11. 失われた初恋
美しい所作でサーブされたケーキを切り崩していくアルヴィ殿下を見ながら、適当に切り上げて家族のもとに戻り、ラトマー侯爵への言い訳を父親に相談しなければと考える。
ラウニは長男だからと大抵のことに甘い父親も、さすがに苦言の一つや二つしてくるかもしれない。
だが、それだけだ。
大体のことはお金で解決してもらえたし、侯爵家だって今まで仕事を手伝ってきた男爵家を無下にもできないだろう。
暫くは自主的に謹慎するので女遊びはできないが、いっそのこと王都に借りてもらった家で過ごし、あの忘れな草に出会う機会を待つのはどうだろうか。
そして目の前の王子に取り入れば、あの美しい忘れな草に会うことができる。
さて、何と言おうかと思案するラウニより先に口を開いたのは、侍女に新しいお茶を注がれているアルヴィ殿下だった。
「どこまでも他人事のような顔をしているが、キーヴェリ男爵令息は虚偽報告の罪に問われている自覚はあるのかな」
穏やかな声は、けれども標的を逃さぬとばかりに貴族らしいオブラートに包んだ物言いをせずに、はっきりと罪の名を告げてくる。
この平民風情の名ばかり王子が。
冗談じゃない。ラトマー侯爵がフェイブロムストに報告していると言ってくれたのならば、もう少し体裁を整えて過去の報告をした。
偽りかもしれないが、精霊の庭が無くならず、何も問題も起きていないのも事実。
ならば、問題無いと報告したラウニの報告書に偽りはないはず。
「確かに精霊の庭に入ったかのような報告書をラトマー侯爵に提出したものですが、それをフェイブロムストに提出するとは聞いていませんし、聞いていたら提出しなかったでしょう。
私の責は侯爵家に対してですが、断りなく勝手にフェイブロムストに提出したのはラトマー侯爵です」
なるほど、と返された言葉のどこにも納得の色はなく、許そうという気のない態度に焦りが汗となって背を伝う。
ここでアルヴィ殿下に気に入られない態度を取ると、ラウニの忘れな草に遭えなくなってしまう。
一目会えば恋に落ちるはずなのだ。
この出自が平民から運良く王子になっただけの彼とは違う、正しく男爵家という血統の嫡男でいるラウニと。
なんとしてでも、罪から逃れなければならない。
「それに、精霊の庭に入れたのは事実です。
今は確かに入れてもらえないのですが、精霊達が気に入るような乙女を連れてくれば今まで通りにいれてくれるでしょう」
そうだ、忘れな草の乙女ならば精霊達とて入れてくれるはずだ。
「よろしければ、殿下の婚約者を数日貸し与えていただければ、精霊の庭に入って中の状況を確認しましょう」
笑みを貼り付けたまま、アルヴィ殿下の動きが止まる。
それだけではない。殿下の後ろに控えていた騎士達もがラウニへと一斉に視線を向けた。
「……心底下らぬ人間だ」
吐き捨てられる声には侮蔑が含まれていた。
「先ず、人に対して物のように貸し与えるという表現、ましてや王族の婚約者に対して一体何様のつもりだ?
