59. 女神の名を持つ女の話1
初め、この世界には形あるものは何もなく、ただ力の奔流のみがあった。
どこからかやってきた全なる存在が大地と空と海を作り、世界の形を整えた。
世界が停滞しないように数多の命を作り、より良い発展を望んだ。
人間たちの喜びや愛といった感情は正の力となり、世界を整え、修復する力となった。
初めはそれで良かった。順調に、幸福に世界は運営されていた。
しかし、人間の数が増えていくと、彼らは自らの利を求め、相争うようになる。
そして、怒りや悲しみ、そして絶望といった負の感情を覚えてしまった。
負の感情もまた世界に影響を及ぼす力となり、世界を拒絶する力となった。
世界の維持を望む全なる存在は、自らの手足となる存在として天族を創造し。自らの身体を巨大な樹へと変えた。
その樹は聖樹と呼ばれ、世界を拒絶する力――魔力を無色のエネルギーへと変換し、地へと還す力を持っていた。
天族たちは、人間と聖樹を見守り、世界の維持に努めた。
ある時、一人の天族の女――名を、リューという――がエイル島で暮らす一族の男と恋に落ち、子を孕んだ。
本来は血を交えるべきでない種族だ。
他の天族たちは、腹の子の命を地へと還すよう言ったが、リューは聞かなかった。
リューはやがて男の子を産み落としたが、出産に耐えきれずその命を落とした。
ヴァイスと名付けられたその子は、銀に青の色彩を持つ天族とは似ても似つかない、黒髪に紅い瞳をしていた。
また、天族の血を引きながらも完全な天族では無いヴァイスは、魔力を魔力のまま扱う力を持っていた。
この力を持っていることが知られるのは、危険だ。
そう判断したヴァイスは、一人で生きていけると判断され天族の元を追い出されるまで、その力をひた隠しにしていた。
ヴァイスの紅い瞳は、父の一族の人間たちからも不気味に映った。
生きていればヴァイスを庇護したであろう彼の父は病で既に亡く、彼は人間の中においても悪意に晒されることになる。
迫害され、暴力を振るわれる最中、ヴァイスは隠してきたその力を暴発させてしまった。
不気味な力を持つ子を恐れた人々はヴァイスの命を奪おうとする。
暴発することはあっても、魔力の扱い方を知らないヴァイスは抵抗することも出来ず、為すすべなくその短い生涯を終えようとしていた。
しかし、時の権力者――ヴァイスの父の弟が待ったをかける。
彼を、保護することにする、と。
生かしてやる代わりに研究に協力しろ、と命じられ、ヴァイスは拒否する事もできずその身を差し出した。
そして年月は経ち、天族の目を逃れ続け、権力者はある邪法を完成させた。
魔力が人から溢れ落ちぬよう――地へと還らぬよう、世界の摂理を捻じ曲げたのだ。
異変を察知した天族たちは、彼らを止めようとした。
しかし、破壊の力を手にした人間たちに、戦いに慣れず、また相手を傷つける術を持たない天族たちは次々に敗れ、散っていった。
しばらくは人間の天下だったが、それも長くは続かなかった。
地に還ることなく溜まっていく澱みは、やがて人の身では耐えきれない程になる。
耐えきれなくなったものから異形化し、また、そうでない者も身を裂くような苦痛に襲われることとなった。
慌てて力の流れを元に戻そうとした一族だったが、一度捻じ曲げられた流れをまた更に大きく変えることは、彼らには難しかった。
出来ることは、僅かな修正のみ。
苦肉の策として、彼らでは耐えきれない程の魔力は別に器に流れるように、新たに摂理を加えた。
その器として選ばれたのが、天族の血を引き、他の人間とは桁外れに魔力に耐えられるヴァイスだった。
そうして、ヴァイスを贄として一族は救われた。
新たな摂理で繋がれた彼らは、誰も想定していなかった副作用として、ヴァイスを自らの主として扱うようになっていた。
望まぬして人々の上に立つことになったヴァイスは、様々なことに疲れ切っており、ただ穏やかに暮らすことだけを望んでいた。
しかし、いくら大きな器を持っているといえども、それは無限では無い。
流れ込む膨大な魔力の作用か、老いることも死ぬことも出来なくなっていたヴァイスは、やがて長い年月の果てに狂気に飲まれた。
摂理で繋がれていたヴァイスの父の一族たちの子孫もまた共鳴して暴走し、その奔流は彼らの居た島――エイル島を出て、大陸全土を飲み込もうとしていた。
聖樹が危機を察知したのか、世界に新たな対抗策が生み出された。
それが、聖女。
聖女はヴァイスを膨大な聖力で鎮め、その魂を浄化させるべく封印した。
魔力の受け口として――世界の一部に組み込まれたヴァイスの魂は、滅びることはない。
浄化が終わればまた新たな肉体を得て目覚め、やがて耐えきれず狂気に飲まれ、そうしてまた現れる聖女に封印される。
それが、魔族と魔王、そして聖女の始まり。




