最終話 新たな波乱を感じても
卒業パーティーの翌朝、寮は帰省する生徒達と退寮する生徒達で賑わっていた。
リチャード卿は一度家に戻った後、再び皇都に戻って皇城の近衛騎士の寮で生活するらしい。
近衛騎士は公侯爵家の『跡継ぎ』以外の子息、あるいは公侯爵が後押しする人間にしかなれない高位貴族の集団――だからとても緊張すると言っていたけど、リチャード卿なら絶対上手くやれると思う。
テュッテは魔導学院の魔法学科の教員助手の仕事に誘われて喜んでいた。教員助手を2年間勤めれば教員試験を受ける資格が与えられる。
早ければテュッテは2年後には先生かぁ。魔法学の教師になりたいと言っていたテュッテの夢がもうじき叶うかも知れない事に胸が熱くなる。
そしてネイは紙人形の裁断機と魔晶石の自動研磨機でこれからガッツリと仕事をとって稼ぐのかと思いきや――
「特許に切り替えて入ってくるお金で改良免許取る事にしたの。作業やってるとどうしても勉強や研究する時間が無くなっちゃうからね。私は自分の時間をしっかり確保した上でガッツリ稼ぐ方法を見つけ出してみせるわ!」
と新たな方向性を教えてくれた上でカヴォス卿の待つ馬車へと歩いていった。これから両方の親に挨拶にいくらしい。
「それじゃあマリー嬢! お幸せに!」
他の寮生のクラスメイト達とも自分の進路を話し終えた後、その姿を見送る。
ネイもテュッテもリチャード卿も皆最後に笑顔で『お幸せに!』って言ってくれたから、私も笑顔で『ありがとう!』と返した。だけど――
(離れ離れ、か……)
皆がこれから自分の道を歩いていくのは分かってる。私の家の住所だって伝えたし、これから手紙だって届くだろう。私だって手紙を書く。
だけど――もう今までのように顔を合わすことがないのだと思うと、無性に寂しくなる。
これまでの私の幸せを作ってくれた人達ともう一緒にいられない。
前向きな別れでも、寂しくない訳ではないのだ。中等部の卒業式の時に同級生達が泣いていた時の気持ちが3年遅れで私にも理解できた。
涙を零さずにすんだのは皆が笑顔でいてくれたからだ。
そうやって寮の外でクラスメイト達を見送っていくうちに寮が段々と静寂を取り戻していく。
少し温かい風に吹かれながら晴れた空にくっきり浮かぶ白い雲を見上げていると、こっちに向かってくる様子の飛竜が見えた。
<街の外の魔物がまた活性化してきてるから、飛竜で迎えに行かせます。大きな荷物は予め輸送飛竜か護衛付き馬車で送っておきなさいね>
ダンスパーティーの数日前に送られてきたお母様の手紙にそう書かれていたので、ある程度の荷物は先に送っておいた。今手元にあるのはパーティーで着たドレスを含めた最低限の物を詰めた鞄だけだ。
駐車場の方に飛んでいくあの飛竜がお迎えかな――そう思って駐車場の方へを歩いていくと、その飛竜に予想だにしない人物が乗っている事に気づく。
「お父様……!? どうして……お仕事は!?」
お父様はアルマディン領を守る桃騎士団の中隊長を任されている。こんな往復2日もかかる娘の送迎に来れる時間はまず無いはずだ。
私の叫びが聞こえていたのか、駐車場に飛竜を止めるなり体格の大きい少しいかつめな顔をしているお父様は頭を掻きながら飛竜を降りる。
「いやー……万一マリーが男を落とせてなかったら一発その男殴って来いとローズがうるさくてなぁ……! 無理を言って数日暇をもらったんだ。で? どうだったんだ? ワシの拳は必要なのか? できれば伯爵家あたりまでにしてほしいんだが……」
苦笑いしながら腕に力を込めて力こぶを作って見せるお父様とローズお母様の勢いに引く。
「だ、大丈夫……必要ない」
「そうか! マリーは可愛いからなぁ! マリーに落とせん男はそうそうおらん! いたとしても余程性格捻れたロクでもない男よ!」
お父様はニッカリ笑う。お父様は脳みそがお酒と筋肉でできてる疑惑があるけれど素直に優しいから安心できる。
「それとローズは地位ばかり気にかけているが、ワシは男は地位より体と気性と甲斐性だと思っとるぞ! 真面目で逞しい男なら多少酒飲みでも何とかなる! で、誰なんだ? 殴らなくて済むならちゃんと挨拶しなくてはな。上手くいったのなら見送りに来ているんだろう? もう出発してしまっているなら仕方ないが……」
首のネクタイの位置を正しながら、お父様が辺りを見回す。
ああ、駄目なら鉄拳制裁、成就したなら挨拶を兼ねる為に普段より服をきっちり着こなしてるのか――
「え、あ……見送りの約束なんてしてない……」
レオナルド様とは昨日話せるだけ話して満足してしまって今日の見送りの事は何も考えていなかった。手紙出し合えばいいかと思ってたから。
「何……!? このタイミングで見送りに来ないような男でいいのか……!?」
そう言われてもレオナルド様、人から言われない限りこういうの疎そうだし……
(あれ、でも、そう言えば魔晶石の粉袋受け取った時レオナルド様、今日について言及していたな。何話そうとしてたんだろう――?)
