第61話 闇に囚われた一年・2(※フレデリック視点)
婚約リボンの話をフローラは友人達も話していたらしく、また噂がチラホラ聞こえてくるようになった。
フローラにマリーの事は早く忘れるようにと伝えてみたけれど『ごめんなさい』と謝るばかりで。
僕は謝ってほしいのではなく、早く辛かった事を忘れてほしいだけなのに。
それ程までに酷いイジメにあっていたのだろうか?分からない。マリーからはそんな素振りを感じた事は一度もない。だがフローラが僕に嘘を付くとも思えない。
前期休みも近くなり、いい加減マリーに婚約解消について言わなければ、と勇気を出して魔導工学科に行ってみると婚約リボンを失くしたと謝られた。
「関わらないでくれと仰るから返して良いのかどうか悩む内にすっかり忘れてしまってて……! 本当にごめんなさい!」
確かに関わらないようにしようと言ったのは僕だ。だが――婚約リボンをすっかり忘れていたという言葉が僕の心に突き刺さった。
どうして? リボンの話じゃないのに! もう僕の事はどうでもいいのか? あらゆる念が頭の中でぐるぐる巡って、言葉を上手く出せないでいるうちにコッパー卿が近寄ってきて、マリーに気安く話しかける。
「僕達の事は本当に気にしないでください。僕もレオナルド様も悪評には慣れていますし、狡い言い方ですが目に余る噂が広がれば表立って戦う事も暗に握り潰す事もできる力を持っています。そういう力がありながら友人が悪評に怯えて傷つき困ってるのをただ放置する人間にはなりたくないんです」
リビアングラス卿の腰巾着の言葉は、マリーを励ましている体で僕に苦言を呈しているかのように聞こえた。
『どうにでもできる力を持ちながらイジメの噂を放置し、怯え困っている元婚約者をただ放置している僕のようにはなりたくない』と――そう言っているように聞こえた。
僕と違って存在感もなければ跡継ぎでもない、ただ同じ『侯爵家』の人間というだけの凡人にマリーが自身の胸の内を明かす姿がショックだった。
その場を立ち去っても尚、苛立ちとショックが収まらない。しかもこんな日に限って放課後に生徒会の前期報告がある。
今の高等部最高学年の公侯爵家は僕とリビアングラス卿とコッパー卿だけ。酷く憂鬱な気分で生徒会に出れば、リビアングラス卿が突然『クラスメイトの婚約リボンが無くなったので調査したい』と言い出す。
止める間もなく魔力回復促進薬を2本煽って放った強い魔力探知を終えた後、リビアングラス卿がフローラが抱えていたポーチを掴んで引き剥がした。
それを止めようとするも普段の彼からは信じられないような魔力の勢いに阻害される。
この、薬に頼らないと何も出来ない男が――と思った時にリビアングラス卿がフローラのポーチから婚約リボンを取り出した時は一瞬頭が真っ白になった。
拾ったのだと言うフローラの言い訳が苦しい。だけどその後現れたマリーが『見つけたと思ったら風で飛んでいってしまったのだ』と叫んだ事で辻褄が合ってしまった。
一旦フローラの疑惑が払拭された時点でリビアングラス卿に警告した後、生徒会室を飛び出す。もうあんな場所にいたくなかった。
歩いていく内にリビアングラス卿への怒りがこみ上げてくる自分と、マリーの態度を思い返して冷静になっていく自分がいた。
本当にマリーがフローラをイジメていた――嫌っていたのなら、そんな事言わない。わざわざフローラを庇ったりはしないだろう。
それに僕だってただただマリーを好きだった訳じゃない。彼女が嘘を言っている事が分かった。彼女は嘘をつく時、微妙に口元が引き攣るから。
嘘をついてでもフローラを庇おうしとしたマリーが、イジメなんてするだろうか?
