第63話 神が魔法を使う時(※フローラ視点)
中等部の卒業パーティーから早々に退出し、ドレスからワンピースに着替えて寮の入り口で兄様を待つ。やはり兄様は一番に帰ってきた。
「フローラ……中等部の卒業パーティーはまだ続いてるだろう?」
校舎に灯る華やかな明かりを横目に兄様が呟く。
「いいのです。最低限の挨拶は済ませましたし……それに何だか、居場所がなくて……」
教師の私を見る目が冷たいせいか、周囲の人達の目も何となく皆ぎこちない感じがする。
私のお友達ももうすぐ卒業だから、とあちらこちらに媚を売って私の傍に常にいる事はなくなった。
何の噂も聞こえてこない。何か言われた訳でもない。冷たい視線を感じた訳でもない――ただ、空気が私を省こうとしているのを感じた。
「……そうか。僕からも大分人が遠ざかってしまった。だがそれを今更どうこう言ったって仕方がない……明日は早いからもう休もう」
兄様は微笑んでそう言うと私の横を通り過ぎていった。寂しそうな顔ではあったけれど微笑んでくれた事で心が少し落ち着いた。
翌日、早々にマリアライト領に向けて出発し、2日かけて館に着く。出迎えてくれたお母様と少し話した後、自分の部屋に戻る。
ようやく心休まる一時を得られる――と思ったのに、その平和はもろくも崩れ去った。
ノックも無しに開かれたドアに思わず身構えると、お父様が慌ただしく私の両肩を掴む。
「フローラ、逃げなさい……!」
「お父様……!?」
「窓からでもいい、このままじゃ、お前も……!!」
お父様の異常な様子に只事ではない事を悟り、窓の鍵を開けようと駆け寄った所で体が硬直してしまう。
「フローラ……何をしようとしているのかしら?」
綺麗な声色が室内に響き渡る。恐る恐る振り返ると、穏やかな笑顔のお母様がそこにいた。だけど、全く目は笑っていなかった。
「あら、フレン……貴方何故こんな所にいるのかしら? フローラの部屋には入らないでねってフローラが産まれた時に約束したでしょう?」
「……す、すまない……」
私を見据えるお母様の視線はすぐ様お父様の方に向けられ、お父様は完全に硬直し、震える声で謝罪する。
「嫌ぁねぇ……もしかして私の邪魔をしようとしていたの……この際だから貴方も術をかけ直してもらうようにお願いしましょうか?」
「い、いや、私はいい、私は大丈夫だ……だから……」
最後は消え入りそうな声になって聞こえなかった。足元まで震えている。お父様の本当に尋常じゃない状況に身がすくむ内に、お母様は改めて私を見据えた。
「ねえフローラ……私言ったわよねぇ? 庇えるのもここまでだって」
「な、何のことでしょう? 私、あれからは何も――」
私の言葉を遮るようにお母様は右手を上げる。人差し指と薬指の間に銀色の封蝋が剥がれた封書が挟まっていた。
「数日前に学院から手紙が届いたのよ。禁術を使ってまで人を貶める可能性がある貴方を高等部に進学させる事は出来ないと」
「ど、どうして……!?」
兄様が誰かに言うはずがないのに、誰が――
「本当に……中等部卒業まで粘ってくれたアザリアには感謝しないと。マリアライト家の娘が学院を退学するなんて恥ですもの」
お母様の笑顔は嘲笑に変わって長いため息がつかれる。ああ、お母様は全てを知ってる――
「お、お許しください……お母様!」
「許してほしければこれをお付けなさい」
その投げ捨てられた2つの銀色の腕輪が何かしらの呪いが込められた呪具なのは明らかだ。それも魔力を感じない――命術の呪いが。
「大丈夫よ、死ぬとか苦痛を感じるような凶悪な物ではないから。私が今まで嘘をついた事があった?」
いつか許してもらえる。いざとなれば命術で解けばいい――それまでの辛抱だ。そう思って身につけるとすぐに違和感を覚えた。
何の呪いかはすぐ分かった。全能力低下――魔力も身体能力も著しく落とし込む術。そして、その効力の強さに血の気が引いていく。
ドレスがひたすら重く感じる。もう逃げる為の術はおろか魔弾1つ作れそうにない。
「命術って便利でしょう? 貴方より魔力の器が小さい私でも生贄さえ用意すればずっと強力な呪術が使えるんだもの」
「……これはいつ外してもらえるのですか?」
「これ以上私を失望させる事を言わないでフローラ……合計100年分の生命力を使ったから貴方が生きている間外れる事はないわ。命術と言えど起動させる時は魔力が必要だから貴方はもう二度と魔術も命術も使えず、それを外せる事は一生無いの。ああ……切断して外してしまえば、なんて馬鹿な考えはおよしなさいね? マリアライト家の長が扱う呪いは一度かかったら切断や転呪ごときで解除できるような優しい物じゃないのよ……貴方の手が無駄に切断されるのは悲しいわ」
優しく諭してくるお母様の目から狂気を感じる。
「に、兄様……!」
兄様に助けを求めようとドアに向けて駆け出すと、母様に背中を軽く引っ張られる。それだけでもう、私は動けなくなる。
「フレディは来ないわ。あの子にこれからする事を知られると都合が悪いから、ちょっと外出してもらったの。もうこの館にはいないからどれだけ叫んでもあの子は来ないし、皆にも絶対に入って来るなと伝えてあるわ」
逃げられない――ガクリと項垂れてその場に膝をつく。これから何をされるかの不安で心がいっぱいになっていく。
