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12. 忘れな草の少女

「おじ様はだあれ?」

小さな淑女を探して半刻程、アルヴィを見上げる少女の口から零れた言葉は、彼を苦笑いさせた。

「君を探しにきた者だよ。

小雨も降ってきたから部屋に戻ろう」

怖がらせないように屈んで手を差し出す。

14歳を間もなく迎えると言うことだったが、長く家族から引き離されて教育を受けることができなかった少女は年齢よりも精神が幼い。

きっとまだ10歳で時を止めたまま、心が追い付けてないのだ。

こうして立っているだけの所作一つでも美しいが、顔にありありと不安が表れている。

彼女が過ごした空白の三年間に学ぶべきだったことをここで教え、ルースとして立派な淑女になれるようにアルヴィはしっかり導かなければならない。

躊躇いがちに重ねられた指先をごく軽く握り、アルヴィはゆっくりと歩き出した。


 * * *


リネアという少女がアルヴィの住まう離宮に、正確にはフェイブロムストに留まることを許されているのは、精霊の庭に三年間も閉じ込められていたという経緯があるからだ。

三年の遅れを取り戻そうと必死に勉強しては、焦りと疲れから見る悪夢によってうなされる日々。

見守る家族としては手を下した相手を許せないだろう。

彼女と家族はボロボロに疲弊して、暫く精霊の庭の管理に向かわすことはできない。

彼らの愛娘の三年を奪った男爵家には相応の罰を与えねばらないのだが、ルースは選ばれた一族ではあるとはいえ特殊な立場ゆえに権力は与えぬようにと平民という立場だ。

貴族を処罰するには立場が弱い。

ルースだからという理由だけでは難しいところもある。

精々幾ばくかの慰謝料を支払ってもらって話を済まされるぐらいだ。

何より、リネアはあの事件に向き合える程に、心の傷は回復していない。

また少年によって心に酷い傷を負わされたら、今度こそ心を開かず、人形のようになるだろう。

責任は采配をしたアルヴィにあり、彼はリネアの心を守るための環境を整える必要があった。

そのためアルヴィの仕事を補佐する侍従として彼女の両親を近くに置き、彼らと一緒に離宮を訪れるリネアには必要な教育を受けられるように手配している。


一年経つ頃には「おじ様」という言葉が「お兄様」に変化した。

内面的な成長があったのは喜ばしい限りだったが、あれ程アルヴィに懐いて手を繋いで散歩をしていたのに、すっかり恥ずかしがって手を後ろに隠したまま逃げてしまうようになってしまったのだ。

それが少しばかり寂しいと言えば、幼子の頃から世話をしてくれている家令が笑みを浮かべながらも、リネアの年齢から考えたら当然な上に多感な思春期に入ったことはおめでたいのだと、成人してから久しぶりに説教をされてしまったのは恥ずかしい限りだ。

リネアの両親は苦笑していたが、いくら兄代わりのような立場だったとはいえ、15歳になる娘と手を繋ぐ行為に物申したいことはあっただろう。

自覚して謝罪をしたら、少し眉を下げて笑っていた。


もう一年経つ頃には恥ずかしがりやな面も落ち着いて、再び散歩を一緒にするようになり、新たに休憩のお茶も楽しむようになった。

お茶の席でその日学んだことを嬉しそうに語る姿は、自分がすっかり失った青春の輝きそのもので目が眩み、この頃からリネアを正面から見ることができなくなっていた。

一時期はリネアに不審がられないようにと彼女に年が近い妹に同席してもらっていたが、あれ程幼かった妹分が急に大人になったのだと痛感させられたり、実の妹からは鈍感ヘタレと言われたりする始末。

可愛い妹の一人だと思っているのにと家令に言ったら、「婚約者のいない殿下がドレスやアクセサリーを贈る意味を考えず、まさか自覚が無かったとは誠に残念です」と返され、実の妹にさえドレスを贈ったことがないでしょうと指摘を受けて半ば呆然と立ち尽くしたのは未だに内緒にしてもらっている。

十も離れた子どもなのだと思っていたはずなのに、一度意識してしまうとどうしたらいいかわからず、似合うと思って買っていた指輪は引き出しにしまう。

そうしてリネアを避けるようになったら泣かれた後、離宮に通わなくなってしまった。

手紙を送れども返事は短く、彼女が再び離宮に訪れるようになるには新しいドレスを贈ればいいのか、それとも花束がいいだろうかと情けなくもリネアの両親に確認したら、アルヴィが気持ちをはっきりしないとどうにもならないと言われてしまう有様。

とうとう仕事も手が付かなくなったとき、王城を抜け出して花とお菓子を買いつつ小さな家を訪れたら、使用人からリネアは部屋に籠ったままだと聞いて、慌てて階段を駆け上り、名前が書かれたプレートの掛けられた扉を勢いよく叩く。

