平和な日々 〜名もなき歩〜
決して美化してはならぬ。
しかし、決して忘れてはならぬ。
「おじいちゃん、将棋強いねぇ。おじいちゃんは王将と歩三枚だけなのに全然勝てないや」
昔はよく夏休みに帰省して、じいちゃんに遊び相手になってもらっていた。
将棋が強く、当然ながら私とする時は落とし駒で相手をしてくれていた。
父からは祖父は相当優秀で、尋常小学校しか出ていないものの、成績は体育を含めて全て「甲」であり、学年で一番以外は取ったことがないと聞かされていた。
私はそんな祖父、茂じいちゃんが誇らしかった。
✼✼✼
灰色の空が暗雲に覆われ、海は荒れ狂う波に揺れていた。
駆逐艦は、その緊張感溢れる状況下で、一瞬も気を抜くことなく前進していた。艦上では、乗組員たちが機械的な精度で任務を遂行していた。彼らの顔には、戦時中特有の深刻な表情が浮かんでいた。艦の甲板は、砲火の音と機関の轟音によって、絶えず響き渡っていた。
駆逐艦は、戦争の恐ろしさとともに、人間の勇気と決意を象徴していた。
時は太平洋戦争末期。
これは、一隻の駆逐艦に乗り込んだ少年看護兵「茂」の物語である。
✼✼✼
「う〜んっ」
唸る艦長。
ここは駆逐艦の中にある艦長室である。
戦時ではない平時はこうして余暇の時間が与えられ、少年看護兵の茂は将棋が強いということで、時間がある度にこうして艦長室に呼ばれ艦長の相手をしていたのだ。
「私の負けだ。茂は本当に将棋が強いなぁ。いったい何処で覚えたんだ」
不思議そうに聴く艦長に茂は答えた。
「はい。祖父から鍛えられました。と言いますか、祖父の相手をさせられるうちに自然と身に付きました」
「そうかい。わしも腕にはそれなりに覚えがあるのだが茂には敵わん。お祖父さんはさぞ聡明なお方だったのだろう」
「いえ。祖父は単なる遊び人でして、将棋に囲碁、花札はそれなりに強かったようです」
「ははっ」
と艦長は笑い、遊び人と来たかと、目頭にある皺を余計に深くしてたいそう笑った。
そんな小さな幸せな時も長くは続かず、戦況は悪化していき、乗組員たちはどんどん疲弊して行った。
そんなある朝、ちょっとした事件が起きた。
数日前から咳が出ていた茂が熱を出したのだ。
少年看護兵だった茂は医師長に診てもらったところ、結核であることが分かった。
しかし、幸いにして症状はさほど悪くはなく、二、三日安静にして栄養があるものを摂れば治るだろうとの診断であった。
結核とは、結核菌に感染することによって発症する病気である。肺に感染して症状を引き起こすことが多いので、咳や痰などが主要症状として知られている。 戦前の日本では、結核をはじめとする感染症の流行や、それに伴う死亡率がとても高い水準にあったのだ。
茂は直ぐさま艦長室に呼ばれた。
「茂。結核なんだってな。直ぐに次の港で下船しなさい」
「嫌です。大したことはありません。二、三日静養した後、職務に復帰します」
「馬鹿野郎っ!」
艦長の怒号が飛んだ。
周りにいた乗組員たちもこんな大声を上げる艦長を初めて見たので驚いた。
「お前の病気が艦内に蔓延したらどうするんだ。いいから下船しなさい」
それだけ言い、艦長は後ろを向いた。
茂は俯き、仕方なく「分かりました」とだけ答えた。
次の港で降ろされた茂は、その三日後にその駆逐艦が敵の攻撃に遭い、沈没し、艦長を含む全員が死亡したことを知らされた。
✼✼✼
時は令和となり、私にも孫ができてもおかしくない年齢となった。
茂じいちゃんが亡くなってもう何十年も経つ。
今の私があるのは、あの時、このままでは全員死ぬ、お前だけは生き残ってくれと見送ってくれたあの心優しい艦長の御蔭であり、今のこの平和な日々があるのは、あの時の名も無く、儚く散った戦士達の犠牲の下に成り立っているのである。
そこには生半可な正義感や平和主義といったものは通用しない。
茂は戦後暫くして結婚し、子供が生まれて、更にその子供が生まれて今の私がある。そして、そんな私にも子供がいる。
茂じいちゃんはこの令和の世の中を見て何を思うだろうか。
令和の今のこの時代が「戦前」と呼ばれる時が来ることがないように、この平和な日々がいつまでも続くことを願って筆を置くことにする。
この物語は私の祖父茂の実話である。
いつかはこの物語を発表したいとずっと思っており、ようやく重たい腰を上げました。
少しでも伝われば幸いです。