24 月下の庭園
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夏の夜、月の明るい庭園で二つの影が向かい合っていた。リーフリルバーン家の庭は森のようだ。少し歩けばしんと静まり返り、風が木々を揺らす外は動物たちの微かな音しか聞こえない。エリーの部屋から出てきたフィルフィリートを廊下で捕まえたノアレーンは話があると外へ連れ出した。
「いつの間にかずいぶん仲良くなったんだね、エリーと。貴方がそんなに手が早いなんて思わなかったな。いいの?ただの雇用主がそんなに雇い人にベタベタして」
月明かりの中でも深い闇を瞳に宿す少年は意地の悪い笑みを浮かべた。
「黒の神童と呼び声の高い貴方が覗きですか?それに今夜はずいぶんとよく喋るのですね、ノアレーン・スミスヴェストル様。形だけとはいえ、今は僕が、いえ、私が貴方の雇用主ですよ?そしてここは我が緑の一族の土地だ」
一陣の風がザザッと二人の間を吹き抜けていく。盛りを迎えた夏の木々を従えて、翡翠の瞳の少年はその年齢よりも大人びた表情で答える。
(そうだ。ここは緑の一族の場所。クリアル山に抱かれた大地の神の守る場所。彼らの力が満ちる場所。僕にはやや不利か)
「エリーはね、僕がやっと見つけた大切な人なんだ。生半可な気持ちでちょっかい出して欲しくない」
ノアレーンは静かに目を伏せる。
「エリーは私達、いや、私にとってもかけがえのない人だ。そして世界にとっても……。恐らくエリーは神代だ」
(見つけた……?探していた?エリーと彼が出会ったのは幼い頃のはず。いったいどういう意味だ?)
フィルフィリートは疑問に思ったが、彼に質問をぶつけても答えてくれるとは思えなかった。
「分かってるさ。でも誰にも知られたくなかった。彼女は、エリーには静かに暮らしてもらいたいんだ。貴方が余計なことをしなければ……。エリーは僕があの場所でずっと守り続けてくつもりだったのに」
ノアレーンは憎々しげにフィルフィリートを見た。
「エリーをずっと閉じ込めると?嘘をついて騙してまで?彼女の可能性を潰すおつもりか?彼女は誰かの役に立つことを喜ぶ事ができる尊い人だ。そこらへんの貴族連中よりもっと貴族らしい。真面目で勉強熱心で、優しくて穏やかだ。ただ、少し鈍いのが心配だけど」
フィルフィリートは脳裏に茶色の髪の少女を思い浮かべる。
「……結構よく見てるね」
はっとため息をついたノアレーンは空を仰いだ。そして口調を軽く明るいものに変えた。
「フィル様にはカーラ様がいるでしょう?エリーは諦めて下さいよ」
フィルフィリートは眉をひそめた。
「カーラ様にもお母上にもきちんと話してお断りさせてもらった。気を持たせるようなことはしない。私は伴侶を家同士の都合で選ぶつもりは無い……私はエリーを愛している」
「ああ、それで教育係をつけて、色々学ばせて準備してるという訳だ。愛人にでもするの?」
「無礼なことを言わないでもらいたい!そのようなことするものかっ」
フィルフィリートは激高した。
「話に違わず高潔な一族だな。貴族に愛人なんてつきものだろう?実際カレンに入れ知恵した奴のせいで、エリーの家族はリーフリルバーン家の当主の愛人として招請されたと思ってたんだよ?」
「なっ!」
「アルジェ神官がその誤解を解いてたけどね。エリーには。まあ、庶民の貴族への認識なんてそんなものだ」
「エリー……エリーもそう思ってたのか……。可哀そうなことをしてしまった。不安だっただろうに……。私が出向いて説明すべきだった。エリーの家族はそのつもりでエリーを妹の身代わりにして家から追い出したのか……。なんて酷いことを」
(エリーは家族に捨てられたも同然だったのか。それなのに親に金の無心をされて……。妹も酷いものだった。そういえばエリーにそんなようなことを言っていたか……。そして、家族のように思っていた幼馴染まで彼女に大切なことを隠していた)
フィルフィリートはエリーの憔悴ぶりに改めて納得がいった。
「あいつらはエリーを搾取して悪いとも思ってなかった。そしてエリーはそれに気付いてなかった……。家族を愛していたから見えなかったのか」
ノアレーンは顔をゆがめて笑った。
「貴方はそれを知っていてエリーを救おうとは思わなかったのか?」
フィルフィリートは非難を込めてノアレーンを見た。握りしめたこぶしに力が入る。
「こっちにも色々事情があったんだ」
ノアレーンもこぶしを握る。しかしその声は今までより一段小さくなった。
「黒の一族のご事情か?エリーを傷つけて放っておくというなら、エリーのことはこれからは私が守ろう。彼女は我が緑の一族に連なる民だ。その権利は私の方にある。貴方にはエリーから手を引いてもらいたい」
「…………」
「話は終わりのようだな」
ノアレーンの沈黙を見たフィルフィリートはその場を立ち去って行った。
「何も知らないくせに……。けどそうだね。もっと早くこうしておけば良かったんだよね。元々そのつもりだったんだから……エリーは……なんだから……」
ノアレーンの呟きは風の音に紛れて誰の耳にも届かなかった。
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