9. 第四王子の婚約者
ザマァへのカウントダウン開始。
「ラウニ、間違っても今夜の夜会でくだらない真似をしないで頂戴。
今夜の参加者は皆貴族か、相応の立場の人達なのよ。
真面目に婚姻相手を見つけるつもりでいなさい」
母親から険のある声を投げかけられ、ラウニは視線を逸らす。
横の父親が機嫌を取るようにしているが、ラウニの一歩前を歩く弟のミカですら生意気そうな顔に侮蔑を視線に乗せて見てくる。
「母上の言う通りですよ。
ラウニ兄さんのせいで、入学早々から僕も同じように女たらしなんじゃないかってクラスメイトに言われているんです。
良い印象を持ってもらうのにどれだけ苦労しているか」
煩い、ガキが。
五歳下である弟は14歳だ。ラウニと入れ替わるように学校に入学したが、今まさに生意気盛りといった感じで何かとラウニにやたらと反抗的な物言いをするようになった。
両親のいない所で突き飛ばしたり殴る振りなどしたりして脅すものの、すぐに痛みを忘れる鈍い性格のせいで、今夜だってこうしていらぬ口を利いてくるのだ。
侯爵家が借りてくれた家に戻ったら、今度こそ一発殴ってわからせてやる必要がある。
「まあまあ、二人とも。可愛いお嬢さんと交際を重ねるのも、若い内だからこそ。
学校を卒業したのだし、今夜素敵な女性を見つければ落ち着くだろうさ」
ラウニの肩を持つ父親だが、ラウニが散々付き合っては捨ててきた少女たちの後始末を終えたのだろう。
今夜キーヴェリ男爵家が一家揃って参加しているのは、王都で開かれている夜会だ。
この夜会は王都に居を置く貴族が開催したものではなく、精霊の庭を管理する国の機関フェイブロムストに総責任者という立場を与えられている、第四王子アルヴィ・ルース・ルストライネン殿下の婚約発表である。
そのため、招待者の大半が精霊の庭を領内に持つ貴族達となり、それ以外は精霊の庭を管理する麗しき一族が参加する。
この夜会に参加するよう指示を下したのは、ラウニ達が住む地を領主として治めるラトマー侯爵だ。
三ヵ月程前にラウニの所業を庇い切れないと手紙が届き、侯爵領の外で生涯の伴侶を見つけてくるように言われたのだ。
広い侯爵領内でラウニが行ったことのない町だってあるというのに、とんだ言い掛かりである。
そもそも交際については同意の上であって、ラウニが無理矢理付き合わせているわけではない。
相手だってちゃんと選んでいる。
その証拠にラトマー侯爵家の令嬢にも、同じ分家筋にあたる準男爵家の令嬢にも手を出したりしていない。
ちゃんと線引きはしているのだ。
ラウニが初恋を捧げられるような女性がいないのが悪い。
とはいえキーヴェリ男爵家は領を持たず、ラトマー侯爵の仕事を手伝うことで男爵に相応しい暮らしのためのお金を得ている家だ。
これ以上、ラトマー侯爵に睨まれるようなことは避けなければならない。
会場に入ってすぐに、ラトマー侯爵にも会って挨拶をする。
今日は侯爵一人で来ているようで、笑みなど一切浮かべぬまま値踏みするようにラウニを見て、それから鼻を鳴らした。
「キーヴェリ男爵令息は見た目だけ言えば、本日の夜会の参加者の中にいても遜色無い。
領内で女性を追いかけ回すことなどせず、男爵家の一員として身に合った令嬢と出会えるよう努力するといい」
勿論ですと頭を下げる両親を尻目に、視線を逸らして会場内を品定めする。
ラトマー侯爵の言う通り、夜会に参加している者達は皆美しい。
侯爵領内で交際していた少し可愛いぐらいの娘達とは全く違う。
ラウニが初恋を捧ぐに相応しい女性がいるかはわからないが、ワンランク上の令嬢をお試ししてみるのも悪くはない。
王都の女性は自由奔放だと聞くし、もしかしたら柔らかな肌を晒してくれるかもしれない。
ラウニが周囲を見渡せば、明らかに身なりにお金をかけたとわかる家族とは別に、簡素なドレスながら美しい少女達が、これまた麗しい家族と一緒に歓談しているのが確認できた。
前者は貴族で、後者はルースだろう。
まるで観賞用の人形だと思いながら遊ぶ相手を品定めしていると、貴族達が入場した扉とは違う、離宮の奥へと続く両開きの扉が開かれて数人の騎士が扉前に整列する。
それに合わせて会場を騒々しく彩っていた幾多の声が引いていった。
