2. 精霊の庭
「リネア!」
突然かかる声に目を瞬かせる。
視線を声の方へと向ければ、雲一つない晴れやかな空とラウニが視界に入った。
「また本を読んでる。
家からおやつを持って来たんだ。一緒に食べよう?」
目だけ動かせば、ラウニの手には可愛らしい包み紙がある。
途端にリネアは目を輝かせ、元気よく立ち上がった。
* * *
精霊の庭。
リネアの住む国では、精霊達が過ごす場所をそう呼んでいる。
自然の中で過ごす精霊や、人間が用意した場所に訪れた精霊を指す言葉ではない。
ある日唐突に現れて、自分達が気に入ったからという理由だけで占有し始める精霊達の行為を、人間が不満を持たないようにと美麗化した表現に変えただけだ。
精霊という存在は自然に囲まれた美しい景色を好むとされているのだが、時折人間の住まう場所に気に入った場所を見つけたり、人間が作り出した人工的な美しさに惹かれて姿を見せることがある。
そうすると、お気に入りの玩具を独り占めするように、瞬く間に木々と茨で囲い込んで自分達の領域へと変えてしまう。
過去には公爵家の美しい庭を気に入って、家の人々を追い出したこともあるらしい。
流行の最先端を作り出す公爵夫人が自ら庭に立って指示を出し、手間暇を惜しまず整えられた庭だったことが、美意識の高い精霊達に気に入られたのかもしれない。
とはいえ、人が作り出す庭は手を入れなければ美しさを保てないことは理解しているのか、一年程で立ち去った後の庭は自然に伸びていった木々や花々によって当初の美しさを失っていたそうだ。
公爵夫人はといえば、ショックのあまりに寝込んでしまったとのことで、それ以降、その公爵家と自慢の庭を所持する貴族達は競うことを止めて、趣向を凝らすのも程々にするという暗黙の了解が出来たらしい。
精霊の庭は傍迷惑なものではあるが、一方で周辺に住む人々の生活に実りを与えてくれる。
簡単に言えば、精霊が住まうことで土地に恩恵が与えられ、庭の周辺の土壌は豊かになって植物の成長が著しいのだ。
農業に力を入れている土地であれば歓迎すべきことであるし、この国は土地の起伏が緩やかで海に面している場所が少ないことから、農業国家として成り立っていた。
だからこそ精霊の庭は国家単位で大切にされ、精霊が好む見目麗しい一族に管理を任せるよう国が体制を整えている。
リネアと家族も、精霊の庭を管理するルースと呼ばれる一族の一員だ。
貴族ではないが精霊に気に入られるように何よりも美しくあれと育てられ、そんな一族へと支払われる報酬は裕福な平民以上。
もしかしたら準男爵や士爵よりも多いのではないかと言われる程。
精霊の庭を訪れることができるように美しい配偶者を選び続け、行儀作法を学び、音楽や美術を嗜み、美への理解を深めていく。
人間の所作など精霊たちは気にしないと思われがちだが、身に付いた優雅な身のこなしは精霊に好まれ、気に入られることで話を聞いてもらいやすいのだ。
そんな精霊の庭の管理者の子ども達が、その美貌から時として嫡子以外の子が低位貴族の婚約者にと求められるのもよくある話で。
リネアの隣で仲良くおやつを食べているラウニは男爵家の子息だ。
リネアの家族が管理している精霊の庭がある場所はラトマー侯爵様の領地であり、ラウニの生まれたキーヴェリ男爵家は分家筋にあたる。
彼の家は代々侯爵領の仕事を手伝っている家系なのだと教えてもらったが、十歳のリネアが理解するにはまだ早く、侯爵様のお手伝いをする仕事だということぐらいしかわかっていないが。
リネアが八歳の頃にこの地に来てからラウニと一緒に過ごすことが多く、キーヴェリ男爵からは婚約の打診がされているのは聞いている。
一旦保留にはしているもののラウニの強い希望ということから、成長しても気持ちが変わらないのであれば、多分ラウニのお嫁さんになるのだろうと何となく思っていた。
ラウニはとても親切だし、リネアでは食べれないようなお菓子を分けてくれる。
分けてくれたはずのお菓子をラウニがほとんど食べてしまうこともあるし、他の女の子と比較されることもあるけれど、それだってリネアを褒める為に口にするだけ。
彼の一番はいつだってリネアなのだ。
「いつ見ても精霊の庭って綺麗だよね。
外の季節はもう秋なのに、いつまでも春みたいだ」
侯爵領にある精霊の庭の状態は、レミキーと呼ばれる精霊達が好き勝手に手を入れる。
精霊達が望めば、そこは春のままなのだ。
どうやら忘れな草の群生を気に入ったのか、いつ訪れても花々の姿は消えることなく咲き続けていた。
ラウニが足元に咲く忘れな草を一輪摘む。
それをリネアに差し出した。
「リネア、君は僕の初恋だよ。
どうかこの花を受け取って」
風で花が揺れる。
「僕だけのリネアとして、ずっと一緒にいて」
リネアはそっと忘れな草を受け取った。
微かな風が吹き抜けると、まるでそれが合図であったかのように、空気が静寂に包まれた。