第3話: 星詠みと猫の宿
第3話|星詠みと猫の宿
星が近い。そんな気がして、レイは思わず空を仰いだ。
薄明かりの下、草の香りが夜風に乗って流れてくる。見上げた空は深い紺青に染まり、星がまるで息づいているかのように瞬いていた。
「……静かだな」
レイが小さく呟くと、すぐ傍でくるりとしっぽを巻いていた黒猫――シャドウが、片目を開けてこちらを見た。
「静かなうちに、あんたの宿決めなきゃね。今日は“星祭”だし、どこも満員だよ」
そう言ったのは、猫耳剣士の少女・ミルだった。肩のあたりまで伸びた銀の髪が風に揺れ、猫の耳がぴくりと動く。
彼女はすでに村人たちの中心で“剣舞”を披露してみせていたことで、子どもたちに大人気となっていた。今はレイの隣で、空を見上げながら少しだけ緩んだ表情を見せている。
「宿なら“星猫亭”がいい。巫女さまもそこにいるはず」
「星猫亭?」
「猫がいっぱい出入りする、古い旅籠だよ。星詠みの巫女がいる宿って、旅人の間じゃ有名なんだ。……ちょっと変わってるけど、いい人だよ」
「巫女って、星を読むってことは……予言?」
「近いけど違う。星の“音”を聴くんだって」
ミルの言葉に、レイは一瞬、空に浮かぶ無数の星を見つめ直す。あの輝きに“意味”があるのだとしたら――自分は何の星の元に生まれ変わったのか。
しばし歩くうちに、赤い提灯が揺れる一軒の宿が見えてきた。古びた木の建物には、丸い猫の意匠があちこちに彫られている。
入口の上には、小さな看板がぶら下がっていた。
《星猫亭》
「ほんとに、猫が出てきそうだな」
「出てくるよ。たぶん三匹くらいは先客がいる」
扉を開けた瞬間、香ばしい焼き魚と薬草茶の香り、そして――ふんわりとした、どこか懐かしい空気がレイを包んだ。
「……いらっしゃいませ」
迎えたのは、薄い桃色の巫女衣を纏った少女だった。ミルより年下に見えるが、その瞳には静かな光が宿っている。
「あなたが……レイ、ね。星が、ざわめいてた」
巫女はふと手を伸ばし、レイの胸のあたり――星印がある位置をそっと指先でなぞった。
「貴方は、“欠片”を連れてきた。星神の欠片を」
その言葉に、シャドウのしっぽがびくりと震える。
レイの中で、何かが静かに軋んだ。
「欠片って……なんの話だ?」
レイが問いかけると、巫女の少女はまっすぐに見上げてきた。年齢はおそらく十二、三歳ほどだが、その視線は何百年の記憶を抱えているかのように深かった。
「この世界にはね、遠い昔、星神たちが残した“光の欠片”が散らばっているの。あなたの中には、それがひとつ……目覚めかけている」
「星神……」
聞き覚えのある単語だった。あの、転生の際に現れた“神”――ルミア=エトリアと名乗った存在が語っていた言葉だ。
『星神の記憶を継ぎし者』
あの時、自分の胸に埋め込まれた淡く光る星の紋。
「あの紋……星印のことか」
ぽつりと漏らすと、巫女の少女は小さく頷いた。
「私は、星詠みの巫女“ネリィ”。この宿の世話もしてるけど、本当は……星の響きを聴くために、ここにいるの」
彼女はそう言って、木造の廊下をとことこと歩いていく。ミルがそれに続き、レイとシャドウも後に続いた。
宿の奥、小さな中庭へ出ると、夜空が開けていた。水鏡のような浅い池があり、その真ん中に、一本の“星灯樹”が植えられていた。
葉がきらきらと光を反射し、まるで星が地上に降りてきたかのような幻想的な空間だった。
「この木の下で星を詠むのが、私の役目。今夜は、“星の通路”が開く夜だから……特別に、あなたの星を見てみる」
「……やってみてくれ」
レイはゆっくりと息を吐き、木の下に立つ。ネリィは小さく祈るように手を組み、短く詠唱を口にした。
――響け、空の旋律。
――巡れ、光の印。
その瞬間、池の水面が揺れ、星灯樹の葉が淡く鳴った。空に浮かぶ無数の星々が一筋の線を描き、その中心に、レイの頭上で星が強く瞬いた。
「……すごい、こんなの……初めて」