「第四王子アルヴィ殿下、ご婚約者リネア・ルース嬢のご入場!」
高らかに大広間内を響く声が、今宵の主役たちの登場を知らせる。
女性の物色に忙しいラウニはおざなりに視線を向け、そして目を奪われた。
彼らの煌びやかさではない。
アルヴィ殿下が連れている令嬢にだ。
離宮の華やかな照明を反射する金の髪は黄金にも劣らず、ややも短い前髪から見える額は知性を感じさせる。
さらに下へと目をやれば、青の瞳が朝露をまとった忘れな草の花びらのように繊細な美しさを湛え、視線を逸らすことができないまま。
頬はまるで絹のように滑らかで、紅を塗っていないのか柔らかな桃色の唇はむしゃぶりつきたくなるほどだ。
ドレスは淡い青のシフォンを重ねたもので、彼女の幻想的な雰囲気に合っていた。
光を受けてほんのり透けるシフォンが、彼女のしなやかな肩のラインを際立たせる。
淡い青のドレスが揺れるたび、彼女の動きに合わせて柔らかに形を変え、そのたびにまるで花が咲くような可憐な美しさだった。
完璧だ。
ラウニの精霊の庭に相応しい、初恋を捧げる価値のある令嬢だ。
ルースは精霊の庭を管理する一族で、精霊に認められる美貌を持つ者だけがルース、もしくは分家となるヴェストラを名乗ることができる。
他家の美しい人々を伴侶に迎えることで作られた、精霊に愛されるべき血統であるルースの、まさに完璧な令嬢だった。
「まあ、さすがルース家の令嬢ね」
母が感嘆の声を漏らすのを聞きながら、ラウニはギリギリと歯を噛み締める。
もし彼女がラウニの住む町に来ていたら、彼女の横に立って羨望の眼差しを受けていたのはラウニのはずだったのだ。
完璧な美を顕現した彼女がいれば精霊の庭にだって再び入ることができるだろうし、今度こそ精霊達から祝福を受けることができるのに。
自身の不運に嘆きながらも、胸を渦巻く算段は加速度を上げていく。
アルヴィ殿下の外見は悪くないが、令嬢との年が些か離れているように思われる。
確か殿下は今年で29歳になったのだと両親のどちらかが言っていたような気がするが、令嬢はラウニと年が変わらないぐらいだろう。
暗い焦げ茶色の髪は地味だし葡萄色の瞳も老成な印象を与え、無駄に年齢を高く見せるだけでしかない。
どう比べても、ラウニの方が若くて見目麗しい。
令嬢がルースの一族として美しいものを選ぶ目が確かなら、ラウニと出会いさえすれば一目で恋に落ちるに決まっている。
まずは挨拶をして名を覚えてもらう。
あまりの衝撃に名前を聞き逃してしまうという失態を犯したが、挨拶をすれば向こうも改めて名乗るはずだ。
限られた貴族達による夜会とは聞いていたが、ルースとヴェストラの人も多く参加しているのか、今夜の主役である二人には常に人が話しかけ、順番を待つ人々が距離を空けつつも周辺で様子を見ている。
苦労しながら近づくにつれて、彼女が周囲の人々と交わしている会話が聞こえてきた。
透き通る水のように澄んでいて、彼女の声は柔らかく耳に心地よく響く。
半ば夢見心地で歩くラウニの耳に、いくつもの会話が滑り込んでは、籠を抜けていく水のように消えていく。
「ご令嬢は心無い少年のせいで長らく精霊の庭で過ごされたとか」
「関係者から記憶を奪われることの危険さをご家族が説かれても、彼は自分勝手な思い込みでいたという話だそうで」
「食事も満足に摂れず苦労されたと聞いておりますわ」
「衣服もほとんど届かず、浮浪者のような暮らしを余儀なくされたとはお労しい」
「ご多感な年頃を家族と過ごせないなど、自分の娘で同じことがあれば相手を決して許しません」
「これほど美しい方に無体を働く者がいるなんて、信じられませんね」
断片的に残る言葉から、彼女が苦労をしたのだとわかる。
どうやら彼女の美を損なわせる馬鹿がいたようだった。
ラウニだったら絶対にしないことだと断言できる。
気の利いた慰めの言葉をかけて気を引こうと更に一歩踏み出した瞬間、肩に乗せられた手が先へ進むのを押し留めた。
一体何かと不機嫌な表情へと変わるままに振り返ると、そこにいたのは殿下達の入場時に整列していた騎士だ。
「ラウニ・キーヴェリ男爵令息ですね」
声は落ち着いて穏やかだが、肩の手を振り払うことを躊躇うような雰囲気を漂わせている。
何よりも顔には笑みの一つも無かった。