07 海を見た日
来ていただいて感謝です!
大きくよせてはかえっていく波、岩場の水しぶきは岩が割れてしまうんじゃないかと思えるほど。圧倒的な空と水。
「すごい……これが海……」
私は感動していた。だって、目の前には水、水、水!!ずっとずっと遠くまで続いてる。足元には重たい砂。歩きづらい。もっと近くへ行ってみたいけど、ちょっとこわい。フィル様のあの宣言の翌日、四人でリーフリルバーン家の海辺の別荘に来ていた。今はまだ春先で、すこし肌寒いけど夏になれば泳ぐこともできるらしい。
「僕も海に来たのは初めてだな」
私の隣にはノアがいる。こんなに仕事を休んでしまって大丈夫かなって思ったけど、フィル様もエドさんも何も言わなかったし、一緒に来るのが自然な感じだった。
フィル様とエドさんはお昼ご飯の後、近くの親戚の屋敷に挨拶をしに行ってしまった。私が近くで海を見たいって言ったら、ノアがついて来てくれた。
「すごいね。大きいね」
「さっきもエドさんに言われたけど、今日はここまでにしよう」
「うん。そうだね」
海でピクニックとは言われたけど、海辺の別荘のお庭で海を眺めながら食事をすることになった。今日は少し波が荒くて危険なんだって。確かに風が強いし水が怒ってるみたい打ち寄せて来る。
「あれ?砂浜に座り込んでる人がいるよ?危なくない?」
「ほんとだ。子どもみたいだね」
「ちょっと行ってくる」
「あ、エリー!」
砂浜にいた子は小さな女の子でリリーという名前だった。ちょっと親近感。黒にみえる深い紺色の髪と瞳の女の子で、なんでもお母さんが病気で海の神様に治るようにお願いしていたそう。私はお守りだって言って、持っていた花光玉のネックレスを首にかけてあげた。
「エリーそれは……」
ノアは止めようとしたけど
「まだ予備はあるから大丈夫だよ」
なんとか暗い表情のリリーちゃんを励ましてあげたかった。
「うーん、そういう事じゃないんだけど……仕方ないか」
「きれい……お姉ちゃんありがとう!お母さんに渡してくるね」
そう言って女の子は走って行った。
夕ご飯はお昼ご飯より更に豪華だった。お魚の料理がたくさん並んだ。お魚の揚げ物や焼き物、生魚がサラダにしてあるものもあった!いつも美味しいご飯が食べられて幸せ。この食事に慣れちゃうのはちょっと怖いかも。この仕事が終わって家に帰ったら、家族にお土産話を聞かせてあげたいなぁ。
「海はどう?食事は気に入ったかい?」
フィル様がそう言いながらグラスの中身を一気に飲み干した。
「フィル様、少しお酒を召し上がりすぎですよ?」
エドさんが控えめに窘めるけど、フィル様はそれからもお酒を飲むのをやめなかった。
「あの、海、大きくてすごかったです!波の音が少し怖いですけど。ご飯も美味しくて!連れて来てくださってありがとうございます!」
「気にしなくていい。僕も気分転換がしたかったから。楽しんでるなら良かった」
「家に帰ったら家族にたくさん話ができます。今から楽しみです!」
「エリーは家に帰りたいの?」
ノアが気づかわし気に私を見た。フィル様とエドさんは驚いたような顔をした後顔を見合わせた。
「え?帰りたいっていうか、お仕事が終わったら家に帰されると思っていたから。……え?違うんですか?」
父さんから聞かされた仕事の内容は病気のご当主様のお世話と花光玉を作ること。だったけど、来てみたらご当主様のお世話なんて私じゃなくても長年勤めてきた大ベテランの使用人の方々がいたし、花光玉の研究も一年もすれば終わると思ってる。そう答えると、フィル様が少し考えた後話し始めた。
「できれば、エリーにはずっと屋敷で働いてもらいたいと思ってる」
「え?」
すっごく驚いた。私はずっと気になっていたことを思い切って聞いてみた。
「でも、本当はカレンを呼ぶはずだったのでしょう?」
「ああ、それはカレンさんの力が強いという話を聞いていたからですよ。でも実際にはエリーさんの方が潜在的な魔力量が大きいという事でしたから。私達は貴女に来ていただいたのです」
エドさんが説明してくれた。
「私がカレンより魔力量が多いんですか?」
「ああ、神官殿の手紙にそう書いてあったんだ」
そう言ってフィル様はちらりと何故かノアの方を見た。
「神官様がそんな事を……」
それはちょっと信じられなかった。だってカレンの作る花光玉は輝きが違ったもの。何故か私もこちらへ来てからは同じくらいの物が作れてるけど……。
「それにカレンさんは来ることを嫌がったそうですし」
「あの子はちょっと、その、怖がりなところがあって……」
言えない。カレンが後添いとか妾になるのを嫌がってたなんて……。こんな良い人達がそんなこと言い出すはずないもの。私もそうだけど貴族への偏見があったんだわ。反省しなきゃ。
「とにかく、エリーにはこれからもずっとリーフリルバーン家にいてもらいたい。もちろん給料も支払う」