扉を僅かに開いて隙間から覗いたリネアは顔色が悪くて目の下に隈ができ、髪もぼさぼさで服も寝間着だったが、会えた喜びから気にせずに抱きしめた。

軽やかな悲鳴と背を叩く小さな手。

我に返って抱きしめた体を解放し、そうしてから床に放り出してしまった花束とお菓子を慌てて拾い上げる。

そうしてからリネアの前で膝をついた。

気づけば彼女は小さなお嬢さんを終わらせて、蝶になるべく羽化を始めた一人の女性になろうとしていた。

「お兄様、私はこんな恥ずかしい格好で」

強く握られた手に触れ、そっと震えるこぶしを広げていく。

未だ、あの暗愚が吐いた言葉は彼女の心の傷として残ったままだ。

「何を言う。いつだってリネアは可愛らしい」

手を離さず微笑みかければ、ぎこちなく笑みが返される。

可愛い妹だったはずのリネア。

「これを君に」

ポケットから取り出したベルベットの小箱を渡す。

リネアに贈るのは繊細な細工がされた指輪で、家の照明をまろやかな光沢で返す丸みのある宝石は葡萄酒色だ。

無意識に選んでいた自身の瞳を宿した指輪の、なんとも独占欲の強いことか。

「お兄様の、アルヴィ殿下の瞳のお色ですね」

少し丸くなった目が次に細められ、淡く林檎の色に染まる頬。

もう妹だと言えないリネア。

「私だと思って身に着けてほしい。

今すぐには何もいえないが、そういうことなんだ」

立場上、すぐには何の約束もできない私からの精一杯。

「大切にします」

どこか恥ずかしそうに、そのくせ嬉しそうに笑ったリネアが指輪の入った箱を優しく抱きしめた。


そして更に一年。

「アルヴィ殿下、本日も御機嫌よう」

美しいカーテシーを披露して挨拶をするリネアはすっかり年相応の令嬢だ。

この頃には使用人の誰もがリネアを婚約者のように扱い、彼女が両親と訪れると侍女達が衣装部屋に連れて行っては華やかに着飾る。

最初の頃は遠慮がちにしていたものの、侍女達の熱意に折れてからは受け入れてくれるようになった。

誕生日となる今日に設けたお茶の席で、アルヴィの向かいに座る彼女の衣裳は葡萄色のクラシックなドレス。

襟に飾られた細いベルベットのリボンの下は華奢な肩とデコルテ部分を飾るレースで覆われ、ボリュームのある袖と緩やかなラインを描くスカート部分は鮮やかな赤と、濃い紫の糸で刺繍がされている。

