54. 堕ちて、堕ちて
震える手を押さえつけ、簡易的な魔法陣を描く。
完成したところでカイに目で促せば、カイは無言で頷き、ためらうこと無く爪で己の手首を裂いた。
吹き出た血が魔法陣に流れ落ち、淡く輝く。
――うっすらとだが、感じる。
暴走寸前の魔力に体が慣れてきたのか、もう少し負荷の高い魔法を使っても大丈夫そうだ。
ノアはカイの手を借りて立ち上がると、そのまま支えられるように飛んだ。
さすがに安定せず速度も出せないが、歩いていくよりはずっと早い。
ノアから零れ落ちた魔力はそのままカイに吸収される。
多少の苦痛はある筈だが、カイはそれを感じさせない飄々とした態度を貫いていた。
「こんなに魔力が濃くなかったら、臭いで辿れるんですけどねえ。お辛そうなノア様を連れて行くのは心が痛みます」
「……うるさい、こんな時くらい、黙ってろ」
「これは失礼しました」
心にもなさそうなカイの言葉に、ノアは苛立ちを隠さず吐き捨てた。
気配のする方へ飛んでいくと、そこはアルストルの騎士団本部。
(この、真下……地下か?)
確か地下には訓練場があった筈だが、どうやらそのさらに下にメロディはいるようだ。
おそらく秘密の通路か何かあるのだろうが、探している時間は無い。
「カイ、あの下だ……。頼む」
「はいはい。全く人使いが荒いんだから」
ノアが示した位置からやや離れたところに、カイは魔力を放つ。
放たれた魔力は一箇所で収束し、やがて大きな漆黒の球となった。
そのままゆっくり下へと落ち、まるで水の中に入るかのように地面へと沈む。
球が通った場所は空洞となっていた。
ノアはカイに支えらながら、その後をゆっくり浮いて着いていく。
「……ノア様、無理に我慢しなくてもいいんじゃないですか?」
ぽつり、カイが零した。
「別に、覚醒してもいいじゃないですか。魔族のみんなで、めちゃくちゃに暴れるの、きっとそれはそれで楽しいですよ。人間なんて全部殺しちゃいましょうよ。ね、ノア様」
それは、カイだけでなく多くの魔族たちの本音だった。
確かに、平和に暮らせればそれが一番だ。今の状態を作り出すのに、ノアがどれだけ苦労したかも知っている。
でも、それでも、敬愛するノアが苦しむのならば、別にすべて壊れてしまっても構わない。
そもそも人間なんて嫌いなのだ。
人間たちと思う「魔族」となって、思う存分殺戮して破壊して、そしてみんなで破滅するのも悪くない――。
「僕も……前までは、それも悪くないかなって、思ってた、けど」
でも、今は、なるべくその未来は避けたいと思うようになった。
「きっと、そうなったら、シャルが……悲しむから」
彼女の悲しむ顔を想像すると、どうしようもなく苦しくなるのだ。
最初はただ利用するだけのつもりだったのに、いつのまにか、シャーロットが心の中心から離れなくなってしまった。
なるべく側に居たいし、ずっと笑っていて欲しい。
きっとこれが、人間の言う愛なのだろう。
「全く、ノア様の趣味はわかりませんよ。どうせ、最後にはお互い苦しいだけじゃないですか」
「……わかってる。それでも、今は……」
はあ、とカイがわざとらしく呆れたようにため息をついた。
その時、図ったかのように視界が開ける。
目的地についたのだ。
――もうすぐ、きっと、シャーロットの元へ辿り着く。
ノアは呼吸を整えながら、地面へと降り立った。




