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7. 帰ってきた娘

忘れな草が揺れている。

ラウニが知らない少女に告白をしていた。

彼らは新たな祝福を受けるのだろうか。

そうだとしたら、リネアはどうなるのかわからなくて、怖くてたまらない。

もうリネアはいらないのだと精霊の庭から放り出されるのならばいいのだが、用無しだと一思いに殺されてしまうのかもしれない。

精霊の庭から出られなくなってから早々に、ラウニもレミキー達もリネアを疎ましそうに扱い始めた。


日が昇れば暖かな春のまま時を止めた精霊の庭も、日が落ちれば相応に寒さを感じる。

以前にリネアの手の届く範囲に落ちていた包み紙の中にあった、少し厚手のコートを肩にかける。

既に日を数えることを諦めてから長く、どれだけの日数が経ったのかはわからないが、今あるコートは袖を通すのに少し窮屈で寝にくいのだ。

いくつかの包み紙を地面に敷き、同じように柔らかい紙だけセーターの中に詰めた簡易クッションを間に挟んで木にもたれる。

足には最近見つけた大きめのジャケットをかければ、今日も多少の寒さはしのげるだろう。

不思議と今日は寒くない。

まるでお布団にでも入り込んだようだ。

それから懐かしい声も。

リネアを浮浪者だと罵るラウニとは違う、優しい優しい声。

今日はもしかしたら家族の夢をみれるのかもしれない。


 * * *


「リネア!」

瞼の奥へと陽射しが入り込んでくる。

いつもより明るさを感じない朝告げで目を覚ましたリネアに、かけられた声は長らく聞くことのなかった懐かしいものだった。

草むらに敷いたコートの上ではない、ふかふかのお布団の感触。

霞む視界は瞬きをするたびに鮮明さを取り戻し、そうして懐かしい顔触れが見えたときには、瞬きすら惜しく、そして名を呼ぼうとして開いた口からは微かに息が漏れただけだった。

姉のヴィオラがボロボロと大粒の涙を零しながらリネアの手を握り、兄のエライアスも目を赤くして立っている。

「こんなにやつれて……」

母親までもが涙を零しながらリネアを抱きしめた。

「長い間助けられなくてごめんなさい。

精霊の祝福後に、キーヴェリ男爵令息以外は誰も庭に入れなくなってしまっていたの」

涙を流していてもなお、お母様は美しいわとぼんやりと思う。

何もかもが夢のようだ。

「令息だけが精霊の庭に入れるようになって、どれだけ歯痒い思いをしたか。

せめてリネアを閉じ込めた責任を取ってくれれば、ここまで酷いことにならずに済んだかもしれないというのに」

父親の大きな手がリネアを撫でる。

まだ追いつかない思考の中で、思い出すのはリネアを精霊の庭に閉じ込めるきっかけとなったラウニとレミキーが交わした約束と、それからライラと呼んでいた少女に捧げた初恋という言葉。

思わず首を横に振る。

「もう、ラウニに、会いたくない」

ぼろりと零れ落ちた一滴の涙を皮切りに、後から後から溢れ出てくる。

「ら、ラウニは私のことをき、汚いって。

浮浪、者だって、殴ろう、とし、て」

思い出すだけで体が震えて声が引き攣る。

成長著しい育ち盛りのラウニからの脅しは、レミキーより先に庭に投げ込まれているのを見つけることが出来た僅かな食べ物だけで生きながらえていた小柄なリネアには恐怖しか与えない。

