第二話 僕の前に新しい悪役令嬢が現れました。
「アントワーヌの悪い噂が流れている」
僕が屋敷に戻ると、ハーヴェイ兄さんがアントワーヌの件で話があると話しかけてきた。
「どこかの誰かが、アントワーヌをどうしてもお前から排除したいらしい」
「どういう内容ですか?」
「アントワーヌがお前を誘惑して婚約した、とか、お前を誑かした、酷い噂ばかりが市井で流れている」
どの世界でも、ゴシップ好きはいる。
この世界では、週刊誌の代わりに、噂話が街の人たちに流れるようだ。
「噂を流したのは誰なのですか?」
噂の出元が気になる。
「まだ、はっきりとしていないが、ヴァンサンの関係者の可能性がある」
ヴァンサン、その名を聞くのは久々だった。
彼は、アントワーヌを愛人にするために、学園に彼女の悪い噂を流した張本人だ。
僕が、アントワーヌを救ったので、ヴァンサンはジュリアとの婚約を破棄されて、国外へ追放になっていた。
確かに、彼に恨まれるのは仕方ない。
でも・・・、そんなに簡単に噂が流れるものかどうか、疑問に思った。
「ヴァンサンは今、この街にいるのですか?」
「いや。だが、奴の取り巻き連中は残っている。噂を流すのは簡単だぞ」
ハーヴェイ兄さんの話す通りかもしれない。
ヴァンサンでなくても、噂を流すことができる。
「フェリックス、これはあまり宜しくない兆候だぞ」
「それは何故ですか?」
「市井の者たちに、わざわざ噂を流す理由はわかるか?」
「いえ」
「それはな、アントワーヌの悪い噂が街中で流れれば、貴族に仕える者たちの耳に入る。今度は、彼らの話が、貴族間に一気に広まる。貴族間の話は、王家へ流れる。段階を踏んでいるとはいえ、市井の噂は影響力が計り知れないものだ」
「兄上は・・・僕とアントワーヌの婚約を喜ばない者たちがいると話されましたね?」
「そうだ。その連中が動き出した」
ハーヴェイ兄さんは僕にこう語る。
僕が公爵家出身であり、ボナール家はこの国では大きな影響力がある。
その力を知る者たちが、地位の低い男爵令嬢のアントワーヌと婚約をすることが許せないのだろう。
そしてもう一つは・・・
「アントワーヌの家に対して、恨みがあるかもしれないな」
「デュクルノー家にですか?」
「そうだ」
「なぜ、そう思われるのですか?」
「お前はトリアー家を知っているか?」
「いえ」
初めて聞く、家の名前だった。
「トリアー家は、ここ10年で男爵家を戴いた新興貴族だ。彼らは、貴族階級に金銭を送り、子爵家への昇格を狙っている」
「我が家にも、金銭が送られたのですか?」
「いや、送られてはいないが、お前との婚約を狙っていた。持参金の件も話はでていた。彼らとしては、アントワーヌに婚約されて、面子を潰されたと思ってもおかしくはない」
そう言えば、父は僕の婚約に関して、いろいろな話が来ていたと僕に話していたことがあった。
もし、そうなら、トリアー家は関わっているかもしれない。
「・・・僕がアントワーヌと婚約すると話したことが、今回の件を呼び込んだかもしれないと言うことになりますね」
僕は、後先を考えずに行動したかもしれないと思うと、なんて愚かなことをしてしまったと思った。
落ち込む僕に、ハーヴェイ兄さんは僕の頭を優しく撫でる。
「おいおい、お前は悪くないぞ」
「ですが・・・」
「お前は窮地に追い込まれたアントワーヌを救った。それは素晴らしいことなんだぞ。それに今回は、貴族階級での話だ。お前自身が悪いなんて誰も思わない」
ハーヴェイ兄さんは両手で僕の頭をさらに撫でる。
「お前がアントワーヌを救った時、俺はお前を誇りに思った。お前は自慢の弟だとみんなに自信を持って話した」
ハーヴェイ兄さんは微笑む、
「いいか、俺は、お前とアントワーヌを必ず結婚させる。そのために、すでに噂を含め、トリアー家を調べ始めている。だから、お前は学園内で、アントワーヌを守るんだ」
