26 塔➁
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「酷いな」
ノアレーン様は無感情に呟く。黒の詰襟の上着に真っ黒なズボン。漆黒のローブ。上着には銀糸の刺繡が施されている。前髪をかき上げる手には黒い手袋。黒い瞳が細められ、私を見ている。いつもの着古したシャツとズボンじゃない。私と一緒にいた時とは全然違う。こっちが本当の姿なんだ。
「そうでしょう?なんて乱暴な言葉遣いでしょう」
「この方はこの場に相応しくありませんわ」
更に言い募るセリアとダイアナ。食ベものを無駄にしたことを反省してもらいたいのに私の言葉は届かない。悔しい。
けれどノアレーン様は二人を無視。っていうかさっきから二人を全く見ない。私の方へ歩み寄ってきて、抱きしめるように腕を広げた。
「びしょ濡れじゃないか」
瞬間、温かい風が吹いて私の濡れた髪や服がふわっと軽くなった。あ、魔法で乾かしてくれたんだ。笑ってる……。私に向ける優しげな表情は前のまま。
「ミラレス、お前の失態だな。何なんだこの二人は」
「申し訳ございません。まさかここまで愚かだとは。この者達はすぐに家へ帰します」
ミラレスさんは深く頭を下げた。
「え?何を仰っていらっしゃるのですか?」
「そうですわ!わたくしたちはノアレーン様の花嫁候補としてここへ……」
セリアとダイアナは慌ててるけど、ノアレーン様の冷たい表情を見て固まってしまった。
「は?何の話?ただの使用人のくせに。それにバレないとでも?……人の心を操る魔法か。くだらないな。魔力が勝る人間には効かないというのに。僕のエリーに魔法をかけようとしたのか」
ノアレーン様は部屋の中を見回して吐き捨てるように言った。さっきのは魔法だったんだ。魔法ってそんなこともできるの?
「わたくしはそのような……」
「そうですわ、その方がわたくしたちに嫌がらせをなさったのですわ」
ダイアナとセリアは悔しそうに私を睨みつけた。そうか、この二人はノアレーン様のことが好きなんだ。
「へえ、僕が嘘ついてるって言うんだ」
セリアとダイアナは真っ青になった。
「それにエリーはこんなことは絶対にしないんだよ」
ノアレーンは落ちてたパンを拾い上げてひとかけらを口に入れた。これには私も驚いたけど、ミラレスさんが声を上げた。
「ノアレーン様!お止めください!」
「無いな。あり得ない。エリーはこんなことは絶対しない。エリーは花や野菜を大切に育てる人だから」
「まあ、農作業なんかに従事なさってる方なのね」
セリアは見下すように私を見た。なんだとぉ?じゃあお前はご飯食べるなよ?、なんて子どもの喧嘩みたいな言葉が浮かんだけど言えなかった。
「土の匂いがするのはそのせいでしたのね。どうりで」
鼻を押さえるダイアナの言葉にも蔑む色があった。ああ、その辺で止めといた方がいいんじゃないかな?
「僕もその土臭い農作業、やってたけどね」
……ほらね。二人は完全に沈黙した。
セリアとダイアナはミラレスさんに連れて行かれてその後姿を見ることはなかった。
「ごめんね、エリー。騒がせちゃって」
謝るのはそこじゃないと思う。
「部屋は片付けさせたから、ゆっくりしてよ」
魔法ってすごいね。掃除もあっという間なんだ。絨毯の染み抜きの魔法、使えたら便利だよね。
「欲しいものがあったら、何でも言って。すぐに用意させるから」
私の欲しいもの?分かってるでしょ?
「…………僕とは口もききたくない?」
「……申し訳ございません」
綺麗になった部屋の中で向かい合ってすわる私とノアレーン様。ミラレスさんはお茶を準備した後、部屋の片隅に静かに佇んでいる。
「そっか。エリーは僕を差別するんだね。貴族だったからって」
「は?」
差別?何それ?