「マリー!」
私が呼び捨てにした男性の声にお父様が怒りの形相を向けるが、その人が走って近づいてくるにつれて驚愕の表情に変わって、硬直する。
「ああ、良かった、間に合って……! これを、マリーのご両親に渡して下さい!」
そう言って手渡されたのは、リビアングラス家の紋章が刻印された黄色の封蝋がされた、少し厚みを感じる封書。
「はい、お父様」
そのまま硬直しているお父様の手に乗せると、レオナルド様も完全に硬直した。
「ま、マリー、もしかしてこのお方が……」
手紙を乗せたお父様の手が震えている。
「……失礼しました。私、レオナルド・フォン・フィア・リビアングラスと申します。この一年、マリー嬢にはとても良くしていただきまして……」
先に硬直が解けたレオナルド様向き合って頭を下げると、お父様も慌てて頭を下げた。
「い、いえいえ、こちらこそウチの娘が大変お世話になったようで……ウチの娘は可愛いんですが、妻に似て思い込んだら突っ走る傾向がありまして……ご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いえ、むしろ迷惑をかけたのは私の方で……」
ぎこちない礼の応酬が続く。お父様の言葉にちょっと思う所がありつつこういう時どう声を挟めばいいのか分からず成り行きを見守っていると、
「そ、それじゃマリー、時間があまりないからそろそろ……今のうちに話したい事があれば手短に、くれぐれも失礼のないようにな!」
ぎこちない動きながらもいそいそとお父様は飛竜に乗る。意外とお父様も地位に弱いようだ。
話しておきたい事――先程の疑問を思い出す。
「……あの、レオナルド様……私に木箱渡してくれた時に卒業式の翌日がどうって言ってませんでしたか?あれって……」
「ああ……あの時は、せめて最後に一目、貴方を見送れたらと思いまして……ダンスパーティーで貴方と踊れたら一生の記念になると思っていたのは私自身なんです。ダンスを共に踊れないなら、せめて見送り位はと……」
少し頬を赤らめて消え入りそうな声で呟くレオナルド様が、愛しい。
「……マリー、手紙にも書いたのですがまだ父を説得できていません。実際にお伺いできるのは少し後になると思いますが、必ず父を説得してソルフェリノ家に挨拶に伺いますので……今しばしアルマディン領で待っていてもらえますか?」
「わ、私……反対されてるんですか……?」
他地方の子爵家だし、ピンク髪の偏見もあるかもしれないし、反対される理由は山ほど思い当たる。
「いえ……マリーについて反対されているのではなく、3年後に召喚されるル・ガイアの異世界人は既婚者や恋人がいる人間の子を成すのに抵抗がある方が多いらしく……『相手に不安や負担を与えないよう異世界人との子を成すまで恋愛も婚姻も慎め』というのが父の考えのようで……」
ああ、そういう考えは確かに理解できる――と納得した所でレオナルド様の言葉が重ねられる。
「ですが私は既にマリーを愛している。マリーの存在を隠して子を成すのはマリーにも相手にも誠実ではない。こればかりは父の意向には従えません。なので話し合いを重ねたいと思います。何回でも、何十回でも……1年以内には話をつけるつもりでいますので」
「レオナルド様……」
真っ直ぐにサラッと愛していると言われると、どうしようもなく顔が熱くなった所でお父様が咳払いして我に返る。
「分かりました。私、1年でも2年でも待ってます……向こうから手紙書いてもいいですか?」
「勿論です。私も書きます。しばらく離れ離れになりますが……どうか健やかに」
レオナルド様の言葉を受けた後、お父様の後ろに乗ると飛竜が羽を大きく広げて羽ばたかせ、空に浮かび上がる。
手を降って見送るレオナルド卿に対してこちらも姿が見えなくなるまで手を降った。
館に戻ってリビアングラス家の封蝋がされた手紙をお母様に見せた。