ネリィの声が震える。彼女の瞳には、レイの中にある“星神の欠片”が共鳴し、夜空の星と繋がっているのが見えていた。
「あなたの星は……“空白”を孕んでる。まるで“未来が未確定”みたいな、異物……」
「俺は、外の世界から来た」
レイは自らの“転生”の事実を、初めて他人に口にした。ミルが少し驚いた顔をしたが、何も言わなかった。
「世界の法則に従わない存在……でも、星は、あなたを拒んでない。むしろ……」
ネリィは一歩、レイに近づくと、そっと耳打ちするように囁いた。
「あなたの星は、“星神フィル=シエラ”と共鳴している……もし、その欠片が完全に目覚めれば、世界が再び“揺れる”」
レイの胸の奥で、光が脈打つ。
その時だった。宿の外から、鈍い轟音が響いた。
「……今の音……外だ!」
ミルが鞘から剣を抜く。レイもすぐに動いた。シャドウがしっぽを逆立て、窓の外を睨みつける。
「見覚えのある魔力だ……厄介な客が来たな」
「誰だ?」
レイが問うと、シャドウが低く答えた。
「“闇印の者”。……星神を否定する連中さ」
レイが外に飛び出すと、村の夜の静寂はすでに破られていた。
星祭の装飾が飾られた広場、その中央に立つのは黒いローブの男たち。顔の半分を仮面で覆い、胸には、星印を潰したような黒い渦の印が刻まれている。
“闇印”。星神信仰を否定し、禁術や虚印と呼ばれる魔印を使う、反星神思想の集団。かつて神と敵対した者たちの残党とも、星を喰らう者とも言われる、影の存在。
「よくもまあ、こんな夜に来やがったな」
ミルが剣を構えながら言った。風が巻き起こり、彼女の猫耳がぴくりと揺れる。
「貴様が……異物か」
男たちのうち一人が、レイを見て言った。その声はまるで複数の声が重なっているかのように、奇妙な響きを帯びていた。
「異物で悪かったな」
レイは静かに手を掲げる。指先に魔力が集まり、時空の流れがほんのわずかに“ずれた”。
シャドウがその隙を逃さず、影から飛び出す。
「お喋りはここまでだ、“闇のくず”ども」
シャドウの爪が地を滑ると同時に、男たちの足元に影が広がった。
「影縫い、起動」
動きが封じられた一瞬、ミルが前に出る。風が彼女の足元から舞い上がり、剣に乗って渦巻いた。
「風牙斬!」
鋭い風が斬撃に乗り、男の仮面を吹き飛ばす。中から現れたのは、人間とは思えぬひび割れた灰色の肌と、赤い三つ目。
「……魔族かよ」
「“仮面の使徒”だね。あれは……闇ギルドに属してる連中」
ミルが短く吐き捨てるように言った。
数は五対三。だが、この程度の差は、今のレイたちにとっては不利ではない。
レイは右手を掲げ、意識を集中させた。
「クロノ・ゲート、展開――」
時空魔法の陣が足元に広がる。魔力が暴れるように空間を裂き、瞬間的な加速の“穴”を生み出す。
その一瞬の加速で、レイは敵の背後を取った。
「時断閃」
斬撃が、男の時間そのものを“切断”する。動きが一瞬、途切れた。
その隙に、ミルの剣が振り下ろされる。
シャドウが別の敵の喉元を突き、ミナが――どこから現れたのか、ぽてんと跳ねて頭上に落ちた。
「ミナ!? 危ないって……!」
レイの声に、ミナはむすっとして言った。
「ここ、守る。星の音、泣いてたから」
その言葉と同時に、星灯樹がふわりと輝き、宿の上空に星の紋章が浮かんだ。
闇印の者たちがその光に焼かれるように呻き、撤退の気配を見せ始める。
「星印が……星神の加護が発動した!」
ネリィの声が響く。
レイたちの連携によって、闇の襲撃はひとまず退けられた。
星の下、再び静寂が戻る。
「……敵が動き出したってことだな」
レイの声に、シャドウがうなずいた。
「星神を継ぐ者が目覚める。それを恐れて、動きが早まった。これは……始まりに過ぎない」
レイの胸の中で、星印が静かに光を放っていた。
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