「だってそうだろう?僕は僕のままなのにそうやって態度を変えるんだ」
ノアが歪んだ笑いを浮かべた。
「エリーも他の奴らと同じなんだ」
違うわ!言おうとして言葉が止まる。だってさっきみたいに見下して差別してくるのは貴族の方じゃない!でも待って。見下すのは貴族だけじゃない。カレンだって、家族なのに私を馬鹿にしてきた。それに貴族の人の中にはフィルフィリート様みたいな人もいる。ぐるぐると考えが巡る。ああ、考えることは苦手なの。頭では分かってるのよ。ノアはノアなんだって。きっと何か事情があるんだって。でもそれでも……。
「なによ!しょうがないじゃない!ノアが嘘ついてたのが悪いんでしょ?」
私は立ち上がって叫んだ。涙が溢れてきて止まらない。
「私は私の全部でノアと一緒にいたのに。ノアは違うんじゃないっ!いきなり貴族だって聞かされて、どうしたらいいのか分からなくて、でも、身分の高い人にはそういう態度でって言われてるんだもの!他にどうしたらいいのっ?」
「エリー……」
「私、私は……ノアを家族みたいに思ってた。大事だと思ってたわ。でも、ノアにはきちんと家族がいるんでしょ?だったら私なんか要らなかったじゃない!私、馬鹿みた……」
私はノアに抱きしめられてた。あれ?ノアってこんなに背が高かった?ついこの間まで私より小さかったのに……。
「エリー、ごめん……」
誤魔化されたりしないんだから。もがいてノアから離れようとした。けどノアの腕の力は思ったよりも強くて全然逃げられない。
「ノアのバカ。父さんも母さんもカレンもみんな嫌い。ノアだけはずっと一緒だと思ってたのに。……ひどいよ……」
私を抱き締めるノアの腕の力が強まった。
「ずっと一緒にいるから」
「嘘つき……」
そんなことできる筈ないじゃない……。
「私をここへ連れてきたのノアだよね?こんな所へ連れてきてどうするつもりなの?早く私をリーフリルバーンのお屋敷へ帰して」
「そんなにあいつの所へ帰りたいの?」
ノアの声が低く囁くようになる。あいつってフィル様のこと?いくら同じ貴族でもそんな言い方はダメでしょ?
「当たり前でしょ?」
「……っ!」
ノアの腕の力がもっと強まって、顔が私の頬に摺り寄せられた。耳にノアの吐息がかかる。力が抜けそう……。でも、負けるわけにはいかないわ!
「私は働いているのよ?仕事をしなくちゃいけないのっ!もう家には帰れないんだから、一人で生きて行かなきゃいけないんだよ?」
「え?」
ノアの腕の力が弱まり、呆気にとられたように私を見つめてくる。
「仕事を貰えて衣食住を保障されてる。あんないい職場きっと他にないわ!雇用主はいい人だし!」
ちょっとスキンシップ過多だけど。悪い人じゃないよね。
「あ、あー、そういうこと……」
「もっとお金を貯めて、将来的にはお店を出してって色々考えてるんだから……って聞いてる?ノア」
まだ誰にも言ったことなかったんだけど、いつまでもお屋敷においてもらえるか分からないんだし、色々考えてるんだ。王都で見た雑貨屋さんみたいなの出来たらいいなとかね。
「そっか、そっかぁ、うんうん」
なんか一人で納得してるノア。ちょっと、こっちは全然納得できてないんですけど?
「やっぱエリーはこうなんだよな……。どうせ気持ち慮ってはっきり伝えなかったんだろうけど、詰めが甘いのか、大事にしすぎなのか……残念だったね坊や。焦って損したな……」
なに一人でぶつぶつ言ってるの?
「こほん」
部屋の隅から咳払いが聞こえる。ああ、そういえばミラレスさんがいたの忘れてた。
「ノアレーン様、ご自身のお立場をお考えになっておふるまいください」
私は慌ててノアから離れようとした。けどノアはまた腕に力を込めた。
「お前ごときが僕に指図する気か?」
その言葉に初めてミラレスさんの顔色が変わる。
「別に僕は黒の一族などどうでもいいんだ。こんな国も。必要としていたものも、もはやどうでもよくなりつつある。それがどういうことかわかるな?ミラレス」
「……ノアレーン様」
「次は無いぞ」
ミラレスさんを冷たく睨むノア。私はたまらず口を挟んだ。
「ちょっとノア!目上の人にそんな態度しちゃ駄目だよ」
「…………そうだね。エリーがそういうなら。うん。ごめんね。ミラレスさん?」
ノアの笑顔にビクッと体を震わせたミラレスさんは今までで一番深く頭を下げたのだった。
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