45. その頃の魔王様
魔族は数が少なく、殆ど人々の前に姿を表さないので、民衆の多くは魔族を迷信でしか知らない。
その迷信には間違っている内容もあれば、そこまで真実から離れていない内容もある。
一般的に、魔族は邪悪な存在で、人とはどこか違う異様な姿をしており、遊び半分に人を襲い、そして食らうとされる。
食らう、というのは完全に誤りだが、他の内容については完全に誤っているとは言い切れない。
魔族が人間を襲うこともある。
多くは恐怖や怒りといった負の感情を呼び起こし、それを自身の魔力の糧するのが目的だった。
殆どの魔族は穏やかに暮らすことを望んでいたが、襲われた人々の経験から、民衆の思う魔族像が出来上がっていったのだろう。
魔族たちは人々に恐れられ、力の弱い魔族は次々に人に狩られていった。
そうした状況を改善したのが現在の魔王のノアである。
彼は力の弱い魔族たちが集まって暮らせる地を用意し、彼らを庇護した。
その中の一つがウィンザーホワイトの首都ノインの北にある小さな村だ。
名前は無く、ただ「北の村」とだけ呼ばれることの多いそこからほど近い森の中。
そこでノアは、巨大な竜と対峙していた。
ノアが何かを唱えると、地面が鋭利に盛り上がり槍となって竜を貫く。
通常の生き物なら一瞬で息絶えるだろうが、竜はまるで意に介した様子もなく、口から炎を吐いてノアに浴びせた。
瞬間、無意識に防御膜を張りノアは苦笑する。
(まさか……シャルに魔法をぶつけられ続けた経験が活きる日が来るなんてね)
突然、大きな魔力の発生を感知し様子を見に来たのが数日前。
忽然と現れた竜がずるずると歩みを進めていたのだ。北の村のある方角に向かって。
そう、ずるずると――竜の躰はその殆どが腐っていた。
とうに命潰えた筈の竜骸が、なんらかの邪法で仮初の命を与えられ、魔力を持った命が多く集まっている地点へと本能的に向かっているのだろう。
死したとはいえ膨大な力を持っている竜が、村までたどり着いてしまえば目も当てられない。
戦力になりそうな力のある魔族は皆村の結界の作成に力を注いでいる。
なし崩し的に、ノアはこの竜を止めるために一人で戦っているのだった。
人間や魔族が相手であれば全身を拘束されていたとしても数秒で捻り潰せる自信はあるが、流石に竜が相手ともなれば骨が折れる。
おかげでこの数日ろくに休めていない。
せめて魔族のいない地に発生してくれれば良かったのに、とノアは思う。
人間たちの住む街がどうなろうと知ったことではないが、魔族達が殺されるのは見過ごせない。
考える間にも大地の槍を複数生やし、腐竜を貫いていく。
大分力を失っていた竜は不格好に空中に縫い留められ、そうして動きを止めた。
同時に、ぱちぱちぱちと気の抜けた拍手の音が辺りに響く。
「流石ノア様、お見事! いやあ、結界張り終わったから急いで来たんですけどねぇ、俺の出る幕なんてありませんでしたね。うわ、てかクサッ。こんなぐちゃぐちゃの死体にするなんて、ちょっとやり過ぎなんじゃないですか? 十年物の死体みたいな腐り方してますよ。シャルちゃんに会えなくなった鬱憤ばらしです? ノア様あの子のこと信じられないくらい気に入ってますよねえ。使い魔つけるのは流石に過保護すぎると思いますけどね」
ノアは間髪入れず大地の槍を声のした場所に発生させた。
それを事もなげに避けた声の主――カイは、わざとらしく口を尖らせる。
「うわわ、何するんですか、死んじゃったらどうするんですか!」
「……鉄の鎖を巻き付けて海に沈めるね。処理が甘いとしれっと戻ってきそうだし」
「殺意が強すぎません?」
これくらいカイなら問題なく対処できるし、実際当たったところで死なないだろう。
二人の間では、殺傷性は高いが、ただ苛ついてはたいた程度のことでしかなかった。
「もともと腐ってたんだ。これは邪竜の骸だよ」
「邪竜って、シャルちゃんが話に上げてたあの? ちょっとタイミング良すぎるんじゃないですか、十年以上も前に倒された邪竜の骸が、今突然出現するなんて」
「……シャルを疑ってるの?」
ノアはやや剣呑に尋ねたが、カイは貼り付けた様な笑みを崩さず何も答えない。
暫く沈黙が流れたが、やがてカイはひとつ溜息をついた後、取り繕う様に話し出した。
「――いやいやわかってますよ! 無関係でしょうね、シャルちゃんは。根本的には善人だし、あの子にはそんなことするメリットがないし、なにより陰謀を張り巡らせられる程頭が良さそうには見えないし」
本人が聞いたらぷんぷん怒りそうな悪口だった。
初めはぼんやりしていたシャーロットだったが、日に日に表に出す感情がかなり豊かになってきている。
そういった様を見ているのは飽きない。
(……シャルの顔が見たいなぁ)
村を立つ前、なんとなく暫く会えなくなりそうな気がしたので手紙を出しておいた。
明日は約束の『赤月祭』だ。間に合って良かった。
魔力が強まる満月の、それも赤月の日に彼女の側に居なければ魔力暴走を起こす危険が高まる。
聖女は存在するだけで周りを清める力があった。
(それに――シャルと二人で出かけるのは、楽しそうだ)
世間知らずの彼女が、些細な出来事に目を輝かせているのは可愛らしい。
かと思えば偏った魔法の知識を持っていたり、行動が読めないシャーロットはノアにとって愉快な存在だった。
機嫌を良くしたノアは、鼻歌を歌いながら万が一にも腐竜が動き出さないように念入りに氷漬けにした。
己の主が何を考えているのかなんとなく察しているカイは、その様を眺めながら、呆れた様にただ肩を竦めたのだった。




