猿の学生
俺は何をしているんだろう。
母の作ってくれたニラ玉――仮にも多感な時期の高校生の朝ごはんとしては匂いがキツすぎる――を胃にかっ込みながら、ニュース番組を点けていると、バッチリ昨夜の映像が流れていた。俺の操縦桿チュートリアルもバッチリだ。デカブツがキョドってる。
赤谷龍一郎総理大臣までもが会見を開き、此度の騒動について質問攻めに遭っている。
『今回の事件について官邸はどのように判断したのでしょうか?』
『現時点で回答できることはありません』
『我々の触れてきたSF作品が現実となってしまいましたが、どのように対応するのでしょうか?』
『そちらも現時点ではなんとも』
汗ばんでいるのだろうか、立派なM字ハゲをハンカチで拭いながら記者会見に臨む総理を見ていると、なんだか大変なことをしでかしてしまったように思えてきた。
実際こちらはこちらで大変だったのだ。なぜか貧血になってしまった俺は、夜十時を回って帰宅した両親に抱き起こされ、恥ずかしながら十年ぶりくらいに体や頭を洗ってもらった。そうして寝室まで担ぎ込まれると、「いきなりあんた、どうしたの。貧血だなんて」との母親の問いに、「いやあ、ビックリしちゃってさ」と答えるしかなかった。
「ドカタで鍛えてるのに、そんなもんなんだ」
「ドカタじゃねえ。解体な」
実際、土日のみの出勤で月に八万ほど稼げる解体は楽でしょうがない。こんな田舎のどこを潰すんだって話だが、土壁の旧家やら蔵の撤去やらまだまだ仕事はたくさんある。中でも夜逃げした会社のオフィスの内バラしなんて最高だ。色んなお宝が手に入る。おかげで誰が持ち込んだのやら、現場でフェンダーのストラトキャスターとモーリスのアコースティックギターを手に入れ、今でも趣味の一環として弾いている。
まだ調子の優れない俺は、学校を休むことにした。貧血ならば真っ当な理由だろうし。
「ななー。ななよ、おーい」
「ビックリした! 久々に名前呼んでくれたね!」
「学校に電話かけといてくれないか。貧血で休むって」
「そんなの無理だよ。私モノ触れないもん」
「あれ? でも昨日は……」
「昨日は匣庭での話でしょ! しっかりしてよ」
まーたわけわかんないこと言い出したよ。仕方ない、自分で電話するか。
と。ニヒニョウムとインターホンが鳴る。千代のバカが迎えに来やがったのだ。
「お、おはよー。チカちゃん」
スクールバッグを前に抱えた千代が玄関に立ち尽くしていた。
「オハヨーじゃねえよ、俺は今日学校休むからな」
「えっ!?」
「お前聞いて驚くなよ。昨日の俺はなぁ……」
「ちょ、ちょっと待って! シッ!」
なぜか慌てふためきながら玄関のドアを閉め、
「それ言っちゃダメ」
「なんでだよ」
「みんな殺気立ってる。昨日の騒ぎで、誰が犯人か探ってる」
「犯人もクソもあるか」
「それ、普通の人に通用すると思う?」
「うーん……」
そんなもんだろうか。
昨夜起こった事件はあまりにも非現実的なものだった。だからあれがもはや人知の及ばない現象であることは明白だけど、果たして当事者以外の人物が「はいそうですか」と受け入れてくれるかどうか、たしかにまだ怪しい。
とはいえ犯人捜しなんて、徒労に終わるのみだろ? だってヤギ頭は明らかにヒトではなかったし。
あ、そうだ。
あいつは俺が踏みつぶす直前、こっちを見て泣いたんだった。
「とにかく、学校いこ。私も堅田くんと話したいことあるし」
そういえば千代も、百代のへその緒がなんとか言ってたな。少々体調はすぐれないけど、ニラ玉食ったし大丈夫でしょうよ。仕方なくブレザーとスラックスを持ってきて玄関で着替えようとしたら、今度は千代が「自分の部屋で着替えて!」と止めてきた。
心は女とはいえ、生物学的には男である千代。何を恥じらうことがあろうか。裸だって散々見てきたし、今さらって感じ。仕方なく自室で着替えている最中、なながニヨニヨしながら近寄ってくる。
「やめろ、見んな」
「えー? いつも見てるよ」
「だから見んなっつってんの。今までは無視してたから気にならんかったけど、改めて認識してからみられると恥ずかしいの」
「ブリーフだから?」
「こら!」
俺のげんこつがななをすり抜けて空を切る。
「できる男はな、ブリーフって決まってんだよ!」
「でも彼女と寝るとき恥ずかしいよ?」
「だからそのタイミングだけはボクサーブリーフに変えてやるっつってんだよ!!」
「それが今日だとしても?」
「今日じゃないからいいんだ!」
「ふーん?」
階段を下りていくと慌てたように千代がバッグを抱えた。玄関のドアを開けると、すぐさまミンチ(解体で発生したガラス破片や土などのこと)が吹き込んできたので、急いで家を出る。
