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一章/2話『少女様は女神様』

――クヌギが異世界に来て五日目の昼頃。


 飢えに狂って、道端の草を口にする。乾きに堪らず、這いつくばって泥水を啜る。そして、残らず殆どを吐き出す。

 尊厳の一切を捨てた様。しかし、飢餓の限界を迎えたクヌギにはそれらが「食料」として、目に映る。


「あぁぁぁあぁぁ……」


 時、路地裏にこだまする、静寂の恐怖に蝕まれたクヌギの叫び声。叫びの衝撃で幾度となく咽せ返り、口の中は鉄の味に満たされた。

 頭を掻きむしり、腫れた拳で永遠壁を殴り続ける。残された僅かな体力さえ、棒に振って地面にへたり込んだ。


――もう、殺してくれ……許して、くれ……


 クヌギが心中で反芻する、絶望の言葉。



 しかし、その時は唐突に訪れた。

 路地裏の遠くから響く、地面を蹴るな音。その音は、間違いなく、

――足音。

 次第に近づく音の主はが現れたのは、路地裏の曲がり角から。

 

 青髪緑眼。純白のワンピースに身を包んだ、一人の少女だった。前髪は額の中心で分けられていて、可愛らしい、というより、美しい顔立ちが目立つ。極限状態のクヌギの目に映る彼女は、さながら女神様の様だった。

 彼女は腰まで在る長い髪を揺らしながら、クヌギの方へと近付いてくる。

 が、声を掛ける訳でもなく、目もくれず、気に留める事なく――横を通り去った。


「あ……の、待って……待って、ください……」


 クヌギの掠れた声に、少女は数刻振り向く。そして、冷めた声色で、


「申し訳ないのですが、浮浪者さんに渡せる金銭も、食料も持ち合わせ居ないんです」


 5日間まともに洗えていない衣服に、ベタベタの髪の毛。そんなクヌギが彼女の目にどう映るか、それは当然「浮浪者」。寧ろ、まともに取り合った彼女は十分優しいと言えよう。

 だが、それでも引く訳にはいかないのがクヌギ。


「お願い……します、本当に、何でもします……出来ることなら!やれることなら!何でも、何だって!やりますから!だから、だから助けてください!だから――救って、ください……」


 必死の、全力の、最大限の懇願。それに心打たれた……と言う訳では無いにしろ、少女は少しの間「うーん」と頭を悩ませ、


「本当に、本当に何でもするんですか? 言ったことを、言った通りに、絶対服従で、逆らうこと無く、全てやってくれるんですか?」


 あまりに強い語気でまくしたてられ、一瞬怯むが、それでも首を縦に振った。遂には少女の服に縋り付いて、頭を地に擦り付け、何度も、何度も。

 とても見ていられない醜態だが、少女はそれから目を背けること無く、暫く傍観した後に、


「分かりました、分かりましたから、もう辞めてください。あなたを助けますよ、浮浪者さん」


 遂に、承諾を勝ち取った。

 クヌギは喜びのあまり涙を浮かべながら、外に出る道がわからない事、もう何日もまともな食料も、水分も口にできていない事、それら全てを下呂でもするかの様な勢いで話した。


「そうですか。では、食料は外で買うとして……水分はここで取ってしまいましょう」


「持ってるん……ですか……!」


 そう言って少女が取り出したものは、水筒でも、ましてペットボトルでもなく、「手」。


「――えっと?」


「レーゼ」


 困惑するクヌギを横目に少女はそう唱えた。そして、声に呼応する様に何処からともなく水が現れ、少女の手を伝った。

 そんな奇跡のような現象は、ここが異世界あると確かに証明した。


「ほら、飲まないんですか? 喉が渇いていたんですよね?」


 少女は水の滴る手をクヌギの前で揺らし、餌付けでもするかのように振る舞う。冷笑を浮かべ、嘲弄するかのように。つまり、クヌギが人生で初めて目にした「魔法」と思しきもの、それの使用用途は自身への屈辱的な給水だった。


――なんてこった、どれだけだけサディスティックな少女なんだ!?