この状況で明らかにおかしな事を言っているのはフローラだ。そう思って問いかけると
「……ごめんなさい、兄様、私……」
涙ぐみながらそう言うフローラをこれ以上責められなかった。
きっと本当に婚約リボンを悪用される事を恐れていたのだろう。
マリーがそのつもりはなくても、フローラがそう受け取ってしまっていた可能性はある。そうだ、きっとマリーの態度をフローラが悪い方に誤解してしまったのだろう。
だけどもう、どうしようもなかった。こんな状況になったのはリビアングラス卿のせいだ。何でこんな――誰にとっても得にならない事をするのか。フローラのポーチを確認したかったのならもっとやり方があっただろうに。
フローラが悪事を働く人間だと思い込んでいる態度にイライラが収まらず、学院長に報告した。
その時から僕の心が(これで本当に良かったのか?)と常に問いかけてくる。結局マリーとまともに話が出来ないまま前期休みに入り、母上から辛辣に責められ、結局母上の手によってマリーとの婚約は禍根無く解消された。
「……フレディ、何もしなければ事態は悪化するばかりよ? 貴方はそれでいいの?」
母上がピリピリとしたオーラを出しながら言った言葉に対して、僕は何も言えなかった。
僕の元気がないから、と御守りを作ってくれたフローラの優しさに少しだけ救われた。
このまま家族に心配かけ続けるのも良くない、乗り越えなければならない――そう思っていた時にマリーがとても大切にしていたイヤリングが別の女性の耳を飾っている事に気づいた。
『マリー、そのイヤリングとてもお気に入りなんだね。良く似合っているよ。実は最初に声をかけたのは桃色の髪にそのイヤリングがとても映えて綺麗だと思ったからなんだ。』
そう言うとマリーは顔をほんのり紅色に染めて笑い、
『フレデリック様の色と似てるから、お小遣いはたいて買ったんです! でも、それで声をかけてくれたんですね……! このイヤリング……私、一生大切にしなくちゃ……!!』
満面の笑みを浮かべてそう言ってくれたイヤリングが今、別の女性の耳を飾っている。僕の心が崩れ落ちていく中で、理性がその理由を問いかけずにはいられなかった。
「スピネル嬢……そのイヤリングは?」
「マリーから買ったんです~」
「マリーから……買った?」
もらった、ならまだ分かる。しかし友人同士で買ったという言い方に違和感を覚える。
「どうして……マリーはそれを一生大切にするって言っていたのに……」
「どうしても何も、マリー、学科編入する為のお金に困ってたし~……自分で買った物を売ってお金に戻すのはおかしい事じゃありませんよね~?」
きょとんとした顔で尋ね返される。
「お金に、困ってた……?」
「魔導工学科は工具セットを自腹で買わなきゃいけないそうなんです~この学科よりも授業料も高かったりで、マリー、イジメの噂でここに居づらくなって、親にその事言えなくて髪を切ったり私物を売ったりバイトしたりしてたんです~。でも、バイトも男子生徒に襲われちゃって辞めちゃって~……」
「ま、待ってくれ、襲われた……!? それは一体どういう事だ!? 何故、マリーは……」
そこで教師が入ってきて席に着くように促される。
(お金の為に髪を切った? あのイヤリングを売った? ……襲われた?)
午前の筆記は頭が真っ白で、かろうじて解答欄を埋める事はできたもののそれが合っている自信はなかった。だけど今、そんな事はどうでも良かった。
「スピネル嬢、教えてくれ……マリーに何があったんだ?」
昼休憩で改めてスピネル嬢に尋ねると本当に意外そうに問い返される。
「え、あ~……襲われた時はレオナルド様に助けられたらしいので大丈夫ですよ~? マリーは今やっと幸せになろうとしているんですから、もうそっとしておいてください~」
「そんな……僕は、そこまで彼女が追い詰められてた事を知らなかった」
何故彼女がバイトしていたのか――少し考えれば気付ける事だったからm今吐いた言葉は言い訳かもしれない。スピネル嬢はちょっと困ったように首を傾げる。
「……知らなかったって、少しでも気にかけてあげればすぐ気付ける事なのに~……マリーはずっとフレデリック様の事を気にかけてましたよ~?」
「だけど、彼女はフローラを虐めて……!」
「マリーはフローラ様を虐めてなんかいません~」
「どうしてそう言える……!? 自分の大切な兄妹が泣いて訴えているのに……!!」
「逆に聞きますけど~……どうしてフレデリック様はフローラ様が泣いて訴えるからってマリーを信じないんですか~? どうしてマリーの話を聞こうとしなかったんです~?」
「それは……」
