一
ほんの数ヶ月前、学園を巻き込んだ恋愛劇が幕を開けた。それは傍迷惑にも一般生徒すら巻き込み、まるで嵐のように学園の秩序を乱していった。
それは嵐の中心であるとある少女が、季節外れの時期に入学してきたことが発端であった。
空をそのまま写し取ったような澄んだ青い瞳を持ち、太陽を彷彿とさせるように光輝く金髪を背に流した少女は、名をメアリー・ライトと言った。平民でありながら膨大な魔力を持ち、更に希少な光属性魔法を発現させた事から、貴族が多数を占める魔法の名門校に通うことを国から許されたのである。
最初は突然の状況に戸惑いを見せていたメアリーであったが、持ち前の前向きさと明るさで学園に馴染もうと努力していた。だが彼女は平民である。貴族との常識の違いに苦悩し、平民と謗られた事に傷付く姿を至る所で目撃されるようになっていた。しかもその度に学園で人気のある見目麗しい男子生徒に慰められている所を見られている。それだけなら、まだ良かった。
それがメアリーと一人の男子生徒の間で起こったことなら一部の者に反感を買うかもしれないが、美しい青春の一ページとなった事だろう。もしかしたら少女小説のようであると、胸をときめかせる者もあったかもしれない。
しかしメアリーを慰める男子生徒は一人でなく、何と複数人もいたのである。しかも国内でも有数の貴族であったり、将来を有望視されている者達であった。噂ではそこに教師も加わっていると聞く。メアリーを憐れに思った彼等は慰めの言葉を掛け、仲を深めていく内に彼女の人柄に触れて惹かれていったとか。今では彼女を取り合っての学園の至る所で騒ぎが巻き起こり、この間など皆が集まる食堂であわや魔法での乱闘騒ぎとなるところだったのだという。
それを面白おかしく語って聞かせる友人を目の前に、エリス・ホワイトは持参した手製のサンドイッチを頬張った。食パンにレタスにハムとチーズを挟んだだけの物であるが、中々に美味しく出来ている。やはりマスタードをほんの少しマヨネーズに混ぜ合わせた事が良かったのだろう。
そう自画自賛しながらも、それを半分ほど食べ終えてからエリスは首を傾げた。
「噂では色々聞くけれど、私一度も見たことないのよね。この間は公爵子息と騎士団長の子息が闘技場で決闘をしていると聞いて見に行ってみたけれど、終わった後だったし」
「あんなの見る価値はないわ。アタシも噂話が本当か見に行ったけれど、メアリー・ライトが間に入って『二人とも止めて!』とか何とか言って泣き始めて、それに二人が慌てて慰めの甘い言葉を吐くっていうお決まりの流れだったもの。どこの三文芝居を見せられているのかと思ったわよ」
「それはそれで面白そうだけど……」
げんなりとした様子の友人であるミリーナの言葉に苦笑する。確かに第三者からしてみれば一体何を見せられているのかと思うだろう。しかしエリスからしてみれば、物語のようなそれはほんの少し好奇心を擽られるものがある。
だがミリーナは違ったらしい。ナイナイと片手を振りながら、鼻で笑う。
「最初はそりゃ面白そうだと思ったわよ? けど人目も憚らず、あっちでイチャイチャ、こっちでイチャイチャ。しかもメアリー・ライト一人に対して複数人の男とよ? 今時の少女小説でももう少し節操があるわよ」
「……それは、まあ……そうね」
ミリーナの言に、エリスも確かにと思う。見目麗しい男性に求められるというのは、女性なら一度は夢見るものだろう。けれどそれが現実で起これば、眉をしかめてしまう。本人はその気がなくとも、男を手玉にとっていると思われても仕方がないのである。
実際に影でそう囁かれ、メアリーが学園の大半からよく思われていない事は、その様子を見ていないエリスでさえ知っていた。その為同姓の友人がいないという事も。そのせいで小さな揉め事が頻繁に起こり、学園の秩序が乱れつつあるのも。
「確かにそれで学園の風紀が乱れることは困るけれど、それよりも私はミリーナが巻き込まれないか不安だわ」
エリスの懸念はそこにある。
ミリーナは伯爵令嬢でありながら、学園の風紀を守る委員会に所属している。風属性の魔法に特化し、尚且つ剣の腕を買われての事だ。ミリーナの生家が多くの優秀な騎士を輩出し、性別など関係無く一通りの武芸を幼い頃から叩き込まれていることも一因している。
学園でも指折りの実力を持つ彼女であるが、もしもの事があったらと思うと気が気ではない。その時エリスが力になれることは、きっと少ないだろう。
けれどミリーナは令嬢に似つかわしくはない、けれど彼女らしいにっこりとした笑顔で笑って見せた。
「大丈夫よ。そこら辺は上手く隠れているから、今まで絡まれたこともないわ。エリスは心配しないで!」
「それなら良いのだけど……。でも、本当に気を付けてね?」
「ふふ、本当に心配性なんだから。でも、ありがとう」
