第6話 勝利と異変
戦いの場が静かだということは、まさかもう決着がついてしまったのだろうか。
ナギサは聖女の安否を確かめるために目を凝らした――
「ねえどんな気分? 今どんな気分かしら?」
――が、先に情報を拾ったのは耳だった。
「人間よりも強い吸血鬼が! プライドを捨てて不意打ちしておいて! それでも負けて地面に這いつくばって! すでに傷ついていたプライドは! どうなったの? 粉々に砕けちゃったかしら!?」
白い修道服の人影が、地面に向かって喚き散らしていた。
その足元には黒ずくめの人影がうつ伏せに倒れている。
「馬鹿な……、わ、妾がこのような……」
弱々しいうめき声は真祖ヴールーのものだ。
何本もの光剣によって地面に縫い付けられている。
「聞いてるの? 返事しなさいよ真祖ヴールー! 耳もいいんでしょ吸血鬼は!」
聖女が光剣のうちの1本を掴んでグリグリと捻った。
「ギッ……! ギャァ……!? 痛い痛い痛いぃ……!」
「ふん、まだ元気そうね、存在規模にも余裕があるみたいだし」
「クッ、この化け物め……」
「乳牛の次は化け物? 好き勝手に言ってくれるわね……」
「あのぅ……、聖女サマ?」
「次はその減らず口を縫い付けて……え?」
聖女が言葉を止めて振り返った。
ナギサを見ると目を丸くする。
「あなたはさっきの魔法使!? どうやって結界の中に――」
「さすがに真祖と一人でやり合うのは危険だと思ったのですが……、どうやら余計なお世話だったようで」
「あっ、えっと……」
聖女は獰猛な笑顔を引っ込める。
そして視線をさまよわせつつ、そっと光剣から手を離した。
聖力が途切れた光剣が、砕けるように消失する。
最後に、両手を隠すように後ろに回して、ニコリと愛想笑い。
……そんなことでごまかせると思っているのだろうか。
ナギサは拍子抜けしてしまった。
聖女と真祖の戦場に飛び込む以上、相応の覚悟をしていたのだ。
ところが、中に入ってみればすでに決着がついていて。
おまけに聖女が真祖をいたぶっているという。
とてもよそには見せられない場面に出くわしてしまった。
ナギサも聖女も、お互いに続きの言葉を口に出せずにいた。
いたたまれない、気まずい空気が流れる。
――が、その空気は同時に緩みでもあった。
緩みは隙である。
特に戦場においては、逆転を許しかねない危険な空白だ。
その空白を突いて動いたのはヴールーだった。
「くくっ、わざわざエサになりに来るとは愚かな人間めッ」
ヒュン、と風切り音。
ナギサの側面からコウモリ型の黒い影が飛来する。
しかし完全な不意打ちにもナギサは反応した。
腕を振るっての迎撃。
その手にはペン型の魔道具が握られている。
即座に記述した障壁の魔法でコウモリを弾いたのだ。
「――なん、じゃと?」
それは吸血鬼の真祖をして目を瞠るほどの速度と精度。
「だっ、大丈夫!?」
「まあこの程度なら」
聖女の悲鳴じみた声に対して、ナギサの返事は淡々としたものだ。
影の獣の一匹や二匹ならば技量によって十分に対処できる。
その反面、魔法の威力が低いため、物量攻撃には弱いのだが。
聖女は胸をなでおろしつつ、ヴールーを冷たい目で見下ろす。
右腕を空に向けつつ詠唱すると、中空に十数本の光剣が出現した。
「まったく、油断も隙もない……」
「ヒッ」
ヴールーが引きつった声を上げる。
「身体を縫い止めるだけでは駄目ね。やっぱり息の根を止めるわ」
「つっ、強がりも大概にするがええ、すでに妾の一部が貴様の中に――」
聖女が腕を振り下ろすと、ヴールーの身体に光剣が降り注いだ。
そのうちの一本が捨て台詞ごと真祖を断頭する。
それが止めだったのだろう。
真祖の身体が灰になり、輪郭を失って煙のように消えていく。
「……ふう」
真祖の末路を見届けると、聖女はため息をついてその場にしゃがみこんだ。
「ご無事ですか聖女様」
「ええ、大丈夫。ただ、さすがに聖力を使いすぎて、ちょっと疲れちゃったわ」
顔を上げて応じる聖女は少し息が上がっていた。
純白だった修道服には汚れが付いて、端々には破れも目立つ。
それでも大きな傷を負っている様子はない。
つまり彼女は、五体満足で吸血鬼の真祖を討ち滅ぼしたのだ。
しかも連戦によって消耗した状態で、である。
「……最初はわたしも、勝てないと思ったのよ」
ポツリとこぼす聖女の雰囲気が変わった。
演じていたふうな厳かさが薄れ、年相応の気安さを感じるようになった。
ヴールーへの罵倒を聞かれたことで開き直ったのかもしれない。
その変化のせいというわけでもないが。
勝てないと思った、という聖女の言葉に嘘はないように感じた。
ヴールーと対峙したときの、彼女の動揺ぶりは演技ではなかった。
真祖の魔力を目の当たりにして、その強大さに圧倒されていた。
だから勝利よりも仲間の無事を優先して、時間稼ぎを引き受けたのだ。
「でも戦っているうちに、だんだん慣れてきたというか……。今までわたし、死線に立つような戦いをしたことがなかったの。そこまでの強敵に当たったことがなくて。だけど、ひと目見てわかったわ。真祖ヴールーはわたしより強いって。癪だけど。
自分より強い敵、っていうのが重要だったのね。
それに対抗するために必死で戦っていたら、実力以上の力を振り絞ることができた。考えて戦うようになった。例えば、今までは何も考えずにただ防いでいた敵の攻撃を、これは防ぐ、これは避ける、という見極めをするようになったし。……おかげで大切な服がボロボロだわ」
聖女は修道服の裾をつまみながら苦笑いを浮かべてみせる。
ナギサはそんな彼女にかける、気の利いた言葉が見つからなかった。
もともと強かった聖女が、強敵との戦いの中でさらに成長したのだ。
真祖が言った〝化け物〟という評価は大げさではないだろう。
串刺しにされたくないので口にはしないが。
「ま、まあ、とにかく外へ出ましょう。後見の人たちも心配していましたよ」
ナギサは結界の解除を促す。
ところが、聖女はうなずいたものの、なぜかすぐに立ち上がろうとしない。
「聖女様?」
「えっ、ええ……」
「どこか痛めましたか?」
「ううん、そうじゃないんだけど……」
聖女は胸元を押さえてこちらを見上げていた。
頬を赤く染めて、瞳がうるんでいる。
一見すると熱病にかかったかのよう。
しかし、本当の異常はそこではない。
瞳の色だ。
聖女の目は薄闇の中で赫々《かくかく》と輝いていた。
「ええと、その……、なんだか喉が渇いてしまって」
赤い瞳が獲物を狙うようにナギサを見ている。