23 壊れた世界
来ていただいてありがとうございます!
「お邪魔してしまって申し訳ございませんわ」
私達の間の微妙な空気を感じたのかそうでないのか、カーラ様のお母様はそう言って応接室へ案内されていった。これからフィル様かご当主様がお帰りになるまで待つのだろう。普段とは違う華やかな香りが仕事部屋に残っていて、今さっき聞いたことが夢じゃないことを知らせてくれていた。
「エリー、僕の話を聞いてくれる?」
ノアは、ノアレーン様は縋るように私の肩を掴んだ。その黒い瞳は少し潤んでいて、最近見せていた自信ありげな表情は鳴りを潜めていた。私達はそれぞれ椅子に座った。シオン様も残ってくれていた。ノアレーン様は少し嫌そうな顔をしたけど、仕方なさそうに話し始めた。
「僕は生まれつき魔力量が凄まじかったんだ」
自慢のように聞こえるその言葉には苦悩があった。
ノアレーン・スミスヴェストル様は魔力が一族の中でずば抜けて高く生まれた。元々黒の一族は魔力が高い一族だけど、その中でも歴代最高レベル。生まれた時から五歳くらいの時までは普通に過ごせていた。けれどある時からその魔力が暴走をするようになったんだって。
「僕が五歳の時だから、十年前になるかな。王宮にいた時に突然魔法が暴走して僕は他の場所へ移動したんだ」
「十年前、王宮というと現国王陛下と王妃陛下とのご成婚ご即位の式典でのことかな」
シオン様が記憶を辿る様に説明してくれた。
「…………そうだ。そこから僕の放浪が始まった」
魔法ってそんなことが出来るんだ。私は二人の会話を聞きながらそんなことを思ってた。小さい子が突然いなくなったらお父さんお母さんは凄く心配したんだろうな。
「……あちこちを魔法で彷徨ってた。最後にクリアル山の神殿に跳んだんだ。魔法で。そこで神官様に保護してもらったんだ」
ノアレーン様は私を見た。その時に私と会ったんだ。私は何も言えずにノア、ううん、ノアレーン様の話を聞いていた。しばらく神殿で過ごした後、一度迎えに来た両親と共に家へ帰りその後は、魔法で家と神殿を行き来して二重生活をしていた。理由は神殿の古文書に興味があったから。小さい頃から頭が良くて、神童とか神代って呼ばれてたんだって。神代っていうのは魔力が強くて大きくて神様みたいな人の事。時々寝込んでることがあるって聞いてたのはお家に帰ってたからなんだね。っていうか一緒に過ごした時間の事を考えるとこっちにいる時間は多すぎだったよね。お父さんやお母さんは心配しなかったのかな?貴族って不思議。
ぼんやりと考えながら聞いていたその話には、嘘は無いけれど何故か全部じゃないって感じた。知ったこととして頭には入って来る。
「そうだったんだ……」
言いかけて、あ、駄目じゃない?って思い付く。マイヤさんから礼儀作法とかも細かく教えてもらっててるんだよね。マーサさんと違って厳しいんだ、マイヤさん。黒の一族のスミスヴェストル家ってリーフリルバーン家やウィステリアワイズ家と同じように国王を輩出する物凄い貴族のお家だよね?
「いえ、今まで失礼なことをしてしまって申し訳ありませんでした」
「……っエリーっ!やめてよ!いつも通りでいいんだ!僕はっ」
ノアレーン様が目を見開いて私の方へ手を伸ばす。私は思わず体を引いてしまった。傷付いたような表情にもあまり心が動かない。私って結構冷たい人間なんだ。目の前にいるのはノアなのに……。ううん、違う。
「今はエリーも混乱してるんだろう。話の続きはまた後でもいいのでは?」
シオン様の言葉がありがたかった。
「申し訳ありません。私、部屋に戻ります」
「エリー……僕は」
追いすがってこようとしたノアレーン様に頭を下げて
「失礼します」
私は立ち上がって自分の部屋に戻った。
夜、何となく食堂へ下りていく気がおきなかった。私以外みんな貴族の人達なんだよね。すっごく今更だけど、私今までよく一緒にご飯なんか食べられてたなぁ……。部屋にいたらマーサさんが食事を運んできてくれた。お礼を言って食べようとしたんだけど全然食べたくない。どうしよう。残したら勿体ないし、マーサさんやマイヤさんに心配させちゃうよね……。困ったわ。持て余していたら今度はフィル様がお茶を持って入って来た。ドアは開けたまま。え?フィル様がお茶のトレー持ってるよ?立ち上がって呆気に取られていたら、フィル様、お茶をカップに注ぎ始めたんだ。
「あ、あの、フィル様、私がしますので!」
「いや、大丈夫だよ。外ではともかく、うちでは自分でやれることはやって来ているから。お茶くらい淹れられる」
え?そういう問題じゃないと思うんだけど……。フィル様は私を長椅子に座らせてくれ、隣に座った。私は勧められたお茶を一口飲んだ。
「あ、甘くて美味しい……」
「良かった」
上質なシロップがいっぱい入ってるみたい。私達庶民が簡単に飲むことなんてできない贅沢なお茶だった。胸に甘さが沈み込んでいく。
「話は聞いたよ。ノア君、いやノアレーン様の事、黙ってて済まなかった」
「いえ、あ、フィル様。お帰りなさい」
「ただいま、エリー」
フィル様はフッと微笑んだ。やっぱりフィル様も知ってたんだなぁ。そっか、貴族だもんね。顔見知りだったりするよね?ノアレーン様に口止めされたとかかな?でも何で?なんでノアは……。きっと色々な事情があるんだろうな……。それは私には関係のないことで。関係ないんだろうけど。……関係ないんだね。
「あ、あれ?」
涙が零れた。とまらない、どうしよう。
「エリー」
フィル様が肩を抱いて私を引き寄せた。
「当たり前と思ってた仲のいい家族はいなかったし、守ってあげなきゃって思ってた幼馴染のノアもいませんでした……」
もちろんノアが孤児じゃなかったのは、ちゃんと家族といられるのは良いことだ。でも私のいつもの普通の当たり前な世界は、小さな世界は壊れちゃった。ううん、元々幻だったのかもしれない。なら、私は?私の居場所は?もう帰れる家も無いかもしれない。私は途方に暮れていた。
「私を必要な人はいなかったみたいです」
あ、父さんと母さんは私が稼ぐお金は必要みたいだけど。はははってちょっと笑いが出た。
「そんなことはないよ。エリーを必要としてる人はちゃんといる」
フィル様はシャツの一番上のボタンを外すとチェーンの付いた花光玉を取り出して、私の手のひらの上に置いた。花光玉はフィル様の体温を宿していた。あったかい。
「花光玉……」
そうだ。私にはまだこれがあった。
「そうですね。病気の人達が少しでも楽になれるように頑張らないと。これから秋の花も咲き始めますし。研究を進めないとですものね」
病気の人達がいなくなるまで……。でもその後は……?心に浮かんだ不安。病気で苦しむ人がいなくなるのは良いことだ。でもそうしたら私も要らなくなっちゃうね。そんなことを考えちゃう私は、嫌な人間だ。でも今は……。
「ずっとここにいてエリー。僕のそばに」
「ありがとうございます。フィル様」
フィル様の腕の中で私は花光玉を抱き締めた。
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