風に揺れるドレスの裾が淡く波打つ湖面のように陽を反射し、彼女の白い肌をより際立たせている。

「どうかされましたか?」

ふと顔を上げた彼女が、アルヴィを見つめて微笑む。

その双眸に隠し切れない好意を見つけ、自然と唇が綻んだ。

「リネアもすっかり大人に成長したね」

幼かったリネアも今日で19歳となり、どこに嫁いでも問題無い淑女となった。

以前だったら彼女が望むならば、下位貴族との縁談すら用意できるだろう。

勿論そんなものを用意するつもりはないが。

「そのドレス、よく似合っている」

アルヴィの瞳の色を好んで着てくれるリネアは、アルヴィのものだと自ら宣言するかのよう。

実際ようやく婚約が調ったことで先日お披露目をし、一年後には婚姻となる。


幸せにしたい彼女の憂いが少しでも無くなるよう、夜会では羽虫を叩き落とすのに忙しかったが、先日無事に片付いた。

ラトマー侯爵は馬車に放り込まれて暫くは放心状態だったが、我に返れば急いで護衛を一人馬で向かわせたらしい。

屋敷を抜け出すことができずに不貞腐れていた末娘のエリナ嬢の無事を知って安堵したのだとか。

だが、油断すると家を抜け出しかねない娘への対策か、こちらが何かする前に精霊の庭を外から破壊したのだ。

あれ程御大層な口を利いていたにも関わらず、自分が関わればこれである。

けれど、いくら精霊の庭が侯爵領にあろうとも、それは特例として王家管理となる。

侯爵家が勝手なことをすれば相応の処罰が与えられる。

己の勝手で精霊の庭を破壊したラトマー侯爵に言い渡されたのは蟄居だ。


もっともそんなことをしなくても、少し経てば精霊の庭は無くなっていた。

侯爵にはうっかり言い忘れていたのだが、侯爵領内にあるリネアが閉じ込められた精霊の庭は外側から破壊することが決まっていたのだ。

どれだけ侯爵が異議申し立てをしようとも、子どもを閉じ込める危険な場所をルース無しで野放しにはできない。

精霊の庭を破壊することになった経緯でも書いて貼り出してから、様子を見て破壊しようと思っていたのだが、自ら憎まれ役を買って出てくれたのはありがたい。

今まで精霊の庭による恩恵を受けていた周辺の住人はラトマー侯爵を恨み、決して許さないだろう。

領民よりも娘一人を過保護に守ろうと優先した、愚かな領主の当然の結果だ。

さっさと令息に引継ぎを済ませるようにと矢のような催促の文を送りつけているが、エリナ嬢の良き伴侶を見つけるまではと当主の座にしがみついているらしい。

とはいえエリナ嬢は愛妾の子。それもラトマー侯爵の子ではなく、他の男との間に生まれた子どもだ。

それを知っている貴族からしてみれば、婚約者にするという選択肢はありえないだろう。

今いるエリナ嬢が本物かどうか疑わしいとなれば、猶更。


彼女の願いは「精霊になりたい」だった。

綺麗な精霊になって遊んでいたいのだと、子ども特有の屈託の無さからくる願い事だ。

それでも一途に願えば、叶う可能性はある。

レミキー達は美しいものが好きだとするが、それは容貌だけの話ではない。

曇りのない一途で真っ直ぐな想いも、やはり美しいとするのだ。もしくは愉しいと。

そこに善悪は関係無い。

念のためにエリナ嬢には監視をつけていたが、レミキー達に招かれたのか止める間もなく吸い込まれるように庭へと入って行き、そして程なくして出てきたとのことだった。

足取り軽く帰路を歩き、侯爵家の塀にある僅かな隙間を器用に抜け、家へと辿り着いたのまでは確認している。

その時監視していた者からの報告では、帰路を歩くエリナ嬢は楽しそうだったが、庭に入るという念願が叶って興奮する様子も、逆に精霊になりたいという願いが叶わなくてガッカリする様子も見られなかったという。

本当に愉しそうだったと。

そして精霊の庭に入れたことを、誰にも言わないまま日々を過ごしている。

侯爵は彼女が家を出るのに失敗したと思っているようだった。

相変わらず孫の年頃の娘に甘いようだが、家にいるエリナ嬢は本物なのかと聞いたらどうなるだろうか。


数少ない事例だが、レミキーが人間と入れ替わったという事件はあった。

そういった場合は入れ替わる役を引き受けたレミキーが飽きるまでは家にいるが、面白いことが無くなったり美しいものが少ないと思ったら唐突に去って行くのだ。

家族からすれば急に失踪したように思えるだろう。

同時に精霊の庭から子どもが追い出されたそうだが、侯爵が精霊の庭を破壊した今、エリナ嬢が追い出されるということになれば何処に出てくるのかはわからない。

勿論、精霊として一生戻ってこない可能性だってある。

あくまで可能性の話だ。少しだけ覚えた引っ掛かりによる、ちょっとした想像。

結局のところ、ある日突然エリナ嬢が消えたとしても、誰も何もできやしないままで終わる。

そういうものだ。


キーヴェリ男爵令息の方はといえば、夜会から摘まみ出して押し込んだ馬車は侯爵領内にある男爵邸への直行便で、金もないことから道中逃げることもできずに男爵家へと届けられ、そのまま自宅謹慎扱いを命じておいた。

もっとも、自宅謹慎など命じなくても外には出られないだろう。

侯爵家と男爵家が領内を出た時点で、キーヴェリ男爵家の当主交代と長男の廃嫡は通達してある。

ノコノコと表へと顔を出せば、周囲からどんな目に遭わされるかわかったものではない。

今まで散々年頃の少女達を暴力で脅し、屈服させ、そして飽きては捨てる行為を繰り返してきたのだ。

周囲からの恨みは侯爵にも劣らない。

後継ぎから外れて平民になった彼を雇おうとする者などおらず、散々馬鹿にしてきた弟に媚びへつらいながら生きていくしかない。

今まで散々ぬるま湯に浸って生きてきたのだ。

これからは苦痛に満ちた日々を送ればいい。


「アルヴィ殿下?考え事ですか?」

心配そうな顔のリネアが問いかけてくる。

「いや、何でもない」

「お仕事が忙しいのでしたら、今日は早めに離宮からお暇させて頂きますわ」

問題無いと返し、お菓子を口に入れる。

今日はリネアが焼いてきたというクッキーが並んでいる。

チーズやバジルといった甘さ控えめの味は、甘いものが得意ではないアルヴィを配慮してのものだ。

こういったアルヴィのことを常に想っての行動も可愛らしくて仕方がない。

ルースの最高傑作と呼び声高い彼女を、王族の婚約者であっても、それから妻になったとしても狙う輩は多いだろう。

これからリネアが憂いることなく生活を送れるよう、いつかのおじ様として、兄として、そして夫として最大限に注意を払うつもりだ。

うららかな春の陽射しに見守られ、リネアがそっと微笑む。

アルヴィは優雅にカップを傾けながら、彼女の微笑みに目を細めた。

カップを置いた指先が、そっとリネアの手に触れる。

陽だまりのような温もりを分け与えながら、穏やかなお茶の時間は続いていった。



これにて完結です。

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精霊怖い((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル 取り替え児の話まであるとは。 ちゃんと人間と意思疎通できる精霊さんはいないのでしょうか?(精霊側もちゃんと管理してくれorz) 精霊の庭やフェイブロム…
子供特有の考えなしの無邪気な残酷さ、独善さが童話の原書っぽくてとてもゾワゾワしながら読みました。 リネアがゆっくり家族との時間を取り戻していくところがもっと読みたかったです。 子どものまま責任も義務も…
いつラウニに特大のザマァがあるかと期待していたら肩透かし食らった気分
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