叫んでもお母様は聞いてくれない。私がいくら叫んでも聞いてくれるお母様じゃない。
「ねぇフローラ……何で私が貴方のイジメを無い事にしたか分かる? 貴方は私によく似ている。やられたら陰湿にやり返せる貴方が大人しくイジメになんかあうはずがないのよ。フレディの前でそう言って兄妹仲を悪くするのもどうかと思って言わなかったけどね」
最初から――見抜かれていた。その上で、合わせられていた。お母様に。
「そして貴方のその物事を冷静に考えられずに一方的に愛を向ける姿は、私を馬鹿にする眼差しは本当この人によく似ているわ……そしてマリーさんが襲われたらと軽く挑発してみれば即実行する凶悪かつ浅い思慮……このマリアライト家にそんな人間はいらないのよねぇ……どこで育て方を間違えたのかしら? 血かしら?」
お母様がお父様をチラとみた後、再びこちらに視線を戻す。
「……でもやっぱり貴方は私とフレンの血を分けた可愛い娘だから、酷い目にも合わせたくないの……ねぇフローラ、貴方3年前、アクアオーラ領のパーティーで群生諸島の一人の島長からアプローチを受けていたでしょ?その人からずっと婚姻の申し出が来てるのよ」
その言葉に3年前を思い出す――見目こそ取り繕っていたが下卑た眼差しと卑猥な口説き文句が下賤な印象や不快感を隠しきれていなかった中年の男が頭をよぎる。
確かあの時点で40半ばだと聞いている。当時の私は、12歳だ。
「まさか……自分の年より3倍近く離れている男に嫁げというのですか……!?」
政略結婚はよくある事――自分もいつか嫁がされるのだろうと思っていた。だけど――2倍ならまだしも3倍近く年の離れた相手に嫁がされるなんて非情にも程がある。
だけどお母様は眉こそ潜ませてはいるものの、その口元は緩んでいる。
「だって魔導学院はもう貴方を受け入れてくれないし、今貴方に求婚してくる男もいないもの……熱い求愛を続ける彼に折れて学業を中断して嫁いだ、という流れが一番スマートなのよ。勿論貴方は私の可愛い娘……くれぐれも丁重に扱うようには伝えたわ。島と言えど数年前からアクアオーラ家は島の発展に力入れてるみたいだし、群島諸島の海はとても綺麗よ? ここと比べなければ程々に良い生活が出来ると思うわ。酷い目にあっていないか年に一度位は様子を見に行くから安心しなさいな」
「お……お母様、それはあまりに……!!」
思わずお母様の服の袖を掴むと、お母様は静かにそれを払った。
「……私もここまでしたくはなかったけれど、仕方ないでしょう? せめて貴方に想いを寄せるような人間がこの群生諸島の長以外にいたならそっちに行かせたわよ。でも貴方、学院ではフレディにベッタリでそういう努力はしてこなかったようだし、領主として命令を聞かない民に対して罰を下さなくてはならないし……親としても子の幸せを阻害するような子は隔離しなければならないのよ」
「お母様……!!」
「大丈夫よ、貴方もちゃんと幸せになれるようにしてあげるから……ああ、そう言えば貴方、あの魔法を自分でも使いたいと言っていたわね。いい機会だからその身で受けて学んでみせなさいな。貴方は頭が良いから出来るかも知れないわね?」
「あああ……!!」
お母様の言葉にお父様が頭を抱えて座りこんで悲痛な声を上げた。
「あらフレン……まだあの方が怖いの? 可哀相に……さあ、こっちに来て。これからの光景は貴方にとっては辛いでしょうから。見なくていいのよ」
お母様が震えるお父様を支えて、部屋を出ていく。
今のうちに、逃げないと――お父様の言う通り、逃げないと。だけど、動けない。体が――動かない。
数分も経たずにお母様は一人の紳士を連れて戻ってくる。お父様は、いない。
その紳士には何度もお会いした事がある。青色を基調にした礼服を纏う、薄水色の髪にアイスブルーの瞳の紳士――我らマリアライト家が仕える、青の公爵――
清潔感と気品に溢れる青の公爵は自身の肩に紺碧の蛇を這わせて部屋に入ってくるなり、私の前に膝を付いて微笑んだ――いえ、このお方はいつどんな時だって微笑んでいる。
40代半ばのあの下卑た男より、50代のこのお方に嫁がされる方がまだずっといいのに、どうして、お母様、どうして――
頭が逃げろと警告を鳴らしているのにもう体が一切言う事を聞かない。
「大丈夫です、痛い物ではありません。ただ……大分気持ち悪い物なのでできるだけ我慢してくださいね。それでは……少々失礼しますね」
動けない私の額に手を当てられる。
「大丈夫……フレンのように、貴方のフレディへの重すぎる感情を別の男にズラすだけ……貴方のような可愛い娘に愛されればきっと気に入ってもらえるわ。安心してねフローラ。貴方はどうしようもない子でも、私とフレンの可愛い娘だもの……どうか長に尽くして長生きしてね」
お母様のいつになく優しい声で残酷な言葉が紡がれて――視界が真っ暗になっていく。
長に尽くして長生きしてね――
嫌だ――3年前のパーティーであの男は言っていた。その島では夫婦の片方が亡くなった時、天でも2人添い遂げられるようにと伴侶も共に死ぬのだと。自分も貴方とそうなりたいと、狂気に満ちた口説き文句を吐いていた。
(40代半ばの男が、12の女にそう言ったのよ……? 信じられないでしょう……!? お母様だってその時、聞いていたでしょう……!?)