リネアの言葉に姉が小さな悲鳴を上げ、あの野郎と兄が怒りの形相へと変わる。

「勿論だ。いくら彼が無知な子どもだったとはいえ、自分のことしか考えなかったせいでリネアが酷い目に遭わされたんだ。

何を言われようとも会わせるつもりもない」

父親は力強く言い切り、そうしてからリネアを抱きしめてくれた。

「暫く療養が必要だろう。少し体調が戻ったら急ぎ侯爵領を離れ、王都で暮らすお祖母様の家に向かいなさい。

今のままでは旅路の途中で体調を崩すだろうからね。

大丈夫、寂しくないように母さんとヴィオラも一緒だから安心するといい」

見上げれば泣き腫らした顔の姉がリネアを抱きしめた。

「お母様、お姉様、一緒に行ってくれるの?」

「当然よ。この三年間ずっとリネアに会えなかったんですもの。

一緒の部屋で眠ったり、お揃いのアクセサリー買ったりしましょうね」

姉がそう言って離れれば、今度は兄が抱きしめてくれる。

記憶よりも兄と姉の身長は随分と高くなっている。

それだけの年月が経ったのだと思うと、一層の悲しみが胸に広がる。

「私、早く元気になって、ルースの為の勉強がしたいわ」

リネアが言うと両親は痛ましげな表情へと変わり、またぎゅっと抱きしめてくれた。


 * * *


それからのリネアは穏やかな時間を過ごしていた。

柔らかな布団に包まれて眠り、体を起こせるようになったら温かいスープの量を増やし、それからミルク粥へと食事を変える。

蒸したタオルで拭いていた髪と体も、彼女がベッドの外へと足を下ろせた時点で父親がリネアを抱き上げて一階の浴室へと運んでくれた。

既に風呂用の湯桶にはなみなみとお湯を張られている。

沢山の湯が必要だろうと小さな厨房でお湯を沸かし続けているらしく、浴室前の新しい湯が木桶に入って二つ並んでいた。

そこからは母親とヴィオラの出番だ。

先にリネアのもつれた髪を背中の半分ほどに届く長さに切り落としてから丁寧にブラッシングして、未だ残る小さな枯葉の屑や絡まった細い蔓を落とし、湯の中に入れる前に手桶でリネアの体の汚れを流していく。

汚れや花の汁によって茶色へと変色していた髪の汚れは頑固だったが、目の粗いコームで根気よく梳けば、そのうちに懐かしい色へと戻り始めてきた。

廊下の木桶の湯を足して、それからエライアスへと湯の追加を頼みながら、洗髪用の石鹼をよく泡立てて髪を洗い始める。

最初はすぐに泡立たなくなる髪も、三度石鹸で洗えば大分マシになった。

それ以上は髪が軋むからと、花の香りをつけたオイルを髪に揉み込んでくれて、柔らかな香りが浴室に満ちていく。

何度も頭から湯を流すので、体の汚れも目立つものは流されており、たっぷり泡立てた柔らかいスポンジで体を洗い始めた。

ところどころにある擦り傷やレミキーの投げた小石によってできた痣を見てヴィオラが厳しい顔をするも、すぐにリネアに微笑みかけるとお風呂を終わったら軟膏を塗り直しましょうねと言ってくれる。

新しいお湯が届けられた頃にはあらかたの汚れは落ち、リネアは久しぶりに湯桶のお湯にゆっくり浸かることができて、布団とは違う温かさに自然と深く息を吐く。

家に帰ってきてから、当たり前であったはずのことが得難いものだと感じてしまう。

柔らかく輪郭線を失う視界で、瞬きをして水滴を落とした。


更に二週間も経てば食事量は少ないものの、家族と一緒に食事を囲むことができ、温かいスープと柔らかな白パンを半分、甘い果物を食べられるようにはなっていた。

一人でいる間は本を読み、姉と兄から勉強の復習だとして無理のない程度に勉強を教わる。

母親からはお茶を一緒に飲みながら、行儀作法の勉強をこれまた少しだけ。

家の中を歩けるようになれば庭の散歩が許されたが、家の外に出してはくれなかった。

きっとラウニと出会うことを警戒しているのだと思うのだけど、リネアにとっても今や恐怖の対象でしかない彼に会う可能性があるのならば、少しも外に出ようとは思わない。

幸いにも回復は早く、王都にいる祖母からも孫を迎える準備が整った報せが届いたことから、侯爵領まで直接手紙を届けてくれた使用人達に連れられて出発することになっていた。

それを想定して大きな馬車で来たらしく、出発する日の朝早くに家の前に馬車をつけ、一気に荷物と子ども達を馬車に乗せて出ていく算段となっている。


二度ほどキーヴェリ男爵の使者を名乗る人物が家を訪れたようだったが、祖母が遣わした使用人達が慇懃無礼な態度で門前払いを食らわせてからは姿を見せていない。

そうしている間にも出発の日を迎え、急いで荷物を詰めた後にリネアの小さな体を隠すように毛布をかけたまま馬車へと運び、一緒に乗り込んだヴィオラとエライアスが扉を閉め、窓に取り着けられたカーテンを下ろそうとして手を止めた。

ラウニだ、という兄の呟きを聞いて、思わず横に座る姉の腕に縋りつく。

「エライアス、早くカーテンを下ろして」

鋭い姉の声にすぐに馬車の外を遮断するようにカーテンが下ろされ、次の瞬間には馬が動き出していた。

好奇心が勝ったラウニに声を掛けられて、馬車の中を覗き込まれたりされないようにという配慮だろう。

そんなことを言われては平民のルースでは逆らえない。

少ししてからエライアスが窓の外を確認し、もう町を出たのだと教えてくれる。

カーテンの隙間から見えた長閑な景色に息を吐き、リネアはクッションを抱きしめながら背もたれへとよりかかった。


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