3. 祝福という名の
周囲の木々が風に揺すぶられてて騒めく。
気づけば精霊であるレミキー達が次々と姿を現した。
薄靄を身の回りに漂わせた存在は人の輪郭に限りなく似ているが、細部はぼんやりとしていて掴みどころがない。
それでも、その姿は恐ろしいほどに美しかった。
『 』
一人が囁くように言うと、他のレミキー達が頷くような動作を見せて淡く輝く。
精霊の祝福だ。
両親から話に聞いたことはあるが、幼いリネアは見るのが初めてだ。
それは精霊達からの祝ぎ詞。
囁きは意味のわからない音の羅列であったはずなのに、聞いているうちに人にもわかる形を成して、それを直接頭に流し入れられていくよう。
『祝福を』
『一途な愛の誓いの下に、この者はただ一人のものとなる』
祝福だ。
けれど、両親は言っていた。
人と精霊は異なるもの。
存在も、生き方も、考え方も全て異なる。
彼らの基準は美しさでしかなく、それゆえに善意が必ずしも人に幸せもたらすものではないと。
『されば、世界はこの者を認めず、覚えず、受け入れず』
『誓いが守られるならば、誰も手の届かない彼の者の唯一として』
言葉が難しくてわからないが、言葉が発される度にリネアは不安になる。
世界が認めないというのはどういうことなのか。そして覚えずとは誰が何をなのか。
これは本当に祝福なのか。
レミキー達の淡く発光した輝きが粒となって離れ、それが収束し、まるでカーテンのような光となって宙でたなびく。
『けれど唯一であるのは、誓いと愛があればこそ』
『失われたときには相応の代償を』
光がリネアの体を包み込む。
それは祝福でありながら、まるで薄絹の檻が降ろされるかのようだった。
『今はただ、ラウニのリネアとしてここに在れ』
言葉が終わった瞬間にレミキー達はふっと消え、風が吹き抜ける。
呆然と見ているリネアの横で、ラウニがはしゃいだ声を上げた。
「すごいよ!僕にもはっきりと精霊が見えた!」
そうしてリネアの手を取る。
思いがけない強さで手を引かれて転びそうになるのを踏みとどまりながら見たラウニは、興奮と喜びからか紅潮した顔でリネアを見ていた。
「これでリネアは僕のものなんだね!」
レミキー達の言葉に引っ掛かりを覚えて、笑みがぎこちないものになる。
「じゃあ帰ろうか」
いつものように手を繋いで外へと歩き出す。
特に問題無さそうだと小さく息を吐いた瞬間、足が止まった。
いや、進もうとしても進めないのだ。
「どうしたの、リネア?」
手を繋いだまま一歩前を歩いていたラウニが不思議そうに振り返って尋ねてくる。
「進まないの」
足を踏み出そうとしても、そこで見えない壁に遮られる感覚。
「もう、そんな悪戯したって駄目だよ。
もう帰らないと父さん達に怒られるから早く」
ラウニが力任せに引っ張ろうとした痛みから、咄嗟に手を振り払った。
──誰も手の届かない彼の者の唯一として。
ぞっとした。
誰も手の届かないとは、精霊の庭から出られないことなのだと理解したからだ。
リネア、と訝し気な声で問いかけるラウニはわかっていない。
「……ラウニ、誓いを止めて」
絞り出した声は掠れてしまう。
「リネア?ねえ、一体どうしたの?」
ラウニは意味がわからないといった様子だ。
「ラウニ、精霊の祝福を断って。
じゃないと、私はここから出れないと思う」
途端にラウニが嫌そうな顔になった。
「嫌だよ」
手を伸ばそうとするリネアを、今度はラウニが振り払う。
「だって、せっかくレミキー達が、精霊が祝福してくれたんだよ!
それを断ったら皆に自慢できなくなるよ!」
そんなの知らないと叫ぶ声はもはや悲鳴だが、そう言われたラウニは一層不機嫌な顔になる。
「出たいの!お家に帰りたいの!
ここにはご飯もお風呂もベッドもないのに!」
リネアの悲痛な叫びは、それでもラウニの気持ちに届くことはなかった。
「明日おやつを持ってきてあげるから。
それに精霊の庭の池は綺麗だし、夜空を見ながら寝れるなんて先日読んだ絵本のお姫様みたいだよ」
ラウニの足が一歩下がり、リネアの手の届く範囲から意図的に外れる。
届かない手が空を切る。
「お父様にもお母様にも会えない!お兄様とお姉様にも!
帰して!お家に帰して!」
ぼろぼろと涙が零れ落ちていく。
「リネア、泣かないで。
泣くと可愛くなくなるから嫌だよ」
慰めたつもりのおざなりな言葉を掛けてくれても、リネアに捕まりたくないのか近寄ることは決してない。
よほどレミキーに祝福されたのが嬉しいのだろう。
リネアだって精霊の庭から出られないなんてことがなければ、喜んで家族に報告しに家へと駆け出していた。
「置いていかないで、ラウニ」
もはや懇願ともいえる言葉であっても、ラウニには何一つ響かない。
「リネアは平民だから、僕と違って庭で寝ても大丈夫でしょ。
リネアのお願いは次会ったときに考えるから、また明日ね」
どこまでも喜色に染まった軽やかな声を残し、そのまま背を向けて走り去っていくラウニの背中を見ながら、滲んでいく視界のままに地面へと座り込んだ。




