夜行性の生き物三匹
「お前あんまなめんなよ?」
とっさに口を突いて出た言葉は、怒気をたっぷり含んだものだった。
「何が? 回答求む」
「回答してやるよ。半端な説明と忠告しかせず、俺たちを巻き込みやがってからに、一方的に教えろはおかしいだろ」
「そうか。謝ってほしいなら謝るが」
「大体お前、HRの時間何してたんだよ。教室にいないのおかしいだろ」
そう、同じクラスなのにHR時に席にいないのはおかしいことなのだ。
「先の戦闘データを解析してたんだ」
「それもわけわからん。お前ら演習がどうのっつってたよな? とにかくまずは俺が聞く番だろ」
「ならどこから話せばいい?」
「……まずは707号室について教えろよ」
血痕が付いていたあの部屋。空き部屋のはずなのに、いわくつきの部屋なのに、あえてあの部屋を使っていた理由。俺も千代もそこから知れば、まずは縁のことを信用できるはずだ。
「あの部屋はただ単に都合が良かっただけだよ」
「は?」
「お前今日貧血だろ?」
「……なんでわかんだよ」
「匣庭に行くときにはな、かなりの残置物をこっちの世界に置いて行かなきゃいけない。だからシンプルに人間の体は血液を残していくんだよ」
「どうして残す必要が?」
「この世の万物は微弱な磁力を帯びている。水も、リンゴもだ。人間にもそれはあって、ほら、ときどき地震予知ができる人とかいるだろ? そういった人は鉄分が多い傾向にある。だから地震の前触れで発生した磁場に、いち早く気づくことができる」
つまり彼が言うには、オカルトでいう第六感の正体は「磁覚」なのだそう。渡り鳥がもとの位置へ難なく戻れるように、俺たち人間も微小ながら磁力を感じ取る力を秘めているようだ。
「匣庭は現実世界と虚構の世界、つまりあの世の狭間に存在する意識と実物が混在する世界だ。イデア、という哲学用語もあるが、それに果てしなく近い。ただイデア界そのものではない、ゆえに第二次世界大戦からは匣庭と呼ばれてる」
「とりあえずほとんど死後の世界ってことでいいか?」
「とりあえずはその認識でいい。そういった世界だから、死ぬギリギリまで失血する必要がある。三途の川を渡る際の六文銭と言って差し支えないだろうな。その代わり、六文銭はこの世への貸しだ。俺たちは固有の磁力をたどり、この世界へ帰ることができる」
「……とりあえず続けてくれ」
「お前らがおそらく見たのは、あの部屋の血痕だろ? 怖いモノ見たさで事故物件の部屋に忍び込んだら、なぜか新しい血痕があってビビった、と、こんなところか」
「恐れ入ったよ……」
「なら話は早い。あれは俺が残した血痕で、六文銭だ」
なんとなく合点が入った。おそらく縁は極力人目を避けたいがために、あの部屋を選んだのだ。たしかにほかの場所……たとえば学校に血だまりを残したとなると、大騒動に発展しかねないからな。
だったら余計に思わせぶりな発言を残して部屋に消えたことについて、俺は怒っていいはずだ。もう少し詳細に話してもらっても良かったはずだ。ぜひぜひそうしてもらいたかったところだが、千代もやんわり口止めしてきたところを思い出すと、はあ、そういうわけにはいかないよな。
了解。
「ほかに聞きたいことは?」
「たくさんありすぎるんだが、一番根幹の部分だけ教えてくれ。もう少しで一限始まるし。誰がお前に匣庭のことを教えた?」
「そんなことか」
縁はチラと傍らに目を遣ると、何やら残念そうに首を振る。
「……今はその時じゃない。まあ、まずは今話したことを咀嚼するのが先だろうな」
「うるせえよ、いっぺんに嚙み砕いてやるから教えろ」
「厭でもあとでわかるって」
気迫の込もったものいいに、残念ながら俺は二の句を継げなかった。仕方なく百代のパーソナリティを話してみせる。千代の双子で姉なこと、この世に存在していないこと、死体が消えたこと。そして小学六年生のときの、平和学習発表会でのこと。
