一章/4話『騎士団――パレード』
唐突な働け勧告。
「働く――といいますと?」
「そのままの意味ですよ。働いてください浮浪者さん」
クソニート生活を、穀潰し生活を3年以上も続けてきたクヌギにとって、それはあまりにも急な話だった。
「少し考えてみたのですが、やはり浮浪者さんには浮浪者さんを脱却して頂く必要があると思いまして」
そもそも私は浮浪者ではなくニートですと、訂正することを考えたクヌギだが、さして違わないと気付く。
「脱却ですか……」
「安心してください、浮浪者の手も借りたいほど忙しい場所に心当たりがあるんです」
働く……クヌギには非常に縁遠い言葉であったが、この機会を以って自堕落な生活に終止符を打ち、一人間として真っ当に生きてみるのも悪くないかと考え至る。が、やはり気になるのは
――なんで社会復帰の手伝いをルゼさんが?
「そりゃあ食い扶持に困らなくなるでしょうし、願ったりかなったりなんすけど、その話、ルゼさん的には何のメリットが?」
性悪……とまではいかずとも、ルゼは無償の善意を振るう様な人間ではない。
「そうですね、強いて言うなら最近はあまり贅沢できていなかったから――ですかね?」
「うん??それがルゼさんのメリットとどういう関係になるんですかね?」
一聞しただけでは、話の趣旨からそれたような内容。
「ええと……?浮浪者さんも命の恩人に金銭を献上出来るというのは、願ってもないことですよね?」
――間違いない、この人間の性根はドス黒い。
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交渉の結果、クヌギの涙ぐましい説得の甲斐もあり、
――0対10。
これがクヌギの収入を分配する比率だ。勿論、0がクヌギである。
――あれ、おかしくね。
ルゼ宅の簡素な木製の風呂桶に浸かりながら、違和感と向き合う。
とはいえ、これまでも水と食べ物の支給(果物のみ)はあり、それを今後も続けてくれるらしい為、野垂れ死ぬことはないだろう。
――死ななければ良いってもんじゃねえけど……
ある程度入浴で疲れを癒せたため、クヌギが風呂場から上がると、そこにはなんと親切にも白い寝間着が用意されていた。
ルゼからの厚意に驚きつつ、クヌギは脱衣所を後にする。
扉から廊下に出ると、そこにはルゼが居た。
「さぁ、明日からお仕事ですからね。今日は文明的な寝床で寝てください」
「あ、一応庭で寝るという行為が非文明的だというのはご存知だったんですね。ちなみにどの部屋を借りれば良いんですか?」
ルゼ宅は玄関から裏庭を繋ぐ一本道の廊下と、その左右に2つずつある計4つの部屋から構成されている。
「そうですね……」
そう言って、玄関から見て通路右側の「寝室」と書かれた部屋を一瞬だけ指差すも……スッと方向を変えて隣の「物置」と書かれた部屋を指す。
――ですよね。はい、知ってましたとも。
もしかしたら美少女の近くで寝れるのではないか、そんなクヌギの淡い希望は弄ばれた後に踏み潰された。
「それじゃあおやすみなさい、浮浪者さん」
寝室へと入っていくルゼの天真爛漫な笑みに残酷さを覚えながら、クヌギは物置と書かれた扉を開ける。
内装は以外にもスッキリとしており、箒やちりとりやらの掃除道具、跡は古びた書物がいくらか散見される程度だ。
そして何より驚くべきは中心にある掛け布団。先程の寝間着といい、掛け布団といい、
――ルゼって思ったより人間の心あるんだな。
クヌギはそんな事を考えながら、異世界で初めてゆっくりと眠りについた。
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――翌日。
「さぁ、行きましょうか浮浪者さん」
ルゼが玄関の扉に手をかけて、クヌギに声を掛ける。
その言葉に急かされたクヌギもコートを羽織りながら小走りで玄関に向かう。
「そういや、その浮浪者さんってのは流石に人前だとちょっと……」
人前でまで浮浪者呼びされては、流石のクヌギもプライドに傷が入る。
「それではなんとお呼びすれば良いですか?」
「え?普通に冬月か功刀で良いんじゃないですか?」
「ふゆつき?くぬぎ?随分変わった名前なのですね」
――命の恩人に名乗っていなかっただと!?
