27 花幽の塔
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「ここは花の塔。今は花幽の塔とも言われてるよ」
ノアは、ノアレーン様は私の隣でソファに足を組んで座っていた。窓の方へ手を伸ばすと花のいい香りが風に乗って入って来た。
「そうなんだ……。じゃなくて。ここがノアレーン様の黒の一族の土地なのは分かります。でも……」
「そういう喋り方するならもう何も教えない」
つーんとそっぽを向くノア、じゃなかったノアレーン様。
「ノアレーン様」
「…………」
「ノアレーン様?」
「…………」
「……ノア」
「ん?何?」
もう、いいや。ノアは譲る気なさそうだし。いつも通りでいこう。納得はできてないんだけどな。
「帰ったら、もう解雇されてたらどうしよう……」
「やだなぁ。僕が養ってあげるよ。大丈夫!」
「はいはい。ありがと」
差別と言われようと、何と言われようとただの農民の私が貴族と結婚なんてできるわけないでしょ?現実的にリーフリルバーン家で働かせてもらうのが一番いいんだよね。打算的だけど。それに誰かの役に立てるのも嬉しい。結局は自分のためではあるけれど。だから帰りたい。フィル様のところへ。
この塔はリュミエール王国の北の外れ、かつての国境付近にある。十五年前の戦では激戦地だった場所。戦が起こる前までは今のような花畑の真ん中にある魔法の研究を行う施設だったそうだ。たくさんの人々の血が流された場所で、当時は焼け野原だったのがやっと花畑に戻った。やっと以前の風景に戻ったのだけれど、一つだけ変わったことがある。それは日が落ちた後、外に出られなくなったこと。死んだ人々の幽霊が彷徨い、生者を連れて行こうとするから。ノアはそう説明してくれた。
「昔は人がたくさんいたけど、今は人がほとんど寄り付かなくなってしまったんだ。まあ、僕は静かな方がいいから助かるけどね。だからね、昼間はいいけど、夜は絶対に外へ出ないでね」
「夜って、ねえ、ノア、私いつまでここにいるの?早くリーフリルバーンのお屋敷へ戻して」
「んー?どうしよっかな?今から出かけるからさ。また後でね」
「あ、ちょっとノア?出かけるって……って消えた?!」
これも魔法なの?そうかノアはこうやってスミスヴェストルのお屋敷とクリアル山の神殿を行き来してたんだ。
綺麗な場所だったのに。何故こんなことに……。
戦わなきゃ、殺されてしまう。私の家族が。大切な人が。奪われてしまう。大切な場所が。
本当は戦いたくないのに。魔法を人殺しの道具にしたくないのに。
早く終われ。終われ。もうこんなことしたくない。
突然の終戦。私は地獄を見たのかもしれない。苦しむ人々。それは敵国の「人」。美しい銀色のお姫様に従うのは美しい闇。黒く赤い闇がその腕を振るうと戦が終わった。あっけなく。リュミエール王国は隣国へ領土を広げた。けれどその新たな領土は不浄の霧に包まれた不毛の大地になった。戦は両国に無駄な傷跡を残しただけだった。
「えっと、私はどうして外にいるのかな?」
満天の星空の下、風に揺れる花達に囲まれて立っている。
ノアに連れてこられた塔の中には大きな図書倉庫がある。とりあえず地図が載った本とか魔法の本を借りてきて部屋に持ち帰って読んでたんだ。図書倉庫の場所はミラレスさんに教えてもらった。どうにかして自力で帰ろうと思ったんだよね。
「遠いんですけど……」
この塔は国のほぼ最北端(人が住める範囲で)。リーフリルバーンのお屋敷は緑の一族の治める土地のほぼ中央。つまり最南端寄り。こんなの歩いて帰るなんて現実的じゃない。私は早々に自力で帰ることを諦めた。なんとかしてノアを説得しなくちゃ。