ハーヴェイ兄さんは僕のために、騎士団を動かしてくれると教えてくれた。
それだけでも、凄い事なのに、デュクルノー家にも警備の者を付けると話してくれた。
だからこそ、僕に学園内を任せたいのだろう。
僕は、ハーヴェイ兄さんの意図を知ると、ハーヴェイ兄さんに対して頷いた。
「明日から、お前の執事として、フェルディアを学園に送り込む」
フェルディアさんは、僕の家庭教師だった人で、今は剣術の師匠だ。
フェルディアさんがいるだけでも、これほど心強いことはなかった。
「明日からは大変だぞ。だが、お前ならアントワーヌを守れる。なにせ、俺の弟だからな」
そう言うと、ハーヴェイ兄さんはまた、僕の頭を優しく撫でてくれた。
翌日、僕はアントワーヌと共に学園に登校すると、レジスに事情を話した。
レジスは僕の話を聞くと、「なるほど。もし学園内に噂が流れたら、その噂の元を調べるよ」、と応えてくれた。
「ついでに、アントワーヌの悪い噂が流れたら、防いでほしいんだけど?」
「当然だ。噂は断ち切ってやるよ」
レジスは快く、僕の提案を受け入れてくれた。
次に、僕はジュリアに会う。
彼女にも事情を話した上で、トリアー家が関わっているかもしれないと話した。
「トリアー家ですか・・・あの男爵家は悪い噂を良く聞きますわ」
さすが、ジュリアだと思った。
貴族間の情報を、彼女は把握できる立場にあるからだ。
ジュリアは僕にトリアー家の事を教えてくれた。
トリアー家は地方出身の傭兵ギルド出身の貴族であり、裏ではあくどいことをやっていたそうだ。
その後は、貴族階級に贈賄で、子爵家の地位を買い取った。(同上)
しかし、露骨な買収工作だったので、最近では、贈賄も進んでいない、と。
そうなると、彼らが公爵家の次男である僕に、婚姻を持ち出したのは当然のことだと言えた。
「トリアー家には、ヴェルデと言う娘がおります。しかし、彼女も良い噂がありませんね。気に入らない女生徒を苛めたり、お金に物を言わせて、気に入った男子生徒を恋人から奪ったり、色々やらかしているようですよ」
ジュリアは、ヴェルデのことが、よほど嫌いなのだろう。
露骨に嫌そうな表情をした。
そして、二人目の<悪役令嬢>が登場した。
でも、アントワーヌのようなものではない。
本物の<悪役令嬢>の可能性が高いのだ。
「それとあなたに、悪いお知らせがあるの」
「それは何でしょうか?」
「先生の話では、来週にも、この学園にその娘が転入するそうですよ」
おいおい、と僕は思った。
なりふり構わずだし、急な転校なんて、裏に何かがあるに決まっている。
それに、異世界転生もの特有の急展開が、目の前でこれから起こったのだ。
僕には不安しか、感じることしかできない。
「あなたはアントワーヌにぞっこんでも、注意は必要かもね」
ジュリアが扇子を畳む。
「あなたも気をつけなさい。相手は自分の手を汚してでも、地位を獲得した悪者よ」
「具体的に、どんなことをしてくる?」
「そうね」
ジュリアが扇子を口元に当てながら応えてくれる。
「例えば、あなたに薬を盛って、強引に体の関係を持つとか・・・」
あ、それは考えつかなかった。
それに、ヴェルデが悪役令嬢なら、それだけのことをやるかもしれない。
僕が狙われても、おかしくはないか。
ジュリアは声を出して笑う。
「あなたはアントワーヌだけでなく、自分のことも心配しなさい」
「気をつけるよ」
「私もアントワーヌを手助けします。ですので、フェリックス様も心して下さいませ」
僕はジュリアに感謝した。
そして、僕たちの前に、<悪役令嬢>は現れた。
ヴェルデ・トリアーは、<悪役令嬢>にふさわしい女の子だった。
学園に来て早々、ヴェルダのことが気に入らない、彼女に絡んできた令嬢たちに対して
