くり抜き陽光
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あ、こーちゃん、おかえり! 今日は結構早いんだね。まだ陽のあるうちに返ってこれるなんて。
今日は久々に、日差しのおとなしい日だと思わない? これまでのギラギラ照りつけるような強さから、てかてか穏やかなものに変わってきたような気がするよ。
絶好の日向ぼっこびよりというか……こう、縁側でいい具合に眠気を誘われるくらいの陽気が、この命にとって具合がいいんじゃないかなと思うんだ。
洗濯物もついさっき取り込んだんだけど、いい具合にぬくんでいるよ。
けれど、色あせとかはどうしようもないなあ。
生地も陽にやけるものだから、何度もさらしていれば色は落ち、主に白色へと落ち着いていく。うまい具合に調和がとれているならいいけれど、たいていは元の色あいを乱してしまい、見ていていい気持ちはあまりしないだろう。
人間の身体のように自己修復機能のついていない彼らのお世話は、ときに驚くほど手間がかかる。ひょっとするとそのダメージは、何かを僕たちに伝えたいのかもしれない。
僕が以前に聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
その子、一人暮らしをはじめてしばらくになるんだってさ。
住み出した当初は、律義に外へ竿を出して洗濯物を干していたみたい。けれど、いったん楽をするきっかけがあると、そこへ流れていきがちなのが人のサガ。
雨降りで外へ竿を出せなかったのをきっかけに、友達は外干しをするのがおっくうになってきた。
三日に一度、二日に一度、そして毎日。
一人暮らしの少ない洗濯物たちが、ほぼガラス越しでしか光に当たらなくなるのに、さほど時間はかからなかった。
部屋の中の竿やカーテンレールに引っかけられるハンガーと、その洗濯物たち。
服に頓着しない友達としては、その枚数も少なく、気分によってすぐ着替えなおすこともままあった。
そのとき、タンスに入っているよりも、すぐ手元に届く場所にあればいい。
すでに幕のように立ちふさがって、屋内外を仕切る服たちはまるきりカーテン代わりだ。
年中無休のひなたぼっこ。その状態の維持に、友達はかまけていたのだけど。
干していたTシャツの一枚に、異変があった。
黒を基調としたそのシャツの、右肩の一角の色がはげているんだ。
けれども、ただの日焼けにしては妙な色の褪せ方だった。
友達はシャツを、右半身側がまんべんなく日光にあたる角度で干している。本来なら多少の差はあれど、色落ちもまた広くまんべんない範囲で起こるはずだ。
それが今は、一番ガラスに向けて張り出している右肩の先のみがはげている。袖の残りの部分や首回り、脇の下の部分などは先日までと変わりない色を保ち続けていた。
友達も、このシャツはしばらく身に着けていない。いつからこのような状態だったか、判断がつかなかった。昨日か、一週間前か、あるいはもっと前からか。
さらっと見るぶんには気にならないが、そうと注意してみればはっきりとした褪せ方。
部屋着として使う限りは、そう問題にならないかと、友達はぱっとそいつのハンガーを手に取ったのだけど。
キーンと、周囲の音をかき消すほどの耳鳴りを、友達は味わった。
あまりの不意打ちに、ついシャツから手を離し、自分の耳へあてがってしまう。
それほど長い間じゃなかった。ややあって、また先ほどまでのように外を通る車の音が、遠く響いてくる。
もう一度シャツへ手を伸ばしても、今度はなんともない。
さっとシャツを引き寄せた友達は、どうにも怪しく思って、別の色付きシャツを後釜にして同じ場所へ掛けなおしたのだそうだ。
それから3着、シャツが似たような目にあった。
日を置いての不定期的なものだったが、シャツのごく一カ所のみが日焼けするという事態だ。
干したシャツはいずれも右半身側で統一。日焼けする場所の高さはまちまちだったが、大きさはいずれも、友達の握りこぶしよりひとまわり小さいくらいで安定している。