暗闇の中、宙に浮かぶ感覚を覚える中で必死に全身を動かすと真下に光を感じた。
下を見下ろすとぼんやりと白く光る球体が見える。両手で抱えれば収まる位のその球体の間に青の公爵が立ち、その傍を紺碧の大蛇が寄り添っている。
公爵の手がその光に触れると、何とも言えない嫌悪感が私の心を襲う。
(ああ、もしかして、あの白い光は……!!)
『――フローラ……あの魔法は人の欲望だけで使ってはいけないものなの。神様がこの世の安寧の為に必要と判断した時だけに使われる、とてもありがたくて神聖な魔法なのよ?――』
嫌な予感はお母様の言葉を思い出して確信へと変わっていく。
神様――そうだ、今の公爵達は皆神の二つ名を持っている。青の呪神と呼ばれているこの方をお母様はまさに神と崇拝し、心酔している。
駄目、これは――
『やめてください!! どうか、慈悲を……!! 私、大人しく嫁ぎます、もう二度と命術なんか使ったりしません、逆らいませんから……!!』
心の底から青の公爵の手を強く拒むと、白い球体から触手のような形の光が現れて青の公爵を襲う。だけど青い防御壁に守られたあの方は一切動じずに更に白い球体に自らの手を浸していく。
『これは慈悲ですよマリアライト嬢……政略結婚と言えど嫁ぐのなら相手に好意を抱いた方がいいでしょう? 年の離れた相手に嫁ぐなら、なおさらです。本能的な嫌悪感に負けない愛を持たないと幸せにはなれません。』
紺碧の大蛇を従えた青の公爵が私の懇願や抵抗に微塵も表情を変えずに微笑みをたたえたまま私の方を見上げる。
『貴女の嫌悪感が強ければ強い程、貴方の理性は相手を拒む……ですが嫌だ嫌だと叫ぶ人間の体が自分を欲して求めて焦がれてくる――そういうのが好きな人間は多いみたいですよ? そして貴方も段々貴方の父君のように心すら抗えなくなっていく……大丈夫、効果は生涯続きますよ。これはそういう魔法ですから。』
お父様が? あの切なくお母様を見つめて愛の言葉を囁くお父様が、そうだというの? お父様の愛は、植え付けられたものだと、私が――あの下卑た中年に対して同じ物を植え付けられるというの? 生涯――一生?
(嫌……嫌、嫌、嫌、嫌よ!!)
あんな男を想いたくない! 穢れたくない……!! 私は、私は兄様の事が……!!
『どうして、せめて、兄様への想いを消すだけでいいじゃない……!! どうして、こんな、酷い……!!』
私の叫びに公爵は何も応えずにただ笑みを称えて私の心を捻じ曲げていく。心に、脳に触れられるような感覚が、酷く気持ち悪い。感情の何かが弄られ、作り変えられていく感覚が生々しく感じ取れる。
こんな事される位なら、いっそ殺して。兄様への想いを抱えたまま、死なせて。
兄様に対する想いが薄れていくのを感じる。変わりにあの下卑た中年の眼差しが頭を過り、体を侵食していく。
気持ち悪い、嫌だ、気持ち悪い――
これは明らかに人が使える魔法じゃない。人外――まさに神だけが使う事を許される、人の感情を無理矢理操作する、どんな呪いより凶悪で残酷な魔法――
嫌だ。嫌だ。消さないで、私と兄様の大切な想い出を何でもないものにしないで、もう誰にも意地悪しないから。良い子にするから、だから、私の想いを壊さないで――
どうして、どうせなら、私の理性も感情も全てを潰してくれれば――何もわからない人形にしてくれればいいのに、どうして――
助けて、たすけて、兄様――フレディ、フレディ兄様――
ああ、フレディにいさま、私は――貴方を、愛して、いた――のに、
どうして たすけて どうし――
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