「わたくしを誰だと思っておりますの?わたくしはトリアー家の長子、ヴェルデですよ。最高峰の傭兵ギルドを営む、わたくしの家の力を使えば、あなた方の命は造作もありませんわ」
と言ったそうだ。
しかも、怒った令嬢の一人がヴェルダにビンタをしようとして、逆に返り討ちにあったそうだ。
レジスがその場を目撃したそうだが、その光景は凄かったらしい。
最後には、「次はありません。わたくしの雇い兵たちが、あなたの家に伺います」
と脅して、令嬢たちは逃げたと。
雇い兵の話を聞くと、日本だと、脅迫罪で逮捕される内容だと思う。
でも、この世界では罪に問うのは難しい。
「俺も、ヴェルデ嬢に絡まれた」
レジスが言うには、ヴェルデの様子を密かに他の生徒に聞いていたそうだが、そこに彼女が現れて一言、
「あらあら、随分と小汚いネズミが学園にいますわね。本当に目障りだわ」
と嫌味を言われたそうだ。
「自分が注目されるのがわかっているみたいだ」
その話を聞くと、僕の悪い癖が出てきた。
新しい<悪役令嬢>に、会ってみたい。
「お前、悪い顔してるぞ」
レジスが、僕の思ったことに気づいたようだ。
「アントワーヌの時と、同じ顔してるぞ」
「そ、そう?」
僕は、その場を取り繕おうとするけど、レジスは騙されてくれない。
「お前さ、本当に変わってるな。あんな女と会うのなら、アントワーヌを優先しなよ」
レジスの言う通りだ。
僕は、ヴェルデへの興味を我慢することにした。
どのみち、彼女から僕に声をかけてくるはずだし。
放課後になった。
今日のアントワーヌは、ジュリアのサロンに参加をしている。
そうなると、ヴェルデが現れてもおかしくはない。
僕は時間を置いて、教室へ戻った。
アントワーヌに迷惑をかけないよう、人気のない時間帯を選んだ。
「フェリックス・ボナール様でいらっしゃいますね?」
やはり、ヴェルデは現れた。
「そうだけど、ヴェルデ・トリアー嬢」
僕は彼女の名前を呼んだ。
僕の前に現れた令嬢は、見た目からして、異世界ものにいそうな女性だった。
美人だが、眼光が鋭くて、妥協を許さない雰囲気を出している。
うん?
あれはなんだ?
僕は、ヴェルデの指先を見る。
彼女のネイルが、すごく気になった。
なんと言うか・・・渋谷の女子高生とかがしてそうなネイルだ。
そもそも、この世界にネイルにラメってあったかな?
あとで、アントワーヌに聞こう。
「何か用かな?」
気を取り直して、僕は彼女に尋ねる。
最初から駆け引きをするつもりはない。
ヴェルデは、いきなり僕に名前を呼ばれて驚いていた。
でも、彼女はすぐに笑い返した。
「もう、私の名前はご存じなのですね?」
「うん。レジスから話は聞いてる」
「ああ、あのネズミのように、私のことを聞き回っていた人ですね?」
「ごめんね。僕はレジスに頼んだんだ」
「あら、私に興味があるのですか?」
ヴェルデが尋ねてくる。
「そうだな、ないと言ったら嘘になる。転校生がどんな子なのか、興味があるのはおかしくないだろ?」
「ええ。ですので、私もこうして、あなたと話すことができて光栄ですわ」
ヴェルデがカーテシーをする。
その姿は洗練されており、地位の高い令嬢など目ではない。
ヴェルデは、淑女としてのマナーをちゃんと学んでいるようだ。
「まあ、はっきりと言うよ。僕に興味があるだろ?」
「はい。わたくしはあなたに興味がございます」
トリアー家の方針は、僕の、つまり、ボナール家との関係を持つことだし、僕に興味があるのは当然だ。
「でも、僕は婚約しているよ。だから、君の希望には応えることはできないと思う」
僕はちゃんと、アントワーヌとの婚約をヴェルデに伝える。
忠告も込めて。
ヴェルダがどう反応するのかな。
「まだ、婚約は仮のものでしょう?」
ヴェルデの話し方が、丁寧なものから崩れる。
「そう聞いてるんだけど?」
