57. 流れ着いた先は
……さざ波の音が聞こえる。
シャーロットはぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと瞼を上げた。
目に飛び込んできたのは、壁を覆い尽くす、微かな青の輝き。
そこは、地下の入江のようだった
岩ではなく、水晶のようなもので壁が出来ていて、波が寄せては返すのに合わせて、輝きが乱反射し、一面が美しく煌めく。
――幻想的な光景だった。
人間の領域ではないところに足を踏み入れてしまったような、そんな微かな焦燥感すら感じさせる。
しばらくぼうっと見惚れていたが、みじろぎしようとして、腕の拘束具がその存在を主張してきたことで、完全に意識が覚醒した。
そして、状況が理解出来ずにシャーロットは困惑する。
(えっと……。ここはどこで、なんで私はここに居るんだろう……)
記憶の最後にあるのはこんな幻想的な風景ではない。
もっと薄暗くじめっとした、地下水路にいた筈だ。
ランドルフに捕まって、牢から連れ出され、ルミナリアの神聖騎士に引き渡されそうになり、ノアとカイが助けに来てくれたのは覚えている。
二人とランドルフの交戦中に、神聖騎士たちが自分を捕らえようとしたことも。
でも、その後の記憶がまるで無い。
「……もしかして、失神して水路に落ちて、ここまで流されてきたのかしら……」
もしそうだとしたらちょっと情けなさすぎる気がする。
ヒロイン的にも聖女的にも、恐怖で気を失って水路に落ちるって、さすがに格好がつかない。
いや、どうやら逃げることには成功したようだから結果的には良かったのだろうか……?
「いえ、私が、貴女の体を少し借りたのです。ここに来てもらう必要がありましたから」
ぐるぐると巡るシャーロットの思考を中断させる、落ち着いた女性の声。
シャーロットはなんとか上体を起こし、声のした方を向いた。
まず目に入ったのは、声の主ではなく、見たこともないほど巨大な樹のようなものだった。
その幹は大人が数人でようやく抱えられるほどの太さで、天井に届こうかという高さまで枝が伸びているが、葉らしき物は見当たらない。
表面は仄かに青く輝いており、それは壁の水晶と同質の煌めきだった。
綺麗だが、どこか物悲しい――シャーロットはそう思った。
巨大な樹に見慣れれば、声の主はそう離れてはいないところに立っていた。
それは、不思議な雰囲気の、美しい女性だった。
背の丈はシャーロットより少し高い程度。銀の髪はゆるく波打ち、その足元まで伸びている。
人形めいた顔立ちからは年齢がまるで感じ取れず、シャーロットとそう年齢は離れていないように見えるが、その深い青の瞳は老成した落ち着いた光を放っていた。
人間ではないだろう、とシャーロットは思った。
こんな浮世離れしたところに一人でいるというのもそうだが、その背には光を物質化させたような不思議な質感の、四枚の翼があったからだ。
人間では有り得ない異形。でも、魔族というのも違う気がする。
「あなたは――」
誰、と問いかけようとして、喉がきゅっと閉まるような感覚に声が出なくなる。
わけも分からず目頭が熱くなり、ああ、自分は泣いているのだ、とシャーロットはようやく気づいた。
ぽたぽたと、理由も無いのにとめどなく涙が溢れ出てきて、止めることが出来ない。
一体、何故自分はこんなに泣いているのだろう。
体の変化に感情が追いつかない。
ただ、何か不思議な感情で胸が一杯になっていることだけはわかる。
「シャル……?」
ふわっと後ろから抱きすくめられ、そのよく知った声と香りに安心する。
「シャル、どうして泣いているの……?」
「わからない、わからないんです」
ノアも、どうやらここに流されていたらしい。
……おそらく、自分を追って来てくれたのだ。
その温かい体温で、シャーロットは少し気持ちが落ち着くのを感じた。
「泣かないで、シャル……。僕が……君を……」
そこで、不自然にノアの声は途切れた。
そしてゆっくりとノアの身体が地面へと崩折れる。
「ノア!?」
呼びかけても返事はなく、完全に意識を失ってしまったようだった。
……呼吸は荒く、その身体は熱い。
表情は苦痛に歪んでいて、見ている方も辛くなるような有様だった。
ノアの身体は、もう限界なのだ。
今、一瞬でも意識を取り戻したのが奇跡だった。
「――哀れな贄の子。彼を楽にするのが、貴女の役目。そのためにここへ来てもらったのです」
翼の女性は静かに告げた。




