79 動乱
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「なんてことだ」
王都の至る所で、人の形をした黒い影が人々を襲っている。襲われた人間は死にはしないが、恐怖におびえ、苦しみにのたうち回っている。それを見たものは恐怖に怯え逃げ惑う。そんな光景が目の前にひろがっているのだ。
王都はその日歓喜に包まれるはずだった。少なくとも朝まではお祝いの熱気で街は興奮の渦の中にあった。国王の即位と国王夫妻の結婚十周年を祝うための式典の日。昼過ぎにはパレードも行われる。神の加護を受けた二人の神代も共に加わるとあって、人々は皆かなり当日を楽しみにしていた。そう、神殿巡りが終わればエリーも参加の予定だった。彼女は嫌がっただろうが。その彼女の行方は未だ分かっていない。
王都の賑わいとは裏腹に悪魔憑きの病の患者数が急増している。そんな報告がシオンの元へ届いたのはエリーが消えた翌日の事だった。
シオンは焦っていた。病の患者が増えているという事は悪魔の種子を持つ人間もそれだけ増えているという事だ。目に見えない分は把握することができず厄介だった。更にエリーが消えてしまったことで花光玉の供給がほぼ止まってしまったのだ。
「わたくし、こんなに頑張ってますのよ?もう無理ですわ!」
カレンは甘えたことばかり言って殆ど作業をしない。一つ作っては茶を飲み、また一つ作っては菓子を食べ、更に休憩を取るというような生活をしているという。カレンの場合は本当に力不足でそのペースでしか花光玉を作れないのかもしれない。一日に百個近い花光玉を作っていたエリーは本当に頑張っていたのだ。シオンは花光玉の増産を打診するために再びカレンに会いに行ったが無駄に終わってしまった。
ルーナとフィルは目に見えて落ち込んでいた。エリーが悪魔に攫われたのはそれぞれが自分達のせいだと考えているらしい。特にフィルの嘆きと憔悴は見ていられないほどだった。フィルの目の前でエリーは消失したのだから。伸ばそうとした手はあと少しで届かなかったのだという。
「どうしてエリーは連れて行かれたんだ?スミスヴェストルの屋敷にだって結界はあったのだろう?」
「結界も完全では無かったのだろう。屋敷の敷地の外れにいたこと、悪魔の種子が微細すぎて結界をすり抜けたこと、そしてエリーの心が弱っていたこと。そしてあの時よりもずっと悪魔が力と知恵をつけてしまっていたこと。スミスヴェストル家の力不足では無く、悪い条件が重なったとみるべきだ」
ウォルクとシオンはフィルフィリートやノアレーンから話を聞いた後、二人で今後について話し合っていた。フィフィリートとルーナは今はあてにならない。ノアレーンはと言えば、エリーの魂を追跡すると言って父親のディーアレンとどこかの部屋にこもっている。
「エリーの捜索は恐らくノアレーンとディーアレン様に任せるほかは無いと思う」
シオンには悪魔に連れ去られたエリーを探す術が無かった。悔し気に顔を伏せる。
「俺は油断しすぎていた。しばらく悪魔の襲撃が無かったのと、黒の一族の総本山ともいえる屋敷だからと安心していた」
ウォルクには、あんな風にエリーにせまってしまったことで負い目を感じており、エリーと顔を合わせづらくなってしまったという理由もある。一体何をしてるんだ自分は。七歳も年下の少女に自分の理想を押し付けて、責め立ててしまったのだ。ウォルクはぎりりと奥歯をかみしめた。
「エリー」
彼女はこんな自分に花光玉を手渡して気遣ってくれたのだ。優しい娘だ。ウォルクはポケットから取り出した金の針の花光玉を見つめた。
「灯か消えてしまったようだ……」
シオンとウォルクはエリーの無事を祈ることしかできなかった。
フィルフィリートは自分を責め続けていた。
一体自分は何をしていた?サンセレス家の思惑なんてどうでも良かったじゃないか。エリーを守るためにここまで来たのに。そのエリーを目の前で失ってしまった。エリーが今どうなってしまっているかと考えるだけで、ゾッとする。以前の悪魔はエリーを殺そうとしていた。何故今更エリーを連れ去ったのだ?ああ、それもどうでもいいことだ。何故自分はエリーを守れなかった?何故?何故だ!
「何してんの、こんな所で」
暗い部屋の中にノアレーンが入って来る。
鍵は、かけて無かったか……。
フィルフィリートは顔を上げずにノアレーンに問いかけた。
「エリーの、行方は……」
「まだ掴めてない」
「……そうか」
「今、王都は大変なことになってるよ」
「…………」
「本当なら今日は祝いの式典とパレードの予定だった。でもあの黒い影がたくさん出てきて人を襲ってる」
「エリー以外の人間がどうなろうと、もうどうでもいい」
フィルフィリートの言葉にノアレーンは酷く驚いた。普段の彼からは想像もつかない言葉だった。
家族やエドのような近しい者達にとっては彼の反応は当然のことのように受け止められたかもしれない。何故ならフィルフィリートもまた緑の一族の男だから。緑の一族男は程度の差こそあれ皆愛情が深い。裏を返せば愛した者に対する執着だけが強いのだ。かつてエリーを雇い入れたころのフィルフィリートは祖父だけではなく病に苦しむ人々全てを救済したいという願いがあった。しかし今のフィルフィリートはエリーを守りその望みを叶えてやりたいという思いだけで行動するようになってしまっていた。
「エリーはどう思うかって考えないの?」
ピクリとフィルフィリートが反応した。
「エリーの気持ち……」
「今の状況を見たらエリーはどう思う?」
ノアレーンの静かな問いかけにフィルフィリートはようやく顔を上げた。ノアレーンと目が合いその顔に驚いた。ノアレーンも憔悴しきった顔をしている。髪は乱れ目の下にはクマが浮かんでいる。それでもその黒曜石の瞳は光を失っていない。
「……守らなければ」
毎日必死に花光玉を作り続けていたエリー。彼女は誰かが苦しむのを見てとても悲しむだろう。
「エリーを頼む」
フィルフィリートは立ち上がり部屋を出た。
フィルフィリートはまず食堂へ行って胃に食料を入れた。ここ最近まともに食事をしていなかったからだ。動けるようになるとその手に神剣を出現させ、スミスヴェストルの屋敷を飛び出したのだった。
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