驚愕の表情で手紙を読み終えた後お母様は「公爵令息を落とすとは、流石私の娘……!!」とハンカチで目を抑えている。
どんな事が書いてあったのか聞くと、お母様が感情籠もった声で音読してくれた。レオナルド様の想いが込められた内容を聞き終えた頃には顔がすっかり熱くなってしまっていた。
「シスコンの侯爵令息にフラれても心折れる事無く、たった1年で公爵家の跡継ぎにここまで愛されるなんて……貴方は私を超えたわ……ついに私の娘としてではなく、貴方の母として誇るべき時が来たのですね……!!」
お母様にとっては爵位と金が全てでレオナルド様の人となりとか異世界人の事や器の小ささはどうでもいいようだ。微妙な気持ちだけど、良かった。
そんな訳で家に帰ってもお見合い話に追われる事無い、穏やかな日々が始まった。
ただ、レオナルド様の便りを待つのはもったいないので魔道具の改良免許を取る為の勉強をしたり、この魔道具にはこんな改良が出来たら……と学院を卒業したのにも関わらず魔導工学の勉強を続けている。
テュッテやネイの便りを見ていると彼女達も忙しいながらも良い日々を過ごせているようだ。
そんなある日、フレデリック様に託した映石が手紙と共に返ってきた。
映石には何の魔力も込められていない。果たしてフレデリック様は映石を見てどう思ったのか――ドキドキしながら封を開く。
<マリー、僕にこの映石を託してくれてありがとう。フローラの事は本当に済まなかった。僕が謝っても許されない事なのは分かっている。それでも僕は君に謝りたい。僕の妹が君に辛い思いをさせてしまった事を兄として、また君の元婚約者として侘びたい。
フローラはアクアオーラの群生諸島の1つの島の長に嫁いでいった。年が大分離れているから心配していたんだが、会うなりまるで素直になれない恋する少女のようになってしまってね。フローラがいなくなって寂しいけれど、それだけ僕もフローラに依存していたのだなと思い知らされたよ。そういった面も君を傷つけていたのだと思うと、やはり僕はどうしようもない男だったなと思う。一人になってそれがようやく分かった。心もずっと楽になってまるで闇が晴れたようだ。しばらくこのまま一人で色々考えてみようと思う。
君の映石の事は誰にも言っていないから安心して欲しい。これ以上僕が原因で君の幸せが阻害される事があったら、それこそ僕は君にとってどうしようもない男で終わってしまう。
最後の一年こそ残念な事になってしまったけれど、それまで君と過ごせた日々はとても楽しかったし幸せだった。僕も君の事が大好きだったよ、ソルフェリノ嬢。君の幸せを心から願っている。
追伸――公爵夫人の道はきっと良い事ばかりではないだろう。もし何か辛い事があって周りに頼れない時は僕を頼ってほしい。君にしでかしてしまった罪を少しでも償わせて欲しい>
優しい筆跡は所々で微かに震えている。
(フレデリック様にフローラ様の事を伝えたら、より苦しめてしまうんじゃないかと不安だったけど……)
それでも伝えない訳にはいかなかった。そして、伝えた事で良い方向に動いているようだ。
あんなに私を脅かしてきたフローラ様が半年も経たずにしっかり幸せを掴んでるのはちょっと納得いかない気持ちもあるけれど――凄惨な罰が下る事を望んでいた訳じゃない。
恨み辛み募らせられるより、幸せでいてくれた方が気が楽なのも確かだ。
フレデリック様の手紙を読む限りでは何かしらの呪いをかけて無理矢理嫁がせた――とかそういう話でもなさそうだし。
(でも……フローラ様、フレデリック様に対して男女の想いを持っているように感じたんだけど……フレデリック様以上に好きな人ができたらそんな物なのかしら……)
あるいはここに書いてないだけで、フレデリック様がちゃんとフローラ様に対して親愛の情しか持っていない事を伝え、傷心のフローラ様が頼りがいのある大人の男性に惹かれて――という流れなのかも知れない。