そして、いざシャツを取り除けようとする耳鳴りがするんだ。
相変わらず周囲の音を打ち消して、それ一色ならぬ一音のみでいとこの感覚を支配せんばかり。そして長続きせずに、消えていく。
音はすれど、姿は見えず。
すでに耳鳴りが何物かの意図だと察していた友達は一計を案じてみることにした。
新たに「いけにえ」となるシャツを用意したあと、友達は窓を開ける。
ガラスまでは、換気のために開けることはしばしばあったが、網戸まで開放するのは久しぶりだ。
そうして外気に対し、素肌をさらす格好になったガラスへ、友達は接着剤を塗りたくる。
乾くとより吸着力を増す一品だ。もうしばらく経てば、ヘタに手をつけただけでもはがすのに苦労する強さとなるだろう。
――状況からして、ガラス越しにいたずらをする輩がいるに違いない。半端に日光を遮り、嫌がらせをしている輩が。そいつを突き止めてやる。
友達の考えは、すぐに功を奏した。
セットした翌日は休日かつ晴天。このような時の後に、色落ちが発覚することが多かった。
罠を張ったガラスの状態も確かめて、シャツを吊るしながら待つこと2時間。
やや塗りムラが残っていたガラスの一端が、ほんのわずかにゆがんだ。何かがくっついてきたんだと、すぐ分かった。
接着剤が効果を発揮するよう、そのままの状態でしばし待機。のちに、さらしていたシャツへ手をかけた。
ほんの少し前までなんともなかった袖へ、すでに真新しい日焼け痕が浮かんでいる。
直後。予想していた通り、耳鳴りが襲ってきた。
けれども、今度は音がなかなか遠ざからない。同時に、先ほどゆがんだむらの部分がまた動き出す。今度はわずかではなく、細かくだ。
想像通り、と友達はほくそ笑んだが、それもつかの間のこと。
まず、取り除けたシャツだ。
観察し始めてから、手に持ったまま窓へ向け続けていたが、それがにわかに熱を帯び始めたらしい。
ちょうど、服の袖の褪せていた部分だ。そうこうしているうちに、焦げ臭い香りさえかもし出される始末。
すぐさま水を汲もうと動く友達だが、その目が見る窓の景色は、塗りむらだけにとどまらず、真新しい絵の具を垂らされたかのごとく、急速に色を帯びてきた。
型抜きをしたような、パン生地のようだったと友達は話す。
黄土色とともに浮かび上がったそれは、窓の8割がたにその平べったい体で張り付き、かろうじて身をよじっていた。塗りむらがゆがむのも、その一部に過ぎなかった。
型抜きをされた部分は、まさに服たちが色落ちさせられたものと同じ、丸い形をしている。
そこに映し出された景色は、シャボン玉越しに見たものと同じように、ふちへかすかな瑠璃色をたたえながら、大なり小なりぼやけていたのだとか。
その円の延長線上に、今まさに熱くなるシャツの袖がある。
さっとシャツをそこから外すも、熱くなる箇所が変わるだけ。
延長線上にある畳が、今度は熱を帯び始めて友達は今度こそ、手近なコップに水を汲み、それをふきんに吸わせた上であてがっていく。
一方の窓外へ張り付いた奴はというと、いよいよ身もだえを激しくしていった。
接着剤の縛めも、動きを抑え込みきることはできず。その身体のあちらこちらが、すでにガラスから外れかけている。
必死になるのも仕方ない。なぜならそいつは身をよじるのを続けるうちに、身体の端からじょじょにオレンジ色の火をともし始めたのだから。
いったんちらついた火は、たちまちその平べったい体全体に広がり、もだえるは暴れるに早変わりする。
どん、どんとガラスを揺らしながらも、その反動でべりべりとガラスから身体を引きはがしたそいつは、のけぞるような形で窓の下へと消えた。
友達のいる部屋は二階。真下の地面にはいくらか背の低い草も生えていて、あの火だるまが落ちれば惨事は免れない。
そう思ったのに、いざのぞき込んだ階下の土は何事もない様子でそこにあったとか。
あいつが何だったのか。どこへ行ってしまったのか。
いまだ友達はその正体をつかめないままだと聞くよ。