更には人の婚約者を誰も手の出せぬ場所に連れ込もうという不埒な下心を持つなど、何をどうしたらそのようにおめでたい発想になるのか驚きしかない」
そもそもだ、と口を開くアルヴィ殿下から表情が消え失せた。
「話をすり替えるな。
私が言っているのはキーヴェリ男爵令息がどうやって精霊の庭に入れるようになるかではない。
王家が管理するフェイブロムストとラトマー侯爵家を騙していたことだ」
騙すなんて言い方は乱暴だ。
「ですから、私があの精霊の庭に入れるようになれば、報告書は偽りではないと証明できるのです。
話をすり替えてなどいません」
そう返せば、大仰な嘆息をしたアルヴィ殿下が騎士に何やら指示を出すので、思わず身構える。
「お前の口にするのは楽観的な思考によって至る結果であろう。
こちらが述べているのは過程の問題であり、信頼の問題である。
と言ったところで、話など通じぬのであろう」
この王子は一体何を言うつもりなのかと、息をすることを忘れて見つめる。
「キーヴェリ男爵令息ラウニの性格は、父親であるキーヴェリ男爵の教育によるものと判断し、キーヴェリ男爵は責任を取って蟄居、当主の座はもう一人いる令息のミカに譲ることとする」
は、と先程のラトマー侯爵と同様に、声とも息ともとれぬ音が口から出る。
だが次の瞬間にラウニの感情を強く塗り替えたのは、怒りと屈辱だ。
「嫡男は私です!ミカなんて私の慈悲が無ければ、その辺りで平民として働くしかないだけなのに!」
衝動から目の前のテーブルを強く叩く。
空になりかけたカップがテーブルから落ちて、軽い陶器の割れる音がするが気にならなかった。
「残念だが、そう思っているのはお前だけでな。
既にミカは侯爵家の仕事を手伝い始め、有能だということでラトマー侯爵令息のお気に入りだ」
遅かれ早かれ後継者は替わっていたのだと告げられた言葉に唖然とする。
取るに足らない年の離れた弟が侯爵令息に取り入っていた話なんて聞いていない。
「そんなに早く手伝いにいけるものだと聞いていたら、私だってしていました!」
叫ぶラウニの言葉すらも、殿下の前では鳥の囀りのように素通りしていく。
「どうだか。長らく男爵家の手伝いすらもせず、学校すらまともに通わないでいたのに、そんな発言がどうしたら出るのやら。
男爵家の務めと仕事を理解していれば、今の今まで何もしていないことに疑問を持たなかったことが意識の低い証拠だ」
怒りに身を乗り出して掴みかかろうとした瞬間、騎士達が容赦なくラウニの腕を捩じり上げて取り押さえる。
「暴行未遂罪も追加だな」
穏やかな笑みを取り戻したアルヴィ殿下が、お茶のお代わりでも頼むかのように軽い口調で罪状を口にした。
「キーヴェリ男爵令息ラウニ、このまま王都から追放後に侯爵領から出ることを禁じる。
これについてはラトマー侯爵家の監視の下で定期的な報告を行うこととし、もし王都や他の領で見かけるようなことがあれば、その場で命を失うことになると思え」
失敗した。
アルヴィ殿下に取り入るつもりが、人を安い挑発で煽る下品さを見せてくるので、思わず貴族としての矜持を傷つけられたと怒りを向けてしまった。
このままでは、忘れな草の、ラウニの乙女に会えなくなってしまう。
「せめて最後にどうか彼女に会わせてください!
きっと一目出会えれば、彼女も真実の愛が誰であるのかわかるはず!
だから!」
「だから、何だろうか?」
息を呑んだラウニの喉元に突き付けられたのは、照明の光を鈍く反射する抜き身の刃だ。
アルヴィ殿下の後ろにいた騎士が、音も無く近寄ったかと思えば鞘から抜いた剣をラウニに向けていた。
「残念だが、彼女はキーヴェリ男爵令息に会いたくないと言っている」
意味がわからない。
どうして会ったことのない彼女がラウニを拒否するのか。
彼女を思い出そうとしても髪の色も、着ていたドレスもわからない。
あんなに鮮烈に焼き付いたはずなのに。
あるのは忘れな草の青だけ。でも、それが何だったかも記憶から失われていく。
その苛立ちは貴族令息らしい取り澄ました表情を剥がし、いつものラウニを晒そうとしていた。
「そんな嘘を信じるはずがないだろう!
あの美しい女がいれば精霊の庭に入れるし、誰もが俺を認めるはず!
王子だというから媚びてやっていたが、この平民風情が偉そうにするな!」
途端に腕を掴む力が強くなった。その痛みに堪らず悲鳴を上げたラウニだったが、騎士達は腕に込めた力を緩めることをしない。
「キーヴェリ男爵令息の本音がよくわかった。
不敬罪も追加しておこう」
ここでアルヴィ殿下が立ち上がり、殴られるのではないかとラウニの顔色が変わる。
「初恋という言葉で誤魔化して見目の良い令嬢を侍らせ、精霊の庭という特別な場所に入り込む権利が欲しい。
ようは他者の羨望を受けたいだけだろう。
自身は何も持たぬ者ゆえの浅はかさだ」
目の前に立った殿下に浮かぶ酷薄な笑みと侮蔑の瞳。
「残念だが、お前に当たり前にあったものは全て取り上げられる。
地位も、羨望も、初恋すらも。それもこれも自身の行いへの報いだとわからないで。
何も思い出さぬまま、絶望の中に沈んでいくがいい」
その言葉を最後に、ラウニもまた部屋から連れ出されていった。
行く先がどこなのか、ラウニには全くわからないまま。




