は奥様の二番目のお嬢様がお召しになる品だ。

 針はドレスと共に引き取られたが、残った素材は報酬とは別にアーヴェに与えられた。

 子供のドレスや小物に仕立て、店に並べるとすぐにどこぞの金持ちが買って行った。今、黄色のドレスが流行っているらしい。



 夜会で婚約発表した公女の纏う美しい黄色のドレスは、そのあまりの美しさに誰もが羨みながらも、誰も注文することはできない。唯一の逸品だ。

 その依頼先は公妃しか知らない。








お読みいただき、ありがとうございました。


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