6. 拾得物の価値
ノアはいつになく愉快な気持ちで執務をこなしていた。
面倒ごとに巻き込まれるかと思ったが、思いのほか面白いことになりそうだ。
「ノア様、入りますよー」
「来るなっていっても来るくせに」
顔も上げずに返事をする。
ノックもせずに主の部屋に入り込んできた男は、珍しく機嫌の良さそうなノアを見て心底気味悪そうな顔をした。
「どしたんですか。変なもんでも食いましたか。そういえばさっき教会の巫女拾ってきてましたね。拾い食いはダメですよ」
「食ってないから一回黙ってくれる?」
世間一般では魔族は人を食らうために襲うと思われているが、全くのデタラメだ。
魔族が滅多に人前に姿を現さないので、魔物と混同されていたのだろう。
そんなことは男も分かっているはずだ。魔導塔の主であるノアからして魔王なのだ。
塔に常駐している者は、ほとんどが正体を隠した魔族だった。そして男も例外ではない。
「冗談じゃないですかあ、もう。そうそう、報告に来たんですよ。今来てる聖女サマご一行、北の村を通るルートでルミナリアに帰ろうとしてたんで、村に繋がる橋を落としときました。良いですよね?」
「良いもなにも事後報告じゃないか、カイ。村の人間が困るようなことがないようにしてくれ」
「勿論。仰せの通りに」
高位の魔族はほぼ人間と同じ姿をしているが、そうでないものの方が多い。
人間に紛れて暮らすことの出来ない者たちは、見つからぬよう辺境の地に隠れ住んでいた。
北の村はそのうちの一つだ。魔族たちは、人間と争わず平和に暮らすことを望んでいた。
「で、いつ返すんですか?拾い物ちゃん。教会の人間が塔にいるの虫唾が走るんで、はやく返却して欲しいんですけど」
「いや、返さないよ。婚約したからね」
「……」
無言。
ノアがチラリとカイの方を見やると、間抜けに口を開いたまま固まっていた。
「口から産まれてきた」なんて揶揄されているカイが黙るなんて、珍しいものを見た。
ノアはますます愉快な気持ちになった。
「……正気ですか?」
カイはようやく問うた。
「勿論正気だよ。僕の婚約者をよろしくね」
「なんでまた。一目惚れですか? いや、確かにめちゃくちゃ綺麗な顔してましたけどね。魔王様ともあろう方が顔だけで婚約しないでくださいよ」
ノアは真顔で答えた。
「あの子、聖女だよ」
「……は?」
「いやぁ、今の聖女サマが偽物なのは気づいてたけど、まさか本物を側に置いてるなんてね。悪趣味すぎて流石の僕でもちょっと引いたよ」
彼女が聖女なのは一目見た瞬間に気づいた。
何か利用価値はあるかと拾って持って帰ったものは良いものの、目覚めた彼女を見て失望した。
完全に希望を奪われた目。聖力の源は喜びや希望といった正の感情だ。
あれでは聖女としての力を発揮するのは無理だろう。
しかし、興味を失い立ち去ろうとするノアを必死で呼び止める様を見て気が変わった。
(あれだけ痛めつけられて、まだ生きる気力があるなんてね)
生への執着があれば、やがて聖女としての力にも目覚めるだろう。
「ま、とりあえず呪いを破壊するところからかな」
彼女の手の甲にある紋章を破壊すれば、魔法も使えるようになるだろう。
魔力持ちの聖女は珍しかったが、今までの歴史上全くいなかった訳ではなかった。
聖力が正の感情から生まれる力なら、魔力は負の感情から生まれる力だった。
負の感情を魔力に変換できるのが魔族だが、時々人間にも魔力持ちが生まれることがある。
多くは魔族を先祖に持つ先祖返りだったが、魂が柔軟な幼少期に、負の感情に晒され続けると魔力を生み出せるようになることがあるらしい。
なんとなく、あの聖女は後者だろうな、とノアは予想していた。
なんにせよ強力な聖女となれば、恐らくノアの望みも叶えてくれるだろう。
カイがぎゃあぎゃあ騒いでいるのを聞き流しながら、ノアはこれからやらなければならないことを考えていた。
手間がかかる、とは思ったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。