第1話:「冒険者登録と“剣の音”」
フレル領の南端にある町、ロドナ。王都のような華やかさこそないが、冒険者ギルドや魔道商会、薬草市場などが集まる、そこそこ栄えた拠点都市だった。俺は今、そのロドナの中央通りに立っていた。昨日、屋敷の執事から「最低限の自立訓練」として外出許可をもらい、馬車に乗せられてきたのだ。同行者はシャドウ。ただの黒猫として扱われているが、俺にしか言葉は聞こえない。というか、本人は完璧に人語を操るくせに、外では猫ムーブを貫いているのが腹立たしい。
「まーたニヤニヤしてんな、おまえ」
「仕方ないだろ。この世界の空気って、ワクワクするじゃん。特に“初ギルド登録”って、まさに物語のはじまりって感じだしな」
「おまえ、何目線だよ」
そんなやりとりを交わしながら、ギルドの扉をくぐる。建物は木と石で作られた二階建て。大きな掲示板にクエスト用の紙が貼られ、冒険者らしき人々がざわざわと立ち話をしている。カウンターには制服姿の女性が一人。見た目は若いが、目つきは鋭く、どこか実務的だ。
「冒険者登録かしら? 身分証と推薦状があればすぐに処理できるわ」
「フレル男爵家の三男、レイ・フレルです。これが身分証と推薦状です」
書類を渡すと、受付の女性は目を丸くした。
「珍しいわね。貴族が冒険者になるなんて」
「家では継承権がないので、修行の一環です」
「ふぅん……まあ、下っ端よりは真面目そうね。じゃあ登録するわね。ランクは仮F級からスタート。まずは実技試験で基礎能力を測定することになるけど、大丈夫?」
「問題ないです」
シャドウが足元で軽く尻尾を揺らした。試験?上等じゃないか。魔力量測定を“破壊”した俺に、どんな基礎試験が通用するのか見せてもらおう。
通された裏庭は、訓練用の広場になっていた。木製の人形、的、剣や弓の模擬武器が並び、魔導陣で囲まれた測定器もある。対面に立ったのは、銀髪の剣士だった。細身の体に軽鎧をまとい、腰には細剣。猫耳が頭にぴょこりと生えていて、長い尻尾が背後に揺れている。
「はじめまして、テスターのミルよ。実技試験では、私と模擬戦をしてもらうわ。遠慮は無用。怪我しない程度に、全力でいらっしゃい」
そう言って、ミルは一歩前に出る。――そして、剣を抜いた。刹那、空気が変わった。優雅なはずの細剣が、音を残して風を裂く。軽いのに、速い。美しいのに、怖い。間違いない。この人、強い。
「いいのか? おれ、まだ木剣すら握ってないけど?」
「いいわ。あなたの動き、見てみたいもの。――それに、気になるのよ。あなたの中に“なにか”が、眠ってる気がするから」
その瞬間、ミルの目が、猫のように鋭く細くなった。
「へぇ……おまえ、面白い女だな」
シャドウが笑った。俺は深呼吸して、模擬剣を握り直す。
「じゃあ――いくぞ」
ミルが動いた。細剣が風を裂き、一直線に俺の肩口を狙ってくる。無駄のない踏み込みと流れるような身のこなし。剣士としての基礎がすべて染みついた“本物の動き”だった。俺はとっさに体をひねり、木剣で受け流す。重さは軽い。だが、手に伝わる衝撃はしっかりしている。
「悪くない反応。でも――!」
ミルが足を軸に回し、連撃に移る。斬撃は速度と緩急で翻弄してくる。まるで舞うような剣技。それを見切るだけでも精一杯だったが、俺の身体は不思議と動いた。もしかすると、転生時に受け取った“時空の力”が反応しているのかもしれない。予測というより、一瞬だけ“先が見える”。そして次の刹那、脳裏に“ひらめき”が走る。
(ここで、踏み出す)
一歩踏み込み、重心を崩さずに斜めへ抜ける。結果、ミルの攻撃を空にさせ、その腕の軌道を封じるように木剣を差し込んだ。寸止め。ギリギリで止めたのに、木剣の先端はミルの首元すれすれにあった。
「……!」
猫耳がピクリと震えた。ミルは驚いた表情を隠そうともせず、細剣を納めた。
「……試験、合格。文句なしよ」
場に張り詰めていた空気がふわりとほどける。周囲で見ていたギルド関係者たちがどよめいた。
「いまの見たか?あの猫剣士相手に――」
「本気出されてたのか?いや、あの距離感で反応してたし……」
ミルは一歩前に出て、俺の顔をまじまじと見つめる。
「あなた、どこかで訓練を受けていたの?」
「いや、体が勝手に動いたって感じで。……ま、強いて言うなら、神さまから“力をもらった”ってとこかな」
冗談っぽく言ったつもりだったが、ミルの表情が一瞬だけ固まる。
「……そう。なるほどね。そういうこと」
どうやら何か“感じ取られた”らしい。猫耳剣士って、勘が鋭いのか?
