第8話 聖女は命じる
「聖女様! ご無事ですか!?」
「そちらは何者か! 真祖ではないようだが……」
ぞろぞろと踏み込んでくる騎士や神官たち。
結界の外で騒ぎ立てていた『聖女の後見』だった。
彼らは聖女の身を案じつつも、その隣に立つナギサに対して強い不信感を向けている。
「吸血鬼? いや、あのみすぼらしい黒ローブに、くたびれた面相……、貴様、魔法使か」
そして、魔法使がいるとわかると、途端に表情を険しくする。
くたびれた面相は余計だ。
が、当然の反応だとナギサは思う。
彼らは聖女と真祖の戦いに加勢できなかった。それどころか聖女に庇われていたのだ。一般兵はともかく、身分ある騎士や神官にとっては不名誉な事実である。
しかし全員がそうだったのならばまだ気が楽だ。聖女に並び立てる者などいないのだから恥じることはないと、自分を慰めて諦めることができる。
ところが、結界の中には他にも人間がいた。
よりにもよって穢らわしい魔法使が。
名だたる騎士や神官が蚊帳の外なのに、なぜ魔法使ごときが聖女と一緒にいるのか。
そう憤るのはプライドの高い『聖女の後見』たちならば当然だった。
……こうなることがわかっていたから、さっさと姿を消したかったのだ。
しかし今は聖女に黒ローブのすそを掴まれて逃げることができない。
嫌な予感などという段階はとっくに過ぎていた。
大げさではなく、このままでは命に関わる。
「真祖は倒したわ。わたしたちの勝利よ」
聖女は険悪なムードを吹き飛ばすように明るい声で勝利を宣言する。
「おお……!」
「たしかに、あの忌まわしい魔力が感じられませんな」
「見事なものだ……」
真祖討滅の宣言に、険しい顔をしていた男たちの表情もほころぶ。
そんな中、後見たちの中から派手な甲冑の騎士が歩み出てきた。
「さすがだアルテリア。『浄化の聖女』よ」
派手な甲冑の騎士は聖女の名を呼び、大げさに両腕を広げてみせる。
「信じていたよ、君の力は真祖にも届きうると。君は僕が見込んだとおりの女性だ。強さと美しさを兼ね備えた、当代随一の聖女」
「大げさよ、イニアス様」
こなれた感のある称賛の言葉に、ぎこちない笑いを返す聖女アルテリア。
イニアスと呼ばれたこの騎士が『聖女の後見』の中心人物のようだ。
ナギサもその名前には聞き覚えがあった。
イニアス・ヘンドリクス。ヘンドリクス伯爵家の長子である。
「ところでアルテリアよ、この輩はなんだ?」
イニアスは不快なものを見るような目をナギサに向けた。
すると他の取り巻きたちもイニアスに追従し、
「そうだ、なぜ聖戦の場にこのような下賤の者が紛れ込んでいる」
「結界が解けたとき、その男が聖女様を襲おうとしているように見えたが」
「結界の中に潜んでいたのは、戦いが終わった聖女様の隙を狙っていたからでは」
――などと、彼らにとって都合のいい筋書きを語る。
この魔法使は聖女を汚そうとした不届き者なので、厳正なる裁きを下さなければならない。
シナリオの結末はそんなところだろうか。
それを現実にするべく取り巻きたちが動いた。
不届きな魔法使を逃さないようナギサたちを取り囲んでいく。
「アルテリアよ、聞いてのとおりだ。そいつから離れたまえ」
イニアスが芝居がかった仕草で手を差し伸べる。
「その必要はないわ」
聖女アルテリアはその手を取らない。
「だって、彼はわたしの従者になるんだから」
なんでもないことのようにアルテリアは言った。
あまりにもあっさりしていたので、その場の人間は発言の重大さをすぐには理解できなかった。
「……今なんて?」
ナギサは聞いた。
「あなたはわたしの従者になるのよ」
アルテリアは答えた。
「魔法使なんぞが『浄化の聖女』の従者に?」
ナギサはもういちど聞いた。
今度はもう少し具体的に。
「あなたじゃなきゃダメなの」
アルテリアは断言してしまった。
おおかた吸血鬼化の秘密を知ったナギサを逃さないためだろう。
しかし宣言を聞かせる相手が悪すぎる。
「何を……、何を言っているアルテリアよ」
固まっていたイニアスが、ようやく我に返った。
その声は引きつっており、険しい顔でアルテリアに警告をする。
「従者のことをただの荷物持ちのように考えているのであれば、それは大きな間違いだぞ」
別の後見が口を開く。
「従者とは主を支え、盛り立てる者。身を挺して主を守るだけではない。主が道を外れそうなときには、その過ちを諌めねばならん」
また別の後見が重々しく告げる。
「優れた品格と、豊かな教養。深遠な知識に、確かな実力」
さらに別の後見が言葉をつなぐ。
見事な連携だ。練習したのか?