冷静に考えてみれば、それはそうだった。クヌギは出会った当初から一貫して「浮浪者」と言う不名誉な固有名詞で呼ばれていたのだから。
「すいません、本当に改めましてなんすけど、冬月功刀って言います」
遅すぎる自己紹介に、ルゼがくすりと笑う。
「それでは、フユツキとお呼びしますね」
「あれ?「さん」は付かなくなるんでですね。いや、勿論そっちのほうが親近感あっていいですけど」
普段から明らかに見下しているだろう対象――クヌギに対してすら敬語のルゼが、急に呼び捨てというのは、クヌギの印象とは少し違っていた。
「ええ、浮浪者さんはまだいいのですけど、フユツキさんでは少し格の違いが分かりづらいかと思いましたので……」
「浮浪者」が「フユツキ」になったことによる位の昇格を、「さん」という敬称の省略によって打ち消すという、親しみの欠片もない理由だった。
「――そっすか」
クヌギがルゼに連れられて歩くこと、約二時間。着いた場所はルゼ宅から街中を挟んでほぼ反対側にある建物だった。
外見は要塞の様であり、灰色を基調とした配色もあって非常に恐ろしげな雰囲気が漂う。
「――まじでここなんですか?ブラックな環境で過労死寸前まで働かせるとかじゃないっすよね?」
――流石のルゼさんもそこまで鬼じゃないよな……
しかし、今までのルゼからの対応、そして建物の外観からそんな予想をしてしまう。
「寸前で済むと良いですね」
予想――的中。
クヌギは全力で逃亡を試みるも、水の縄のようなもので捕縛され、あっけなく建物内部へと連行された。
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大理石の床に、ぐるぐる巻きのクヌギが投げ捨てられる。
「ジークさん、持って来ましたよ」
ルゼが手をかざすと、クヌギの頭部を含む全身を縛り付けていた水の縄が蒸発するように解ける。
視覚を取り戻したクヌギだったが、同時に超至近距離の男の顔面が視界に飛び込んでくる。それも、とびきり――悪人面。
「ひぇ?!」
「おい、人の顔見て悲鳴たぁ育ちが悪ぃなァ?」
唾が凄まじい勢いでクヌギの顔へ飛ぶ。
「ほら、フユツキも挨拶してください」
「えと、冬月功刀です。年は18で……」
品定めするような目でじっとクヌギを見つめる男に、クヌギは若干の緊張を覚えつつ軽い自己紹介をする
「クヌギだぁ?珍しい姓だな……ルゼ、こいつどこで拾った来た?」
「場所で言うなら路地裏ですけど、出身地は知りませんよ」
――珍しい「姓」?この世界じゃ名姓の順番なのか。あれ、じゃあルゼさんってずっと下の名前呼び捨てだったの……?
