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10. 傲慢と虚飾と

「私は確かに手紙に書いたと思うのだが。

今日の夜会には、場に相応しい者だけを連れてくるようにと」

落ち着いた物腰で語りかけてくるアルヴィ殿下の前に座るのは、ラウニとラトマー侯爵だ。

ラウニが周囲へと目を配ったが、あの初恋の乙女はいないらしいことにガッカリする。

騎士に呼び止められた後、別室に誘導されたかと思ったらアルヴィ殿下とラトマー侯爵が入室してきたのだ。

何事かと思う間にもお茶の準備が進められて、すっかり抜け出すことができなくなった。

アルヴィ殿下がいない今こそ、あの令嬢に声をかけるチャンスだというのに。

「これではラトマー侯爵家が王家に対し、腹に一物あると思われても致し方ないのでは」

貼り付けただけの笑顔は絶やさぬままに語る言葉は丁寧ながらも辛辣で、けれどラウニの横に座るラトマー侯爵も笑みを浮かべたまま受け流す。

「分家でもあるキーヴェリ男爵家の嫡男に婚約者がいないことから、誰か良い人と出会えるように配慮するのは当然のこと。

まさか、それを王家への翻意と取られるとは、今宵の殿下は随分と反抗的でいらっしゃる。

これは殿下のためでもあるというのに」

反抗的という言葉から子ども扱い、対等ですらないのだという意思表示だろうか。

アルヴィ殿下に負けず劣らず、ラトマー侯爵の穏やかな話し振りの下にも棘を感じ、ラウニは早々に聞かないことにした方がよいと我関せずを決め込むことにした。

侯爵領内で飼われているだけのキーヴェリ男爵家では、どういった目論見によって会談は設けられたのかわからないし、ラウニが気懸かりなのは美しい忘れな草の乙女が他の男性に声をかけられたりしていないかどうかだけである。

どこかで話の区切りを見つけたら、あの美しい忘れな草を探しに行かないと。


「過去にラトマー侯爵令嬢との婚約話は上がっていたが、まさか数年前に解消された話のことを未だに継続していると誤解しているとは思わなかった。

当のご令嬢が後ろ盾のない王子など贅沢できないと嫌がって、見目の良い男と駆け落ちしたことで話が無くなったのをお忘れになったようだ。

確か、真実の愛だということだったと聞いていたはずだが」

口を挟まぬ間に話題はラトマー侯爵の娘に変わっていく。

アルヴィ殿下と年齢が合うということなら、嫁に行きそびれたままと陰で密やかに言われている次女のことだろうか。

確か今年で23歳だったか。侯爵令嬢として嫁ぐのに不都合でもあったのかと思っていたが、ここで話していることが真実ならば侯爵がどこにも出せないわけだ。

他の男と逃げ出したのであれば、とっくに純潔など散らされているだろう。

ラウニだったら他人の手垢がついた女など真っ平ごめんだ。

「あれは可愛らしくも夢見がちな性格ですから。

今ではすっかり落ち着いて、いつ殿下に嫁げるかと心待ちにしています」

「相変わらずの夢想家に、妄想癖まで追加されているとは。

もはや王族の妻という立場どころか、貴族として生きるのすら難しいでしょう。

上手く隠したつもりでしょうが、逃げた相手との子と一緒に押し付けるつもりなのに気づかないとでも?」

「生まれた子どもに罪はないと思いませんかな。

殿下に嫁ぐ際には身辺を綺麗にして参るつもりなので問題ないかと」

髭を撫でつけながら言葉を返す姿は、余裕綽々といった風情だ。


「大方、彼を連れて来たのも騒ぎを起こさせ、リネアに瑕疵を付けるために巻き込む魂胆だろうに」

「随分と酷い言われようですな。

後ろ盾にならぬ小娘への同情とお立場から、娶ることを余儀なくされた殿下をお救いしようという、真の忠誠心からだというのに」

「冗談がここまで醜悪だと思えたのは久しぶりだ」

そもそも、とラトマー侯爵が目を細める。

「ただでさえアルヴィ殿下は側妃様の連れ子でしかなく、その身に高貴なる血は一滴も流れていない。

本来なら王子と呼ばれるのも憚られる、陛下の胤ではない平民の息子がただ王子という立場を名乗っているに過ぎなければ、これから王族の末席として生きていくのにご不便でしょう。