クスクスと笑うミリーナに抱える不安はほんの少し晴れたものの、けれど懸念が払拭されるこはない。何事もなく事態が終息するのを、エリスは密かに祈った。
▽▽▽▽▽
放課後の図書室というのは人気が殆ど無い。
居たとしても司書一人に、生徒が一人か二人ほどである。しかし今日は誰も見当たらない。その図書室に一人で訪れたエリスは、慣れたように立ち並ぶ本棚を幾つか通り過ぎて一つの本棚の前に立った。そして一つ一つの本を吟味するように背表紙を眺めては、気になったものを引き抜いては中をパラパラと流し見ては戻す。という行為を繰り返す。そうして興味を惹かれる本を手にすると、踵を返していつもの場所へと歩いていく。その際に紙やインクの匂いがエリスの元へと漂ってくる。
この図書室は学園の片隅にある小さなものだ。名門校に相応しい蔵書を有する図書館もあるのだが、そこは利用者が多くて落ち着いて本を読めない。しかしここには掘り出し物の今は廃盤となってしまった書物が多くあるし、何より人が殆ど居ないので落ち着くのだ。そのため、ここはエリスのお気に入りの場所となっている。
それにここは日当たりの良い場所に机が置かれている。その一角で本を読むことを、エリスは日課としていた。今日もその場所に向かう為に歩を進めているのだが、しかしそこには既に先客がいた。上体を机に臥せているため顔は分からないが、さらりとした黒髪と長い足を窮屈そうに曲げているその人物にエリスはそっと近付いていく。
それから少し躊躇いはしたものの、肩を揺すって覚醒を促す。
「ユーリ様、この様な場所で寝ていては風邪を召されてしまいます。せめて自室か、保健室でお休みください」
「……ん。………えりす?」
人は居なくとも、図書室である。声を出すのは憚れたが誰もいなかったのだから咎められはしないだろう。しかし念のため声量を落として声を掛ける。すると目を覚ましたらしいその人は、ぼんやりとした寝惚け眼でエリスを見るとその名を呼んだ。
「はい、エリスでございます。ユーリ様、大丈夫ですか?」
名を呼ばれて柔らかな笑みを浮かべるエリスに、その人も笑い返してきた。
「うん。ここは居心地がよくて。君を待っていたら、つい眠ってしまった」
起こしてくれて有り難う、と言うユーリにエリスは笑みを深める。そして頭を振ると、ユーリの向かい側の席に腰を下ろした。すると眠そうに目をぱちぱちとさせていたユーリが、エリスの手元にある本を見て首をかしげた。その際艶やかな髪が、さらりとその滑らかな頬に掛かる。
「今日は何の本を借りたの?」
興味津々といった様子のユーリに小さく笑いを溢して、彼にも見えるように表紙を向ける。そこには小さな少女と、一匹の狼の絵が描かれていた。
「『花売り少女と寂しがりの狼』? それは、絵本かな」
「はい。小さい頃に読んで貰ったのを思い出しまして。懐かしくなったので、久し振りに読んでみようかと」
「へぇ……。そういった本は今まで読んだことなかったなぁ。どういった話なの?」
「簡単にいうと、一人の女の子が村で怖がられている狼と出会うんです。最初は怖がっていた女の子なんですが、森で会う内に寂しがりで、優しい狼だと気付いて仲良くなっていくというお話です。……私はこの話が好きでした」
最後は紆余曲折あるものの村の人達に畏れられている狼が、実は心優しいのだと理解してもらっていつまでも仲良く暮らすというものだ。ありがちな話で、現実的には有り得ないだろうこの話がエリスは好きだった。例え王道であっても、ハッピーエンドが良いに決まってる。
パラパラと本を捲りながら思い返すのは、ユーリと初めて出会ったときの事だ。
いつも通りここを訪れて、いつしか所定の場所となっていたこの席にエリスは座っていた。その日も図書室にはエリス一人で、司書すらも居なかった。
一度集中すると周りなど目に入らない為、その時人が入ってきたことも、況してや近くに来ていたことも気付いていなかった。そうして本を四分の一ほど読み終えた時、珍しくもそこで集中力が切れてしまった。ふう、と一息ついて残りは家に帰って読もうかと考えていると、その時初めて対面の席に人がいることに気付いたのである。
驚いて声を上げそうになったが何とかそれを押さえて、恐る恐るその人を伺うと寝息が聞こえてきた。どうやら眠っているらしく、健やかな寝息が耳に届いてくる。
一体誰なのか皆目検討もつかないが、しかしそのまま放っておくことも出来ず、エリスは静かに席を立つとそろりとその人へと近寄る。そして声をかけて起こすと、その人の顔を見てエリスは息を飲んだ。
男性にしては長めの髪は頬やうなじにかかっており、この国では珍しい黒髪をしていた。見た目からして艶やかで指通りの良さそうなそれは、まるで絹糸のようである。さらに眠そうにしかめられてはいるものの、その顔は秀麗という言葉がぴったりなほどに美しい造形をしていた。シミや肌荒れなどとは無縁そうな滑らかな白い肌に、形の良い赤い唇。何よりも目を奪われたのは、切れ長の琥珀色の瞳である。