 が、しかし屈辱的というのはあくまでも、一般的観点において。


――だが……


 そして、それが向けられた先に居るのが「変態」であれば当然――話は変わる。


 その日、路地裏にベチャベチャと、良い年した男が少女の手を舐める音が鳴響いた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――


「え、えーと……すごい勢いで舐めるのですね……なんだか、喉が乾いていた以上のものを感じた気が……」


 先程までの弄ぶような笑みは一転、少女の表情は引きつっていた。


「いや、マジで助かりました! 本当、命の恩人ですよ!」


 対するクヌギは、未だに掠れているものの、ハキハキとした声で応じる。そこにはやはり、喉が潤った、以上の何かがある様に。

 つまり、クヌギはどちらかと言うと、「そちら側」の方だった。


「ま、まぁ、それはそれとして、そろそろここを出ましょうか。外で、食べ物でも買いましょう」


 と、ようやく表情を持ち直した少女が。

 

「え、出れるんすか……? その、ここの入り組み方、尋常じゃないっすよ?」


 一週間弱――迷う……と言うには長すぎる時間、この路地裏で半遭難状態だったクヌギの疑問。それに少女は、きょとん顔で、


「ここから角を3つか4つ曲がれば、すぐ大通りですよ?」


 平然と答えた。


「はい?」


 角を3つか、4つ。もしそれが事実だとすれば、クヌギは山で言う所の一合目前、どころか山道手前レベルの場所で迷っていた事になる。

 

――そんな馬鹿な


 そう思いつつ、少女に連れられ数十秒。

 クヌギの目に飛び込んできたのは――


「いや、は?そんな訳……いや、え?」


――異世界の、町並み。

 石造りの道に、立ち並ぶレンガ造りの建物、道端に数多展開される屋台のようなもの。なにより、そこを闊歩する者達の髪色は本当の意味で十人十色。


「先程、「迷っていた」と仰っていましたけど、流石にこの距離で迷うのはどうかしていますよ。およそ日常生活が遅れるとは思えません」


 もし仮に、クヌギが目にしている現状を真実とするなら、ルゼの言っている事はその通り。


「いや、でもここを五日……確かに五日は彷徨っていました。だから、その、あり得ないですって……」 


 クヌギの必死の申しに、少女は「そんな事言われても」と、困惑するばかり。暫くして、眼の前に「町」がある以上、それが真実であり、それ以上の抗議は意味をなさないと悟り、クヌギも口を閉じた。


「誰でも迷うことはありますから。それより、お腹が空いているんですよね? 近くで何か食べ物を買ってきます。少し待っていてください」


「あ、はい……」


 子どもでも慰める様な口ぶりに尊厳を若干傷付けられつつも、五日ぶりにして異世界初の食事への期待に、クヌギは胸を躍らせる。


 路地裏の入口付近でクヌギが少女を待ち始めて5分。少女は紙袋を手にして戻ってきた。

 そして、その中に入っていたのは――赤い果実。数学の問題でよく見るような、おばあちゃんがよく落とすような、あの赤い果実。

 それが何かを問う余裕もなく、クヌギは一つ掻っ攫って頬張った。


 齧るや否や、口の中に甘みが広がる。

 知らぬ間に、クヌギの頬には涙が伝っていた。


「うまひ……まひでうはい!」


 クヌギは凄まじい勢いで2つ、3つ、4つ、と次々に頬張り、喉が詰まった所で ようやく止まった。

 数回咽て、ゆっくりと深呼吸。


「いやぁ、マジで生き返りました……因みにこれなんて食べ物なんです?」


「あら、随分凄い質問をするんですね。もしかして今時の浮浪者さんの平均知能は幼児以下なのでしょうか」


 冗談まじりながら、厳しい言葉。しかし、冗談でもなんでも無く、クヌギは日本において「りんご」と呼ばれるそれの、異世界における名称を知らない。


「いや、まじで分かんなくて……」


 至って真剣な眼差しに、冗談で無い事を理解した少女は驚愕の表情で、


「――りんごですよ……?」


 と一言。


 冷静に考えて言語が通じている時点で、物の名詞も同一であるのが道理。が、クヌギが気付いたときには既に遅く、少女の目はクヌギを案じるように、見下すように、光を失っていた。


「あ、ああ、はいはい。そうだ、それだ。りんごですよね、りんご」


 必死に取り繕うも、少女の眼差しは変わらず。


「まぁ、もういいので帰りましょうか、家に」


 と、ため息混じりに。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 歩く度に周囲の建造物は減る一方、草原の面積は増え続け、周囲はもはや草原となっていた。そこにポツンと木造の古い家が一軒。


「いや、本当悪いですね……食料を恵んで頂いたばかりか、寝床まで」


「いえ、気にしないでください。きっとお疲れでしょうから、今日はお風呂に入ってゆっくり寝てください」


「――んと……助けてもらってる身分でこんな事聞くのもあれなんですけど、流石に親切が過ぎませんかね? 自慢じゃないですけど、救う価値の在る人間じゃないですよ、僕」


 苦笑するクヌギに、少女はニッコリ優しく笑顔を貼り付けて、


「本当に、気にしないでください。この恩はきっちり取り立てますから」



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