大人しく娘の子を我が子と認知されて娶るのであれば、ラトマー侯爵家が後ろ盾としてこれからの生活を援助するのもやぶさかではないのですよ。

たかだか平民の血筋如きが娘の婚姻相手というのは腹立たしいが、娘に手を出さず、可愛い孫を後継者とするならばルースの娘を性欲の処理係になるよう愛人として置いてもいい。

どうです、そう悪いことでもありますまい?」

ラウニにはラトマー侯爵がどれだけの発言力を持っているのかはわからないが、少なくとも貴族の中でもお偉い地位の人間から見たアルヴィ殿下は見下されているのがよくわかった。

これは普段の生活も風当たりがきつそうである。

けれど、ラウニが言われたら激高して殴りかかりそうなことを言われているにも関わらず、アルヴィ殿下は他人事のように微笑みを浮かべている。

ただ微笑みの形をしているだけなのかもしれないが、その顔のままでアルヴィ殿下は首を横に振った。

「リネアと彼女の家族にした仕打ちを、フェイブロムストの責任者たる私が許すわけにはいかないのですよ」

「確かにルースの一族は貴重な存在。

だとしても貴族でもない平民となれば、どちらが優先されるべきか殿下がよく理解されているのではないでしょうか」

「では、リネア嬢が過ごした三年の日々は、そちらの過失ではないと?

十歳の少女が衣食住が満足に与えられなかったことを放置していた咎は誰に?