ヴェルダは、いつもこんな感じで話すんだろう。
彼女の口調を聞くと、性格が強いのがわかる。
「問題ないと思うけど?」
「そうね。問題はないわ。あなたから、その話が聞けたのだから」
僕は、ヴェルデの話を聞いて不安になる。
この子は何を言っているんだろう。
言っている意味がわからない。
「まだ、あなたとアントワーヌが、仮の婚約なら、私にも婚約のチャンスがあるわね」
つまり、ヴェルデはいつでも婚約を破棄できる自信があるのだ。
それって、アントワーヌに危害を加えるってことを言ってるのか。
でも、この場で言うのはどうなんだろう。
僕は、ヴェルデが何かを隠しているのかもしれないと思った。
「でも、その前にあなたを納得させないといけない」
「無理じゃない」
僕は首を傾げてみせる。
「はっきりと言ってくれるわね。私の父が聞いたら、あなたは殴られているわよ」
ヴェルデが苦笑する。
その様子に、僕はヴェルデはしっかりした意志を持った、強い令嬢だと思った。
その強さに、父であるアンドレス・トリアーが彼女を可愛がるのは当然かもしれない。
だから、娘であるヴィルデを公爵家出身の僕に嫁がせたいのは想像できる。
そして、彼女は傭兵ギルドの血を受け継いでいるのもわかった。
これまでも、そうやって裏の力で排除してきたはずだ。
正直、面倒くさい相手だと思う。
敵に回すのは疲れるかも。
「でも、あなたが地位を盾に話してきたら、私あなたのことを叩いていたわ。でもしなかった。だから、その態度は褒めてあげる」
意外な誉め言葉だった。
やっぱし、彼女は何かを隠している。
「それはありがとう」
僕は右手を胸に当てると、ヴェルデに向けて礼を取る。
「明日からは、宜しくお願いしますわ。フェリックス・ボナール様」
そう言うと、ヴェルデは、笑みを浮かべながら、その場から離れた。
「師匠、います?」
僕は、フェルディアさんを呼んだ。
僕は最近、フェルディアさんのことを「師匠」と呼んでいる。
フェルディアさんは、すぐに僕の前に現れた。
「ねえ、あの子、わざとかな?」
僕は、ヴェルダの態度に疑問を抱いていた。
彼女は、アントワーヌとの婚約を破棄することは可能だと話していたけど、それって、アントワーヌに危害を加えることも、視野に入れているって言ってるようなものだ。
「ええ。おそらくですが・・・あの方は、あなたとの婚約を望んでいませんね」
やっぱ、そう思うよね。
あまりにもわざとらしいし。
「じゃあ、どんなことが考えられるかな?」
「これは私の想像ですが、あの方はトリアー家に対して、罰を与えたいのかもしれません」
「なんで?」
「トリアー家は悪い噂ばかりの家です。そこから、逃げ出したいのかもしれません」
なるほど、と僕は思った。
だから、アントワーヌが襲われるかもしれないと、密かに伝えたかったのかもしれない。
アントワーヌに危害を加えるつもりなら、僕を挑発する必要もないし。
「でもさ、なんでそんなことをするのかな?」
「わかりません。ですが、フェリックス様には、話してくれるかもしれませんよ」
「どうして?」
「女心と言うものです。最初に会った時、彼女はあなたに良い印象を持ったはずですよ」
フェルディアさんは笑う。
ヴェルダはこれまでも、貴族の令嬢とは諍いがあったと思う。
その時に、悔しい思いをしたはずだ。
だから、爵位を持ち出されるのは許せないのだろう。
僕は、そんなことはあまり気にしてないけど。
「フェリックス様、今後はどうなさいますか?」
「兄さんと相談するかな。どのみち、すぐに行動を起こすとは思えないし」
今はアントワーヌを気にするしかない。
ヴェルダよりも、父親の方が動くはずだ。
その時、僕が絶対にアントワーヌを守れればいい。
〇新しい登場人物です
ヴェルデ・トリアー
・・・新興貴族で男爵家の娘。気が強い令嬢。