「主の地位が高ければ高いほど、従者に求められる物は多く、その水準も高くなるのだ」
聖女の従者には何が求められるのか。
後見たちの説明を聞いて、アルテリアはゆったりとうなずいた。
「……わかったわ」
ちらりと肩越しにナギサを向いて、
「そういえば、あなたの名前は?」
と小声で聞いてくる。聖女がいち魔法使の名前を知らないのは当然だが、名前も知らない者を従者にすると宣言する大胆さに、改めて呆れてしまう。
「クロス・ナギサです」
「異国の響き、素敵な名前ね」
「アルテリア・ルクス・アルテミシアほどではありませんよ」
「ありがとう」
アルテリアは短く、しかし確かに嬉しそうに礼を言って、再び前を向いた。
「――皆さんの忠告には感謝するわ。でも決めたの。わたしの従者はこの人しかいない」
「わがままは止すんだアルテリア」
「聖女の従者候補ならばこちらで考えてある。誰もが由緒正しい家柄の者や、確かな実力者ばかりだ」
「そうですぞ。忌まわしい魔法使、しかもこんな小汚い者を――」
『聖女の後見』たちがあれやこれやと文句を言いつつ、少しずつ近づいてくる。
実力行使に移るつもりだ。
騎士は剣の柄に手をかけ、神官は杖を握り直している。
しかし、アルテリアはそれらを気にしていない。
そのことが背中越しでも理解できた。
吸血鬼を一方的に圧殺したあのときのような。
落ち着いて揺るぎない凄みを感じた。
「このわたし、アルテリア・ルクス・アルテミシアは、魔法使クロス・ナギサを自分の従者とします」
アルテリアが宣言する。
『聖女の後見』の半分の足が止まった。
残る半分も動きが鈍くなる。
「わたしはナギサを、自分の従者とします」
二度目の宣言。
それで全員が足を止めた。
無言、そして表情もどこか虚ろになっている。
「だから他の従者候補は必要ないわ。わかったかしら?」
アルテリアの問いかけに、全員がのろのろとうなずいた。
「じゃあ回れ右をして、ここから離れて。わたしたちをゆっくり休ませて」
『聖女の後見』たちは命じられたとおりにした。
ばらばらに踵を返し、ぞろぞろと遠ざかっていく。
表情はなく、言葉もなく。
その動きは亡者の群れのようだった。
――いや、本当に何が起こった?
『聖女の後見』たちはアルテリアの意思を尊重していない。彼らは、まだ若く世間知らずな聖女の導き手を自負するだけの、押し付けがましい大人たちだった。聖女の力だけを利用しようとする寄生虫の集まりだった。
そんな連中が言葉だけで素直に引き下がるわけがない。
アルテリアは一体どんな手を使ったのか。
――決まっている。
ついさっき手に入れた力があるではないか。
「今のはまさか、吸血鬼の異能か?」
「……そう、みたい」
アルテリアは自分でもよくわかっていない様子で曖昧にうなずいた。