18. 泉のほとりにて
シャーロットが入り浸っている工房からしばらく歩くと小さな森が広がっており、その中に小さな泉がある。
たまに見習い魔導師たちが息抜きをしに訪れるくらいで、基本的に人気はない。
泉の近くで過ごすのは気持ちがいい。シャーロットはこの場所をかなり気に入っていた。
しかし、泉を頻繁に訪れる理由はそれだけではなかった。
(またちょっと増えてる……)
何故か泉の底に銅貨が大量に落ちているのである。
しかも増える。誰がなんのために銅貨を落としていくのかはわからない。
シャーロットは、もし魔導塔から逃げ出すような状況になれば、ここの銅貨を全部集めて逃走資金にしようと考えていた。
(先立つものは必要だものね)
合計でいくらくらいあるのかを数えるのがシャーロットの最近の趣味だった。
聖女にあるまじき浅ましさだが、本人にとっては死活問題。
この日もせっせと増えた分の銅貨を数えていた。
これだけあれば、海を渡ってとりあえずルミナリアには入国できそうだ。
勿論ルミナリアに留まるつもりはないので、逃走資金としては心許ない。
しかし幸いルミナリアには土地勘があるので、入国してしまえば上手く人目につかず別の国に逃げることは可能だろう。
シャーロットはかなり機嫌が良かった。
「あれ、シャルちゃん。こんなところで何してるんですか? そんなに熱心に泉を覗き込んで。ここに魚はいませんよ」
後ろから声をかけられ、慌てて振り返る。
カイだった。おまけにノアまでいる。何故かノアは大分げっそりした顔をしていた。
自分がかなりみっともないことをしている自覚があるシャーロットは必死に平静を装った。
「いえ、別になにも……。ゆっくりしていただけです。カイさん達こそどうしたんですか」
「俺はこの泉に投げ込まれてる銅貨を回収しに来たんです。水が汚れちゃいますからね。なかなか師匠に合格を貰えない見習い魔導師達が投げ込むんですよ。願掛けのつもりなのかもしれませんが。そんなことしてる暇あれば修行すればいいんですけどねえ」
思いがけず銅貨が大量に水底に沈んでいる理由が判明した。
思ったより切実な願望だ。
「で、ノア様はエスメ姫から逃げ回ってます。あまり一箇所に留まると捕まっちゃいますからね」
「ああ……。それは、お疲れ様です……」
エスメはノアを追い回しては様々なことを喚き立てていた。
あんな女やめろ、騙されている、自分と結婚しろ、こんなに好きなのに、等。
あまり無碍にも出来ないノアがかなり疲弊しているのは傍から見ていてもやや哀れだった。
「ま、とりあえず俺は仕事を済ましちゃいますかね」
そうカイが言うと、水音を立てて泉の中から大量の銅貨が浮かび上がった。
(私の逃走資金が……)
シャーロットはかなり未練がましい目で見ていた。
それに気づいたのだろうか、カイは悪戯っぽい笑みでシャーロットに言った。
「要ります?」
「いえ、大丈夫です」
要る、というのは負けた気がしたので咄嗟に見栄を張ってしまった。
「じゃ、魔導塔の資金にしますね」
そう言うと銅貨の群れが音も立てずに消え去った。
というかわざわざ持ち上げる必要はあったのか。全部気づいていて見せつけただけではないのか。
それまで二人のやり取りを見ていたノアが突然口を開いた。
「カイのことは名前で呼ぶんだね」
何故かちょっと機嫌が悪そうである。
言われてみれば、ノアのことを名前で呼んだことはない。
理由は特にないが、強いて言えばなんとなく気恥ずかしかったからかもしれない。
と、そこまで考えてシャーロットは気づいた。
「私のことも名前で呼ばないですよね?」
シャーロットとも愛称であるシャルとも呼ばれたことはない気がする。
ノアは微笑んだ。
「気のせいじゃない?シャル」
誤魔化された。改めて聞くとやっぱり初めて呼ばれた気しかしない。
まあ食い下がるようなことでもないか。
「じゃあまあそれでいいですけど……。なんて呼べば良いんですか。ノア様?」
「様は要らない。婚約者でしょ」
「ノ、ノア……」
何故かちょっとやっぱり気恥ずかしい。
シャーロットは自分の顔が少し赤らむのを感じた。
「そうそう、良い子だね」
ノアが機嫌よく返す。
カイは二人のやり取りをかなり微妙な顔で見ていた。
やばい、砂糖吐きそう。誰かこの空気どうにかしてくんないかな。
そんなことを考えていたときである。
「これ見よがしに甘酸っぱい空気出して! なんなの!」
猪のような勢いで赤髪の姫が突進してきた。
幸い空気は変わりそうだが、もっと面倒なことになりそうだ。
カイはげんなりした。