そのとき、ギルド職員が近づいてきた。
「レイ・フレル様、実技試験は正式に合格と認定されました。仮F級からD級へ即昇格、特例待遇となります」
「D級って、そんなに上なのか?」
「はい、通常は数ヶ月~一年かけて昇格するものですが、模擬戦評価と魔力量の記録により、ギルド長判断で特別処置となりました」
……つまり、チートバレしたけど“すげえって認められた”ってことらしい。悪くない。
「ふぅん。さすが星神の継承者、ってやつだな」
シャドウが小声で笑う。ほんと、こいつはどこでも口が悪い。
「それで……」
ミルが俺のほうに身を寄せてきた。
「良かったら、しばらく私と一緒に任務をこなしてみない?」
「……え?」
「初心者がいきなり上級者扱いになるのはリスクもあるし。ほら、猫同士、波長が合うって言うでしょ?」
「いやいや、俺は猫じゃないから」
「いいの。私は“気になる人”と一緒にいたいだけ」
ミルはさらっと、とんでもないことを言った。シャドウが後ろで「ほぉ〜」と茶化すような声を出す。
「……いいのか、そんな簡単に?」
「いいのよ。だって、あなた……私と同じ匂いがするもの。何かを背負って、この世界に来た匂い」
そう言ってミルは、俺に手を差し出す。
俺は少し迷ってから、その手を取った。
ギルドの登録が終わった後、ミルの案内でギルド内の休憩スペースに移動した。木造の広々とした空間に、小さなカフェのような設備が整っている。壁には簡単な任務リスト、掲示板には「新人向け依頼」や「期間限定討伐」などの札が並んでいた。シャドウは椅子に座る俺の膝の上に堂々と陣取り、毛づくろいをしている。
「レイ、あんた……本当に“何もしてない”の?あの動きと魔力量、ただの素人には見えなかったわよ?」
ミルがカップを揺らしながら問いかけてくる。彼女の視線は鋭いが、どこか不安定なものも含んでいた。
「正直に言うと……この世界に来る前に、ちょっと変な場所で“神様”と出会った。名前はたぶん“ルミア”だったと思う」
その名前を出した瞬間、ミルの指先が止まった。カップの中の液面がわずかに波打つ。
「ルミア……時空と秩序の神。創造の光の名残……」
「おまえ、知ってるのか?」
「知ってる、というか……猫族の神殿で伝えられてる“始まりの調律者”。星神が砕け、世界が壊れそうになったとき、最後に欠片を託した存在。……でも、それは神話の中の話だったはずよ」
神話。それが現実になっているというのか。俺の胸の奥で、微かに何かが反応した。ルミアが言っていた“欠片”。あれが俺の中にあるというなら、それがこの先の何かと繋がっていくのだろう。
「じゃあ、おまえも“神”に関係あるのか?」
「私は……猫神ネルに仕える家系で育ったの。でも今は……そういうものとは、ちょっと距離を置いてる」
そう言って、ミルはそっと自分の胸元に手を当てた。その下に、何か大切な“秘密”が眠っているように感じた。
「だったら、ちょうどいいじゃないか。猫神と星神、黒猫と猫耳。悪くない組み合わせだろ?」
シャドウが飄々とした声で言う。あまりにも軽い口調なのに、不思議とその言葉は的を射ていた。
「ねぇレイ、これから一緒に依頼を受けていくつもりなら、最初にパーティ登録をしておいた方がいいわ。ギルド的にも“チーム”として扱われた方が、報酬や任務の幅が広がるし、信用もつく」
「わかった。じゃあ……やるか、“契約”」
カウンターに戻り、ギルドの登録端末に手を置く。ミルも隣に並び、二人の名前が魔導印に刻まれていく。星を模した紋様が淡く光り、契約の成立を告げた。
「これで、正式に“パーティ”ね。よろしく、レイ」
「こちらこそ、ミル」
そのとき、俺の足元でシャドウがくるりと一回転した。
「んじゃあ俺も――」
「おまえはペット扱いか?」
「いや、れっきとした“神具従魔”なんだが……」
「正式契約はまた別にしよう。儀式とか必要そうだし」
「ちぇっ」
文句を言いながらも、シャドウは満足そうに尻尾を揺らしていた。外はすでに夕方。ギルドの窓から差し込む橙の光が、俺たち三人の影を長く伸ばしていた。
猫耳剣士と黒猫従魔と、転生した三男坊。まるで冗談みたいな組み合わせ。でも、それが俺にとっての“最初の仲間”だった。
そしてこの日が、すべての始まりとなった――。 ……――
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