それが親しみの表れではなく、格差の明確化である事を知るクヌギの心情は複雑。
念のため訂正しておこうかとも考えたクヌギだが、「自分の性と名の順番間違えてました」は流石に無理があるかと思い、考え直す。
「そうか――まぁいい……」
ようやっと顔を離し、その全体像が明らかになる。
「俺はジーク・バグマン。王国騎士団パレード――騎士団長だ」
身につけているものはもはや衣服とは呼び難く、「ボロ布」と言った方が正しい。それに悪人面を加えた総合的な印象は、クヌギの思う「騎士団長」のイメージとはまるで異なる。
「そんじゃあ――雑用、よろしくな?」
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「おい!応接間の片付け終ってねぇじゃねぇか!!」
二回の通路を必死で雑巾掛けするクヌギに、一回のソファから酒焼けした怒号が飛ぶ。
「いや、ちょ、待ってくださいよ……もう限界ですって」
「騎士団長」様の御座すこの建物、クヌギの初めての職場の正体は――騎士団本部。内部構造の複雑さは現代日本の建造物の比ではなく、たかが廊下の雑巾がけといえども、それに伴う疲労は想像を絶する。
「うるせぇ!人間に超えれねぇ限界なんざ無えんだよッ!」
「その限界、超えた先に死が待ち構えてませんよね?!」
クヌギはルゼに売り飛ばされてから、約半日以上も働き詰め。脱ニート初日でその眼前には死がちらつく。
「ったく……あ、もう切らしちまった。フユツキぃ、調理場から酒持ってこい!最優先だ」
クヌギは「最優先」とのご命令に、一階の調理場へ降りる。
休憩がてらにゆっくり酒を探して、六本程を腕に抱え、急ぎました風でジークの元に運ぶ。
丁度クヌギが広間に出たところで、ジークの後ろの扉から制服のような衣服を着た二人の女の子が出てきた。
「ふぁ~あ……声でけえよジーク――って、まぁた飲んでんの?職務怠慢は感心しないなー」
あくび混じりにジークを叱責するのは、ツリ目に八重歯の勝ち気な雰囲気の女の子。後ろで結わえた茶髪と制服のネクタイを解きながら、ソファの空いたスペースに寝そべる。
「こんな時間まで寝てるような奴にゃ、言われたかねぇよ」
もう一方、温和そうな紫髪の女の子がクヌギの方へと歩み寄る。
「ええと、新しいお手伝いさんですよね?」
ルゼのものとは違う、純粋さを感じる丁寧口調。
「お疲れ様です」
邪悪さを孕んでいない、優しい笑顔。
――なんてこった?!この子多分、いい子だ!!
疲労困憊のクヌギは、非常にチョロかった。
しかし、異世界生活も早一週間。ようやっと現れた正統派美少女に、クヌギが興奮を抑えられないのも無理はない。
「私はシエナ・リュズウェル。シエナで構いませんよ」
「冬月功刀っていいます!是非!是非仲良くしましょう!!」
「え、ええ……よろしくお願いします、クヌギさん」
――下の名前呼びだと!いや、まぁ向こうからすれば名字呼びなんだろうけど。
軽い挨拶の後、シエナはクヌギの持っている酒瓶数本を肩代わりして一緒に運んでくれた。
「おお、やっと持って来たか」
「ふいふい、ちゃっちゃと頂戴な!」
茶髪の女の子から飛び出す、ついさっきの記憶が欠落しているとしか思えない発言。
シエナは呆れたような顔をしながらも、テーブルに酒瓶を置く。
「職務に支障をきたさない範囲で、ですからね。」
「はーい、ママ~」
「シャナだけじゃなくて、ジークさんも!」
シエナの忠告に、シャナと呼ばれた女の子はふざけ気味で返し、ジークに至っては無反応で酒を注いでいる。
その光景にシエナは口を出すでもなく、頭を抑えるばかり。
「これ、良いんですか?」
「いつでも正しい意見が聞き入れられるとは限らないんです、クヌギさん」
悟った表情を浮かべるシエナ。
「てかさ、なんで兄ちゃんからルゼさんの匂いすんの?」
話題は一転、シャナから不意に飛び出した質問に、意外な名前が登場する。
「――ルゼさん?そんな馬鹿な……」
どんだけ鼻がいいんだ、とも気になったがしかし、それよりもに自分にルゼの匂いが付いているという方がクヌギには衝撃的だった。
なにせ、特殊な……というか、悪意を含んだルゼからの給水方法を全力で受け入れて以降、ルゼの侮蔑的視線によりクヌギの接近は拒まれていたのだから。
「こいつ、ルゼの魔法に縛り付けられてたからじゃねぇか?」
その疑問の答えはジークの口から明かされた。
「魔法って匂いとかあるんですか……?」
「えぇっー!何々、ルゼさんと知り合いなの?どんな関係なの?ズブズブなの?羨ましいな~」
シャナは子どものように目を輝かせている。その様相からして、ルゼにただならぬ関心があるようだ。
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