家の前に敷設されていたアスファルトが粉々になっている。俺、こんなギリギリのヤバいとこ踏んでたのか。
「それにしても昨日のアレ、なんだったんだろうね」
「ああ、ヤギ頭ね」
「それじゃあロボットに疑問持ってないみたいになるからやり直し」
テイク2。
「それにしても昨日のアレ、なんだったんだろうね」
「なんでもいいだろ」
「良くはなくない? 今政府が国を挙げて調査に乗り出してるみたいだし」
「動いてるのは日本だけか?」
「んーん、インドとイタリア、あとアメリカも」
「そりゃまあ、そうか」
嘉邦高校までは徒歩十分ほど。その間、人目を気にしつつもひそひそ声で会話を続ける。
「あ、イタリアは言っちゃいけないんだった」
「ん? どうしてだよ」
「それは……」
ジャラララ、と何かの外れる音でせっかく続いていた会話が途切れる。自転車登校の女子がちょうど横切るタイミングで、ギア変速を誤り、チェーンを外してしまったらしい。
「大丈夫かよ」
仕事柄、こういう手合いの作業は手慣れたものだ。すぐさまその子に駆け寄ると、自転車を直してあげた。
「よっしゃ直った」
「えあ……ありがとうございます」
「ん? リボン同じ色だし、同学年じゃん。敬語じゃなくて良くない?」
「!? 失礼します!」
ぴゅーっと自転車を漕いで行ってしまった。
嘉邦高校の制服には法則がある。一年は赤、二年は緑、三年は青色のリボンが義務付けられているのだ。男子に於いてはネクタイの色で同様に分けられており、リボンよりも割高なのでしょっちゅう不満が上がっている。
「えーっと……」
半端なく余計なことを考えていたせいか、何を話していたのか忘れてしまった。
「お前ずっとバッグ抱えてるけど、そんな重いの?」
「いや、えーっと。まあ重いよ?」
「あ、便覧いる日だっけ」
「便覧って学校にずっと置きっぱじゃない?」
「そりゃそうか」
そうこう言っている間に学校に着いてしまった。二年A組の教室まで階段を上っている最中、やたらとスカートを押さえる千代に、なんだか男同士なのに久々にハラハラしてしまった。
「ほら言ったでしょ?」
そういうんじゃねえよ。ななを睨みつけつつ、教室のドアをくぐる。
二年A組。生徒数四十名。男子三割、女子七割を占める普通科のクラスだ。AB組は普通科となっており、BC組は理数科。学年総人数一五八名の、田舎じゃ名の知れた高校。俺と千代の席は大きく離れているのでそれぞれ教室に入ってから分かれると、何やら千代の近くの席に座る男子がザワついた。
「?」
少し気になりつつも、目的はB組の縁だ。HRの後に行ってみよう。
「ほーい、HR始めまーす」
担任の桑田先生が入ってくるまでの間、俺隣の席の生徒会長・枝野望水と談笑していた。俺と枝野に限った話ではないが、やはり教室中昨日の事件の話題で持ちきりだ。やれロボットは誰が操縦しているのだとか、怪獣はアメリカ軍の秘密兵器だとか、中にはヤギ頭という点からキリスト教における悪魔なのではないかとか、いろいろな……そう、いろいろな話だ。
片や枝野なんかは実家が枝野マシーナリーラボというロボット研究機関の室長ということもあり、ロボットの構造解明にお熱、といったところだった。
「昨日の事件で怪我した人がいなくて良かった。もしかすると非常事態宣言が出されてしばらく休校になるかもだから、みんなちゃんと毎日教科書持って帰るようにな」
桑田先生の一言にどよめきが起こった。さっさと休校してくれれば良い。みんなは遊び惚ける気満々だろうが、俺たちはまた別の理由で休校を望んでいる。
「先生、休校っていつからですか?」
軽音部の佐々木がここぞとばかりに質問する。
「休校かも、って言っただけだろ。まだ決まってない」
「えー」
「とはいえ、第二次現出があった際は、すぐに閉校するだろうね」
こいつらもう第二次のこと考えてるの? なんかみんな喜んでるし。
俺は当事者だし、第二次なんてあってたまるかと。もう操縦は懲り懲りなのだし、謎の貧血も頻繁にあっちゃたまらんだろ。というかむしろ、ほかのロボだけでも十分に戦えそうだし、俺は出なくていいのでは?
「HR中失礼します」
教室のドアが遠慮がちに開けられる。そこにいたのは、縁だった。
「飯沼を連れ出していいですか? 先生」
「もうHR終わったも同然だし、いいぞ」
「ああ、ちょうど俺も用事あったんすわ」
鞄の中から一応財布だけポケットに入れて、縁の元へ向かう。こいつ、背高いから横に並びたくないんだよな。
「昨日のことか?」
「ん? それもあるけどさ」
何やら煮え切らないものいいで、縁は渡り廊下の自動販売機で、微糖のアイスコーヒーを買って俺に寄越す。
「涼森百代のこと、できるだけ詳細に教えてくれよ」