「え?こんなに良くして頂いてるのに、お給料まで!?」
「エリー、エリーは自分の力を使って花光玉を作ってるんだよ。その分の対価はもらわなきゃ駄目だよ」
ノアが顔を近づけて小声で注意してくれた。
「そういうもの……なの?」
衣食住保障してもらって、勉強までさせてもらってるのに?あ、さっきの女の子に無料であげるのも駄目だったのかな……。
「今まで作っていただいた花光玉は領内で発生した病の患者の元に届けました。病をおさえることができています。皆さん、感謝されていますよ。エリーさんのおかげです。ありがとうございます」
エドさんが優しく笑ってお礼を言ってくれて、フィル様もうんうんと頷いてる。
「そっかぁ、私でも誰かの役に立ててるんだ……」
畑仕事が嫌いだったわけじゃない。花の世話はやればやるほど元気に咲いてくれてた。家事もやって当たり前だった。家族の為だから。それでも店でカレンが感謝されて褒められてるのは羨ましかった。私も頑張ってるのになって思って悲しかった。今、本当に嬉しい。
「私、リーフリルバーン家のお屋敷で働かせてもらえて本当に良かったです」
フィルフィリートは城で起こったことを思い返していた。
フィルフィリートはエドを伴ってリュミエール王国王都へ赴いた。城へ中間の報告書と今の時点で一番効果がある花光玉のサンプルを提出するためだ。王都に到着したのは前日の午後の早い時間であり、対応する部署での面会を申し入れたのはそれよりも五日ほど前であったのに約束の日時をほぼ一日ずらされてしまった。
花光玉が病の進行を止める手段になりうることを説明する。しかし銀の一族の貴族の一人だろう、ややくすんだ銀のくせ毛の文官が書類を受け取るがそれを見ようともしない
「はい。承りました。報告は上にあげておきますね」
対応はにこやかで丁寧ではあるが、忙しいので帰ってもらいたい旨をオブラートで包んで言われてしまった。
伝え忘れたことがあると気が付き、先程の部屋の前へ戻ると中から声と笑い声が聞こえてくる。馬鹿にするような笑い方だ。
「そんなものが効くはずがない」
「女、子ども、いや農民のおまじないだな」
「現に、当主の病は治っているというけど……」
「たまたまか、神官の浄化が効いたのだろう」
「緑の一族など、土いじりでもやっておればよいのだ」
「そうそう、部外者が政に口をはさむものではない」
「いや、部外者などと言っては……れっきとした貴族の一族の方なのですから……」
窘める声もあるがほとんどの声は馬鹿にするか見下したような色があった。
「帰るぞ。義務は果たした」
フィルフィリートは小声で呟く。その声には明らかに怒りがあった。エドも同様であった。
「はい。フィルフィリート様」
フィルフィリートは憤慨していた。あれでは報告書に目を通すこともしないだろう。自分も最初は半信半疑であった。しかし効果を目の当たりにして、なんとか病に苦しむ人々の助けになればと思い立ったのだが、無駄だったと知った。
「こんなにも緑の一族の立ち位置が低いものだとはな……」
あの場にいた者達は城の文官の中でも比較的高位につく者達だ。件の病の担当で、神官や浄化、治癒を行う魔法使い達の派遣なども行っているという。紫の一族の友人からの紹介状を持って報告に行ったのだが、あの場にいたのは銀の一族の出身者が主だったようだ。彼らは自分達の力に絶対的な自信を持っており、事態を打開する方法が他にあるとは考えなかったようだ。
屋敷へ帰る馬車の中、フィルフィリートとエドは向かい合って座っていた。どちらともなくため息が漏れる。
「せめてもう少しまともに話を聞く方がいらっしゃれば……」
「仕方ない。さっきも言ったが義務は果たした。彼らのいう上とやらがよっぽどの阿呆でない限りは報告書を読めば分かるとは思うが、どうだろうな……。採用するかは彼らの判断になる」
重く暗い空気の中、馬車はリーフリルバーン家の領地へ戻っていった。
真っ暗な中に波の音が響く。フィルフィリートとエドはバルコニーで酒を酌み交わしていた。いや、フィルフィリートは飲みすぎだと叱られ、果実水を飲んでいた。
「うちの領内では死者を出さない。引き続きエリーには頑張ってもらわなければ」
「そうですね。エリーさんの故郷の人々にも今、分かっている中で一番効果が期待できる組み合わせで、花光玉を作ってもらっています。エリーさんのものほど強力ではないと思われますが。同時に花光玉を生成可能な人間探しも引き続き行ってまいります」
「それにしても屋敷に来てくれたのがエリーさんで良かったですね」
「ああ、本当に」
変なおまけまでついてきたけどな……。フィルフィリートは心の中で付け加えた。
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