色々思う所はあるけれど、あれこれ詮索するのも意地が悪い気がした。彼女が幸せなら何を気にする必要もない。
これからの私の道も、フレデリック様の道も、私達に関わる人達の道も――もう彼女に脅かされる事はないのだから。
そう――もう誰も、彼女の影に怯えなくていい。
それならもう、恨みも憎みも恐れもしない。それが私の彼女に対する餞。
「マリー……!! 大変だ、大変だ……!!」
心の中で一区切り付けた後、お父様が顔面蒼白で部屋に駆け込んできた。
「お、お父様、どうしたの……?」
只事ならない雰囲気に思わず椅子から立ち上がると、お父様に手を掴まれて部屋から引っ張られる。
「窓……窓を見ろ、り、り、リビアングラス公が……!!」
お父様が廊下の窓を指差す。家の門の方に何故だか人だかりができている。その理由はすぐに理解できた。
門の前に頭に黄金の角を背中に輝かしい光の翼を生やす、明らかに普通の馬じゃない大馬が立っている。
そしてその大馬の隣に、お父様と同じ位の年だろうか? 物凄い威厳に満ちた、黄金の甲冑を身に纏ったまさに将軍という言葉がふさわしい男性が立っている。
そしてリビアングラス公、という言葉を合わせると――
(どう考えてもあの方、レオナルド様のお父様だわ……!)
神と唄われる公爵が、色神を連れて、我が家の門の前にいる。
周囲にレオナルド様はいない。来るなら前もって連絡してくるはずだ。
それも無いという事はリビアングラス公が独断でここに来たという事で――絶対に好意的じゃない。
それを裏付けるように遠目から見える表情は――厳しい。明らかに一言物申しに来てる雰囲気だ。
門の前に慌てて駆けつける我が家の執事が公爵に近づくなり威圧されて恐縮してるのが分かる。
レオナルド様との恋路は前途多難だと思ったけど――いきなりデカすぎる難が来た。
「あら、向こうのお父さん、割といい男……でも乗り気じゃないみたいね……」
いつの間にかお母様も窓眺めの一員に加わっている。
私よりも濃いピンク色の長髪と目を持つお母様はけして下品ではないのに色っぽさをムンムンに漂わせている。
「ロ、ローズ……あの方は公爵だぞ!! 敬語を使いなさい……!!」
『いい男』という言葉に反応してない辺り、お父様のパニック具合が伺い知れる。
「だまらっしゃい!! マリー……怯んだら負けです。いくら天下の公爵家と言えど、父親の反対程度で及び腰になっていたらナメられます! 噛み付く必要はないけれど怖気づく必要もありません、堂々としていなさい!」
お母様の強固かつ温かい言葉に励まされる。
元々平民で荒くれ者が集う酒場で踊り子をしていたお母様の強靭なメンタルが今は何より心強い。
そう、及び腰になっていたらナメられる――言葉は悪いけれど実際そのとおりだ。及び腰になったって良い事なんて1つもない。
地位も力も関係なく、ちゃんと真っ直ぐ向き合う事が大事。
怖いからって近寄らないのも、怯えていてもいけないのは他の誰でもないあの方のご子息――レオナルド様が教えてくれた事。
――絶対に、負けない。私の恋はもう誰にも邪魔させない。
心の中にいる愛しい人の強さを胸に、館の中に入ってきた厳しい表情のリビアングラス公を笑顔で出迎えた。
本話にて本編終了です。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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また本作に登場したレオナルドとリチャードは3年後にこの世界に召喚された異世界人が主人公の「銀色の渡り鳥~異世界に召喚されたけど価値観が合わないので帰りたい~」にも登場しています(☆☆☆☆☆の下にシリーズへのリンクがあります)。
マリアライト女侯爵の物語「選ばれなかった紫色の侯爵令嬢~歪んだ心はきっと死ぬまで戻らない~ 」も完結済みです。興味を持った方は読んで頂けたら嬉しいです。