ラトマー侯爵にはご令嬢が三人もいらっしゃるのに、親心が理解できないのでしょうか」

「精霊は美しいものを愛すのですから、あの件についてはルースの娘が庇護を得られなかっただけの話。

我々の責任というよりは、本人の資質の問題ではないでしょうか。

何より精霊の庭は国で管理される貴重さゆえに、専用の管理人を用意しなければならないほど。

それを理解してるのに、無暗に手を出そうなどとは思いませんよ。

誰が精霊の庭から出られなかろうと同じ対応でしたでしょう」

澄ました顔で返事をするラトマー侯爵を、見返すアルヴィ殿下の笑顔は絶えない。

「なるほど、そう返すと。

ならば仕方がない」

ただ、少し空気が変わった気がした。


「侯爵、私の後ろに立つ騎士の制服をよく見た方がいい。

彼らはフェイブロムストの警備ではなく、王家直属の近衛達だ。

さすれば今宵の会話がいかに重要なものかがわかるだろう」

余りにも領地を出なくて耄碌されたかと言われ、ラトマー侯爵の表情に僅かであるが怒りが滲み出る。

「さて話は変わるのだが、侯爵閣下のご息女には年の離れた末姫がいたはず。

確か、名前はエリナ嬢と」

途端にラトマー侯爵の顔色が変わった。

ラトマー侯爵の末娘、エリナは十歳だ。

既に嫁いだ長女や行き遅れの次女がいるラトマー侯爵にとっては娘というより孫に近く、それだけに目に入れても痛くない程に可愛がっている。

「……何が言いたい?」

「すっかり精霊の庭に夢中なようで。

家族には内緒にしてるようだが、ここ最近では上手に屋敷から抜け出すようになったとか」

まさか、という言葉は宙ぶらりんに口の端へと垂れ下がり、真偽を見透かそうと睨むラトマー侯爵の視線など意に介さずに、アルヴィ殿下はお茶を飲みながら微笑んでいる。

「十歳の少女があそこで暮らしていたという話を、誰かから耳にしたのかもしれないな。

さて、今日こそは精霊の庭に入り込んでいるのかも。

入り込む者がいないようにと精霊の庭の周辺に柵は作らせたが、早急に仕事を終わらせる必要があったせいで抜けがあるかもしれない。

どこかの侯爵閣下殿が施工業者に排他的な態度を取るので、致し方なく簡易的に施したに過ぎないので。

大人は一切通れないですが、子どもはどうだろうか」

「平民風情の下賤な王子が!」

ドン、とテーブルの上でこぶしが打ち鳴らされたが、向かいに座る殿下は涼し気な顔が変わることもない。

いつの間にか視線を戻して二人のやりとりを眺めていたラウニだが、目の前の平民王子は何であったら顔色を変えるのだろうかと思うぐらいには他人事だ。

十歳の娘など恋愛対象にもならないから興味もない。

よしんば年頃になったとしても侯爵家の平凡な見目では、ラウニから見たら及第点にも及ばない。

ラウニが初恋を捧げたいと思うのは、今宵出会えた忘れな草の令嬢だけだ。


「侍女の目をすり抜ける術の巧妙なこと。

侯爵閣下がいないとなれば、これ幸いと精霊の庭へと向かうと容易に想像もつくだろうな。

それは明日かな。それとも既に入り込んで泣いているかもしれない」

何故だろう。アルヴィ殿下が自分を見て、薄い笑みを浮かべている。

嫌な予感がする。

他人事のはずなのに、どうしてこうも嫌な予感しかしないのか。

そして、予感というものは当たってほしくない時にこそ、的中するものである。

「ラウニ!」

と血相を変えたラトマー侯爵が、横に座るラウニへと体の向きごと視線を変えたかと思えば、乱暴な手つきで両腕を掴んだ。

「今すぐ馬で侯爵領に戻れ!

万が一エリナが精霊の庭に入っていたら、お前が連れ戻すんだ!」

勢いに仰け反るラウニを知ってか知らずか、前のめりなラトマー侯爵は憤怒と焦りで真っ赤な顔になっている。

冗談じゃない。

これ以上ないほどの美しい人を見つけたのだ。

出会って恋に落ちてもらうまでは夜会を退出することなどできやしない。

ましてや彼女はアルヴィ殿下の婚約者だ。

今日の機会を失えば二度と出会うことができないだろう。

とはいえラトマー侯爵に歯向かったら侯爵領内で生活ができなくなる。

上手いこと言い訳を考えなければと思ったラウニに助け舟を出したのはアルヴィ殿下だった。


実際は助け舟ではなく、事態を悪化させる泥舟だったが。


「キーヴェリ男爵令息に頼んでも無駄だと思うが。

彼は精霊の庭に入れないのだから」

「は?」という、言葉とも息ともとれる音がラトマー侯爵の口から漏れる。

その表情は場の空気に合わないくらいに間抜けだと思いながら、身の危険を感じて両腕を掴む手を振り払って距離を取った。

腕に残る痛みに顔を顰める暇はない。

ラウニの前に立つラトマー侯爵の表情は鬼気迫るもので、この後の会話を成功させないと侯爵領での生活どころか命があるかどうかも怪しい。

「貴様、たかだか男爵家の倅なだけの癖に侯爵の私を騙したのか!」

「過去に精霊の庭に入れていたのは事実です!

急に入れなくなって、でもその前までは確かに入れました!」

ラウニが吐いた苦し紛れの言い訳は、周囲を長らく騙していたのだという事実だけが浮き彫りにされる。

「どこぞの娘を勝手に連れ込んで告白した日以来、恐らく彼は一度も精霊の庭に入れていないだろう。

先程も言ったように精霊の庭は柵で囲っていたのに、なぜ精霊の庭に関する報告書が届くのか不思議だったので。

ここ一年ほどは真偽の確認の為にキーヴェリ男爵令息には監視をつけていたが、庭の近くに来ることも無かった」

そして今までの報告書らしき紙束がテーブルへと投げ出された。

「それにしても、もう少し報告書をきちんと確認していれば、早い内に侯爵家で手を打てただろうに。

キーヴェリ男爵令息は随分と手抜きをする性格のようでな、いくつかのパターンの文章を作るか過去の報告書を見返して、同じ文章をそのまま再利用して報告している。

そんなことすら気づいていないのだからラトマー侯爵家自体も大丈夫なのかと危ぶまれるくらいだ」

呆然と床にへたりこんだラトマー侯爵を見ながらも、涼しい顔を変えることのないアルヴィ殿下が言葉を続けた。

「先程はご立派な発言をされていたので大丈夫だとは思うが、あの精霊の庭を外側から破壊することはお勧めしない。

精霊の庭を破壊して怒りを買った場合、エリナ嬢の身の安全は保証できないのでな。

ああ、ルースについても私の婚約者以外は全員が他の精霊の庭の管理に就いているので、残念だが誰かを向かわせることはできない。

本当に、実に残念な話だ」

アルヴィ殿下の指示で後ろにいた騎士がラトマー侯爵を立たせようと腕を掴む。

されるがままの侯爵に「お早く帰ったほうがいい」とだけ言ったアルヴィ殿下は、そのまま夜会の外で待つ馬車に届けるように命じ、今の短時間で一気に老け込んだようにも見えたラトマー侯爵の姿はすぐに扉の外へと消えていった。



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