第5話 投げやりな決意
結界の外側には人が集まってきていた。
吸血鬼の襲撃が止んだかと思えば、さらなる強大な魔力の出現と、結界の構築。
立て続けに変化する事態に、状況を把握できている者はほとんどいない。
真っ先に逃げていた騎士や神官など、現場を見ていない者はなおさらである。
「ええい! いったい何がどうなっておる!」
「本当に吸血鬼どもはすべて倒したのか?」
「では聖女様はいずこにいらっしゃるのだ!?」
その中でもひときわ騒ぎ立てている集団にナギサは近づいていった。
「えー、恐れながら申し上げます」
ナギサが跪いて声をかけると、神官たちは煩わしげに目を細める。
「なんだ貴様は、魔法使風情にかまっている暇はない」
「我々は聖女様の後見であるぞ」
この手の扱いには慣れている。
ナギサは顔色一つ変えることなく話を続ける。
「その聖女様より伝言を預かっております」
「――なんだと?」
「真祖ヴールーが現れました。聖女様は撤退の時間を稼ぐために結界の中に残っております。現在は真祖との戦闘中です」
ナギサは淡々と事実だけを述べた。
それを理解できるだけの沈黙が過ぎると、
「なんと……、なんと美しい献身か」
感極まった――あるいは芝居がかった――騎士の言葉を皮切りに、聖女の側近たちは口論を再開する。
「聖女様を一人残して逃げられるものか!」
「もちろんだ、私は戦うぞ!」
「しかし敵は悪名高き真祖。助太刀などとても……」
「聖女様とともに戦って果てるなら本望!」
そんな感情的な言葉の応酬に、現実的な問題が挟まれる。
「――とはいえ、この結界を破らなければ助けに入ることもできんぞ」
そう、聖女の結界の強固さである。
真祖の魔法すら防ぐ結界は、同時に味方の助力をも跳ね除けてしまう。
「……ならば魔法使どもにやらせてはどうか」
ぽつりと呟かれたその提案に、過剰なまでの反論が起こる。
「バカな、ありえん!」
「そうだ! 聖術は神の御業ぞ!」
「汚らわしい邪法でどうにかしようなどと、口にするのもおぞましい」
「貴殿がそのような思想の持ち主だったとは」
「なっ、違う! 自分はただ可能性の話をしただけで……」
この緊急時にまで政治的な駆け引きを忘れないとは、呑気な連中である。
ナギサは呆れつつもその場から離れた。
彼らの中には魔法使ごときの動向に気を払う者はいない。
ゆえに貴重な証言者であるナギサが呼び止められることはなかった。
彼らの話が終わるのを待っていたら夜が明けてしまう。
やはり自分が動く以外に手はなさそうだ。
ナギサは聖女の結界をぐるりと回り込んだ。
周りに聖教会の人間がいないことを確認する。
そして、結界を見据えつつペン型の魔道具を構え――
「おいナギサ、何やってるんだ」
背後から刺々しい女性の声がした。
ナギサが振り返ると、黒ローブの少女が駆け寄ってきていた。
「フェルノか。無事だったんだな」
「あたりめーだ」
フェルノと呼ばれた燃えるような赤い髪の少女は、下からぎろりとナギサを睨みつける。
「で、お前はなんで得物を構えてんだよ」
「結界を破って中に入る」
「はあ? 何言ってるんだお前」
フェルノは眉を寄せるが、それはすぐに納得の笑みへと変わる。
「――ああ、そうか、戦いで弱った聖女にとどめを刺すんだな。万が一、真祖が負けたときのために」
「いや、逆だ」
「逆? どういう意味だ、聖女を助けるっていうのか?」
「そう言ってる」
「……わけがわかんねえ。聖女だぞ? いけすかねえ聖教会のシンボルだぞ? なんでそれを助けるんだよ!」
詰め寄ってくるフェルノに、ナギサは冷淡に応じる。
「声がでかい」
「ぐ……」
フェルノはすぐに大人しくなった。
この場で騒いでも面倒事にしかならないと、彼女も理解はしているのだ。
しかし睨む視線の強さは変わらない。
「でも、そうだな。お前さんの言うとおりだ」
静かになったところでナギサはうなずき、フェルノの言葉を認めた。
聖教会にとって、魔法使とは奴隷か、道具か。
どちらにせよまっとうな人間扱いはされていない。
ゆえに。
ほとんどの魔法使は聖教会を嫌悪している。
助ける義理などない。
むしろ危機に陥っていれば喜んで見捨てるだろう。
「だったら、なんで」
「でも俺は――、また、助けられた」
ナギサは人生において二度、女に助けられている。
そのどちらも、今はこの世にいない。
三度目はごめんだった。
たとえその相手が、憎き聖教会の象徴たる聖女であっても。
「また? お前、あの聖女とは初めてじゃないのか?」
困惑するフェルノを無視して、ナギサは結界を見据える。
その向こうで戦っているであろう聖女を睨みつけた。
自分を犠牲にして、それでも満足げに笑ってみせる。
それは相手を心配させないための気遣いだ。
瀬戸際でそれができる気高い精神を素直に尊敬する。
――だけど、あいつらはわかっていない。
助けられた相手にとっては、その笑顔こそが呪いになるということを。
聖女を助けるためにというよりも。
聖女の笑顔を呪いにしないために。
つまりは自分のために。
ナギサは聖女の結界を拭い去る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
緊張とともに、聖女と真祖の戦場に踏み込む。
魔道具で開けた穴はもう塞がりかけていた。
やはり閉じ込めることを重視した結界なのだろう。入るより出る方が大変そうだ。
結界の中は意外なことに静まり返っていた。
かといって安心はできない。
戦場の静かさは決着を意味する。
勝者はどちらなのか。
いや、それ以前に聖女は無事なのだろうか。
ナギサは状況を確かめるために目を凝らす。
――が、先に情報を拾ったのは耳だった。
「ねえどんな気分? 今どんな気分かしら?」