自身の茶色の髪に緑の瞳とは異なる色彩に、エリスは興味を惹かれた。それはまるで宝石のように輝き、茜色に変わった空にある沈み行く太陽の光を受けて一層煌めいて見えた。
その美貌は整いすぎていっそ恐ろしくもあり、神や精霊の類いと言われても信じてしまいそうな程である。けれど目の前の麗人が声をあげたことで、生気ある人間であることを思い起こさせた。
「君は……」
「あっ、も……申し訳ございません! もうすぐ閉館の時間になりますし、暖かくなったとはいえ風邪を召されてはと思いましてっ。それで、あの、決して疚しいことはなにも……っ!」
その声は見た目に反して随分と低いものだったが、しかし聞きやすく心地好い響きをしていた。その事にまた我を忘れて魅入りそうになったが、慌てて距離を取り両手を挙げて早口で弁明する。最初驚いたように目を見開いていた麗人だったが、しかしすぐに柔和な顔付きになると落ち着いてと宥められた。
「君を咎めてる訳じゃないよ。だからそんなに怯えないでほしい」
「は、はい……。すみません……」
怯えないでと言われてもそういう訳もいかず、ついビクビクとしてしまう。友人であるミリーナも美人の部類に入るため見慣れたと思っていたが、そうでは無かったようだ。むしろ目の前の人の方はオーラというか、迫力があって無意識の内に萎縮してしまう。
その人もその雰囲気を感じ取ったのだろう。困ったように笑うと、落ち着いた声音で話し掛けてきた。
「ごめん、そんなに怯えるとは思っていなくて。……ただ、ここに人が居るのは珍しいから気になってしまったんだ」
近くに知らない人が居たら驚いて当然だよね。そう言って寂しそうに笑うものだから、エリスは場所も忘れてつい大声を上げてしまった。
「いえっ! 気になさらないで下さいっ。……その、驚きはしましたがそれはまた……別のことで、と言いますか……」
段々と尻すぼみになる言葉に、目の前の麗人は不思議そうに見つめてくる。
まさか貴方に見惚れておりましたとは恥ずかしくて言えず、かと言って他の言葉も思い浮かばない。だが何か言わねばとグルグルする思考回路で放った一言は、結局は先程美しいと思った瞳への賛辞だった。
「貴方の瞳が綺麗だなって! ええと、キラキラと輝いていて琥珀色も相まって星、みたいだなと……」
と、そこまで言って自分は何を言っているのかと羞恥に顔を真っ赤に染め上げる。確かに美しいし、星のような煌めきだとも思った。が、しかしだ。まるで女性を口説き落とすようなその言葉は、男性相手に失礼だったかもしれない。そう思うと赤くなっていた顔は、今度は蒼白へと色を変えた。
「あ、あのっ……決して他意はなくっ!」
「ふっ、くくく……っ! あはははは」
「…………へ?」
あわあわと弁明をしようとした所、盛大に声を上げて笑われてしまった。しかも余程面白かったのか、目尻に涙まで浮かべている。
美形は大口開けて笑ったとしても、その造形美が乱れる事は無いのだなと変に感心してしまった。
一頻り笑っていた麗人は痙攣している腹部をさすりつつ涙を拭うと、エリスに柔らかな笑みを向ける。その顔に嘲りなどの色はみられなかったので、純粋に面白かっただけのようだ。
「……っふふ。ゴメン、急に笑ったりして。君があまりにも必死だし僕の眼を誉めてくれる様子が可愛らしくて」
「えっと……、ありがとうございます……?」
「ふっ、何でお礼?」
「な、何となく……でしょうか……」
急に笑ったかと思えば、今度は楽しげに可愛らしいなどと言う。エリスは何故可愛らしいなどと言われたのか分からず、何やら褒められたのだと解釈して一応礼を述べたが、それもどうやら面白かったらしい。また笑われてしまった。
だが先ほどまで感じていた近寄り難い雰囲気が無くなり、今はほんの少しだけそれが和らいだ気がする。表情があまり変わらなければ整い過ぎた容姿は恐ろしさを感じるが、一度笑み崩れれば一気に親しみ易さが湧くのだから美形は得である。
麗人はゆっくりと立ち上がると、すっと自然な動作で右手を差し出した。細身の身体であったから気付かなかったが、身長はエリスが見上げるほどに高く手には胼胝がある事から何かしらの武芸を嗜んでいることを窺わせた。
「名乗もせずにごめんね。僕は、騎士科二年のユーリ・ファロン」
「こちらこそ、名乗もせずに申し訳御座いません。私は医療技術科一年、エリス・ホワイトと申します」
本来なら礼節に則った挨拶が必要だが、しかしそれを見咎める者もこの場には居ない。その為淑女らしくはないがその手を取って握手を交わすと、互いに宜しくと告げて友人となったのだ。
拙い文を読んでくださり、ありがとうございました。