「対価を消す……ね」
縁は暫時黙りこくって、目を伏せた。
「小学生の発表にケチをつけるのはちょっと情けないけど、対価は金じゃなくて、可能性という線はないのか?」
と、縁の言ってる意味がうまく呑み込めずにチャイムが鳴る。対価が金ではなく、可能性。こういう優等生ふうの思想にめっぽう弱いのは俺の至らぬところかもしれない。
可能性は金によって作られるもんじゃないの。とは、一見賢そうな縁には言えなかった。でもこう見えてコイツ、テストの点数はクソほど悪いんだぜ。クラス内でも最下位付近をうろちょろしてる、コイツの発言になんだかんだ看破されることになろうとは思わなかった。よく考えてみれば、金を生み出すためにもなにかと可能性が必要だ。
とはいえ百代は小学六年生にしてあそこまで論理立てて話してみせたのだ。可能性の獣だ。
四限終わり、学食へ向かう最中に「飯沼くん」と声を掛けられる。振り返ると、今朝自転車を直してあげた女子が立っていた。あまり目立たない小柄な体型で、そのくせ赤ぶち眼鏡をかけている。よく見ると少しかわいいかもしれない。
「自転車、ありがとう」
「どういたしまして?」
「で、さっき涼森さんが飯沼くんのこと探してたよ」
「千代が? わかった」
どうやら家庭科室にいるらしい千代の元に向かう。途中でやたら喉が渇いていることに気づき、自動販売機で紙パックのミルクティーを買った。
「……自分の分だけ買うのはセコいか?」
幼馴染相手に何故だか気を遣ってしまい、いたずらがてら大容量のコーラを買う。その思惑通りに、千代は「私が炭酸飲めないの知ってるくせに!」とぷりぷり怒った。
「そんなことより何の用だよ? 次体育だから早めに教室戻んないと」
「そっ……それだよチカちゃん!」
「どれ?」
「体育!」
「体育がどうしたよ?」
もじもじと顔を赤らめて、胸の前で交差させた腕をほどいて見せる。
「おっ……」
……これって。
「おっぱいじゃん!!」
「シーッ」
慌てて俺の口をふさぎにかかる千代だが、その距離感だからやむを得ず不可抗力で胸が押し付けられる。頭がどうにかなりそうだ。
俺の知ってる千代は、記憶がたしかなら、まず間違いなく男だった。つい昨日までは胸だってなかったし、よく考えてみればケツだってこんなに大きくなかったはずだ。明らかに女性的すぎる体に変化してる。
「あっ、あっ……」
急に恥ずかしくなって後ずさるが、千代は逆に距離を詰めてくる。
「体育あるって今の今まで忘れてて……」
「えっ!? ええ~っ!?」
「ちょっとお願い! ほんとに静かにして!」
「でっ、できるか! どうしたんだよその体!」
「わかんないけど!」
「わかんない!?」
「でも、現に胸は大きくなってるし、おしりも……あとアレがなくてアレがあって」
「アレがなくなってアレが!? お前それ完全に女だよ!」
「そうなのよ!」
おっと、静かにしなきゃいけないんだった。
「……んで体育どうするよ? 一応学校には女子扱いの男子ってことで話通ってるんだろ?」
「そうなんだよね。今さら『実は女でした』なんてのも通用しないだろうし」
「正直に言うしかないんでない? ある日突然女になっちまいまして~って」
「真面目に考えてほしいんだけど……」
が、しかし、多感な俺は千代の胸元にあるものを発見してしまう。
「お前、その谷間のホクロって……」
「そんなのある? ってホントだ。いつの間にできたんだろ」
「いや、できたんじゃなくてもともとあったものかも……」
「?」
「言いにくいんだけどさ……可能性の話だよ? こういう可能性もあるって話だけど……それ百代の体じゃないか?」