「あの、ミラレスさん。ノアは、ノアレーン様はいつ戻られますか?」
「詳しいことは私も知らされておりません。申し訳ございません」
ミラレスさんはそのまま私の世話を焼いてくれてる。話しかければ答えてくれる。けどずっと無表情のままだった。多分良く思われてないんだろうな……。私のせいでノアに圧をかけられてたし。私は仕方なく借りてきた本を読んでて、寝ちゃったと思う。ほら、細かい文字って眠くなるよね?で、気がついたら花畑の中を歩いてた。
「うーん。寝相が悪いなんてもんじゃないよね?これって」
星明りの中、見渡す限りの花畑。塔の上から見た時は遠くの方は霧に包まれてた。私が住んでた所では見たことがない花。星の形の白い小さな花達。茎は長くて葉っぱは細長い。柔らかな風が吹くたびゆらゆら揺れてる。
「久しぶりにあの夢を見たなぁ……。ここは昔戦場だったんだ。あなたも戦ったんだね」
星空を見上げながら誰にでもなく話しかけてた。もう何となく分かって来てた。あの黒髪の人は今はもういない人。でも過去の時間に生きてた人。記憶を夢に見てるんだと思う。
突然、風が吹き抜けた。夏なのに少し冷たい風。そういえばノアが言ってた。夜に外に出ないようにって。幽霊が出るんだっけ。急に怖くなってきて振り返ってみたら、塔からはちょっと離れたところへ来てしまってる。
「うーん、幽霊とかは今のところ大丈夫そうだけど、早く戻った方がいいよね?」
私は塔へ向かって歩き出した。
「…………」
「?今何か聞こえたような……。やだな、気のせいだよね?と、とにかく早く帰ろう……え?」
ドレスの裾が引っ張られて動けない。花の茎にからめとられてる?
「そんな、どうして?」
慌ててドレスのスカートを引っ張るけど全然外れない。う、嘘でしょ?そうこうしてるうちに、周囲に人の気配?たくさんの人の気配がする。怖くて顔が上げられない。耳を押さえてしゃがみ込んだ。
「イタイ」
「クルシイ」
「タスケテ」
「カエリタイ」
微かに微かにそんな声が聞こえてくる。私の低い視界に黒いドレスの裾が映った。怖い。このまま幽霊に憑りつかれて殺されちゃうの?
「お願い」
「やだやだ、どっか行って」
叫んでるつもりなのに大きな声が出せない。囁くような声しか出ない。
「お願い。癒してあげてほしい」
悲しそうな声に思わず顔を上げた。目の前にいたのは長い黒髪の黒いドレスの女の人だった。
「癒す?」
幽霊を?私が?どうやって?
「この地の悲しみも」
「そんなのできないよ」
悲しい気持ちが集まってくる。苦しい気持ちも。望郷の思いも。
「花光玉……心を鎮める」
黒衣の人は祈るように両手を自分の胸に当てた。心を鎮める?あ、カレン……。前に癇癪が治まってたっけ。
「そういう効果もあるの?」
黒衣の人はそっと笑って消えた。
「駄目で元々だよね?このままだとここの人達(?)に連れて行かれちゃいそうだし。やってみますか!」
私は気持ちを奮い立たせた。死んでしまったたくさんの人達を助けることはできない。でも、せめて少しでも気持ちが和らぎますように。そんな思いを魔力に込めた。
「山の神様、この地の神様、力を貸してください」
花々が光を放ち始めた。花畑に星空が出現したみたい。天も地も全部が星空。集まってくる光。伸ばした両手の手のひらの上に星々を閉じ込めたような光の玉が生まれた。深く暗い青に瞬く光。
花光玉から無数の細い光が走り出す。私の周りに集まっていたたくさんの人達がそれに触れると次々に消えて行った。悲しい気持ちも消えていく。
いつの間にか辺りはまた静かな花畑に戻っていた。優しい風が優しく星の花を揺らす音だけが聞こえていた。
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