2. 私の目覚め
シャーロットは見知らぬ部屋のベッドの上で目を覚ました。
大神殿では固い床に布を敷いて寝ていた。ベッドを使用するなんて何年ぶりだろう。
部屋は決して広くは無く質素ながらも、清潔で必要最低限のものが揃えられている。
小さな窓からは柔らかい日差しが入ってきていた。
意識を失う直前は夕暮れだったので、随分長いこと気を失っていたようだ。
そもそも、自分は焼却炉に捨てられていた筈ではないのか。
ふわふわした頭でシャーロットが思考を巡らせていると、タイミング良く部屋に入ってきた青年と目が合った。
ふっと、微笑みかけられる。相手は笑顔を向けているはずなのに、シャーロットは何故か寒気がした。
青年が口を開く。
「おはよう。応急処置はしたけど、後で癒し手を呼ぶからちゃんと診てもらうといい。……僕はノア。まあ、傷が癒えるまではゆっくりしていくと良いよ」
艶やかな黒髪に血を思わせる赤い瞳。彫刻の様に整った造形をしているが、どこか冷たい印象を受ける青年だ。獰猛な獣と対峙しているかのような緊張感を覚える。
そこまで観察したところで、シャーロットは彼の正体に気づき戦慄した。
こんなに印象に残る男を忘れるはずがない。間違いなく初対面だ。しかし、思い出してしまったのだ。
(ノアって……。確か攻略対象の)
そう、前世でプレイしていた乙女ゲーム「ルミナリアの天秤」の攻略対象の一人だった。
確か、彼のルートは他の攻略対象のルートを全てクリアしないと入ることができなかった筈だ。
「ルミナリアの天秤」。
ファンタジー世界を舞台とした乙女ゲームで、魔法大国のウィンザーホワイトで魔導士として修行していた主人公が、ある時、たまたまウィンザーホワイトを訪れた司祭に聖女としての資質を見出され、ルミネ教会にやってくるところから始まる。
それまで魔導の世界で育ってきた主人公は、大神殿での生活になかなか慣れることができず、また、魔力持ちとして迫害を受けることになる。
そんな中、さまざまな攻略対象たちの助けを借りながら聖女としての力を覚醒させていくが、
ある時、魔族たちがルミナリア神聖国に侵攻を始め、光と闇の戦いが始まる。
ヒロインは人々を守るため、魔王を封印するために旅立つという物語だ。
ノアは主人公の魔法の師匠で、大陸中で知らない人はいないほどの大魔導士だった。
そして、最終章でその正体が明らかになる。
魔族たちの首魁、魔王その人なのだ。
(主人公が泣きながらノアを封印するシーンは、涙無しには見れない名場面だった。まあ、主人公って私なんだけど……)
そのノアが目の前にいる。
(色々なことが一度に起こりすぎて、正直頭が追いつかないわ……)
死にかけた上に、突然知る筈のない記憶が蘇ってきたのだ。整理し切れないのも当然だった。
そもそもここはどこなのか。何故ノアは自分を拾ったのか。とりあえず現状を知ることから始める必要がある。
シャーロットは頭痛を堪えながらノアに問いかけた。
「助けてくれて、ありがとうございます……。あの、ここって……?」
「魔導塔だよ」
ノアはベッドの脇の椅子に腰を下ろしながら答える。随分簡潔な返答だった。
というか、よく考えれば当たり前だった。ノアは魔導塔の主なのだから。
魔導塔といえば、魔法大国ウィンザーホワイトに存在する、魔法研究の中心地だった。新しい魔法の開発や、古代の失われた文明の研究を行っている。また、教育機関としての側面も持ち合わせており、各地から魔法の素質のある人間が集まってきて研究者たちに教えを乞い、一人前と認められればまたそれぞれ魔導士としての道を歩むのだ。加えて世界各地に存在する魔法協会を取りまとめる役割も持っているという。
ルミネ教会は国家の権力の及ばない聖域だが、魔法協会もまた同じく、俗世とは離れた独自のルールで成り立つ組織だった。
魔力持ちを忌み嫌うルミネ教会――引いてはルミナリアからは敵視されており、ほぼ大神殿から出たことのなかったシャーロットにとっては、全く縁がない組織だった。
「なんであんなところに捨てられていたのかは知らないし興味もないけど、君はルミネ教の巫女だろう?」
シャーロットの着ている巫女服を見ながら言う。
本当に心の底から興味なさそうな顔だった。
「あそこの焼却炉使ってるの、ほぼ魔法協会の人間だけなんだよね。そんなところでルミネ教の巫女が死んだら、本当に面倒臭いことになる」
ただでさえ仲が良くないのだ。例えシャーロットが教会から厄介者扱いされていたとしても、魔導塔に関係のある場所で死ねば、つけ入る口実を与えることになる。全面戦争の可能性すらあった。
「だから、謝礼とかいらないから。良くなったら出てってね。今来てる聖女サマのお付きかな? ま、帰れるよう連絡はしとくから」
そういってノアは立ち上がった。この部屋から出ていくのだろう。
そして恐らくもう二度と戻ってくることはない。
また、戻るのか、あの場所へ。ラヴィニアの元へ。……どうせ死のうとしてたのだ。それも仕方ない。
とは、思えなかった。
だって、思い出してしまったのだ。自分はただの奴隷ではなかった。ヒロインなのだ。
本当ならもっと別の人生があった。何故こんなことになっているかはわからないが、今までと同じようにただの奴隷として使い潰されるのは嫌だった。
ここから抜け出したい。もっと生きてみたい。
「ま、待ってください!」
咄嗟に大声が出ていた。満身創痍の身体には無理があったようで、全身が痛む。
苦痛に顔が歪んだ。
「……なに?」
ノアがこちらを振り返る。こちらに一欠片の興味がないのが伝わる冷たい眼差しだった。
シャーロットは思わず身が竦むのを感じた。……それでも、何か言わなければ。あそこから抜け出せる糸口となるようなことを。
ノアの興味を引けるような、何かを。
シャーロットは何も思いつかないままに口を開いた。
「……私と婚約してくれませんか?」