返す言葉もない内にまた教師がやってきて、午後のテストが始まる。
僕は見たくなかったんだ。マリーとフローラの醜い部分を。2人が言い争う醜い所を見たくなかった。
マリーとの想い出を穢したくなかった。あの時、フローラを見たマリーの目。あれ以上、マリーの醜い部分を見たくなかったんだ。
葛藤している時間が過ぎて、最後の科目の解答欄は半分も埋められなかった。その結果――僕は初めて中クラスに落ちてしまった。
自分のプライドが傷付いている感覚はあった。周りの心配する声が煩わしかった。
フローラを疑えばフローラの醜い部分を、マリーを疑えばマリーの醜い部分を見る事になる。そんな物を見る位ならもう何にも関わらずに卒業したいと思った。
そんな中、合同課外実習で何の因果かマリーと一緒の班になってしまった。ボルドー先生が気を利かせてくれたが断った。
ただでさえ中クラスに落ちているのにこの上『元婚約者がいるから』とグループを移動するような恥をかきたくなかった。
当然の事ながら半年前に比べて僕とマリーの距離はずっと離れている。
半年前までは楽しく話せていたのに今や話しかける事すら躊躇し、発さなければならない言葉も本当に口に出して良いのかと一句一句確認してから紡ぎ出す。
自分でもぎこちない態度だと分かった。それは――向こうも同じだった。
それでも、彼女が困っている姿を見ていると手を差し伸べたくなるのは変わっていなかった。
レンズ石を探す彼女に少しでも喜んでもらえれば、と思い残りの道も通ってみようと提案する。マリーからお礼を言われた事で少しだけ心が軽くなった気がした。
だが、僕の提案は余計な事だったのかも知れない。
寄った道でアニイラシオンの群生地を見つけ、マリーが浮力術で向こうに渡って花を何輪も取っていく姿に血の気が引いた。
魔力の器が小さい人間の場合1輪抜くのにも躊躇するそれをそれだけ抜いてしまったら、僕やマリーのような器に恵まれた人間でも魔力が尽きてしまう。
案の定、マリーは途中で魔力が尽き――咄嗟に手を伸ばしたその時、フローラからもらった御守から酷く凶悪な念を感じると、それはマリーの方に移っていくのを感じた。
そして手が振り払われてマリーが崖下へと落ちていく。
僕もすぐに崖を降りてマリーの様子を確認する。マリー以外の魔力は感じない。ただ、右手に数字が浮かんでいる。自分の魔力も少しずつ減っていくのを感じて直様アニイラシオンの詰まった鞄を氷の矢でテュッテ嬢達の方へ飛ばし、人払いをする。
命術には命術で対応するしか無い。辺りに動物がいないか確認したが僕達が崖から降りてきたせいか周囲は静まり返り、川が流れる音しか聞こえてこない。
(動物が無理なら……)
残りの魔力で川の魚を3匹程浮かばせて、その生命力を担保に命術を構成するが、呪術解除に必要な生命力にはほど遠かった。
(フローラ……どれだけの生命を使ってこれを構成したんだ……!?)
呪術解除に使う魔力や生命力はその呪術の強さで比例していく。
これだけ強力な術を解除しようとすると魚の命に加えて僕の命まで完全に尽きてしまう。呪術吸引ならまだ4分の1……僕が今まで生きた位と同程度の寿命を削れば――
悩んでいる間にマリーの手に浮かぶ数字が2へと変わる。時間がない。
(賭けだな……)
これだけ強力な呪いだ。放っておけばマリーはまず無事では済まない。
マリアライト家の呪術は正しき者の為に。自分が信じる神の為に使われるべきもの。けして私利私欲の為に使ってはいけないものだと母上は言っていた。
フローラがマリーにこの術を仕掛けたのは絶対に正しくない。神の為でもない。
マリアライトの呪術が間違った事に使われたなら、マリアライトを継ぐ者として僕は責任を取らなければいけない。
そういう建前もあったけれど――マリーが助かるのなら、フローラの罪を隠せるのなら後は自分が助かる可能性に賭けるしかなかった。
助かる可能性なんて、何一つ思いつかなかったのに。
吸引した呪いは焼き付くような痛みで僕の意識を奪おうとしてくる。
もう魔力も殆ど残っていない。左手を冷たい川に浸してひたすら痛みに耐える。意識がある間は呪いは進行しない。
マリーが何か言ってきたけれど、何を返したのかも分からないまま、僕の意識は痛みに奪われるように遠ざかっていった。
どれくらい意識を保っていられたのか記憶がない。
気づけば――僕は大馬車の中で目を覚ました。
「……おお、目を覚ましたか」
僕の顔を覗き込んでいたらしいボルドー先生が肩の力を抜く。
「ボルドー先生……僕は一体……」
「覚えてないのか?呪具の暴発で呪いがかかった所をリビアングラス卿の神器の力で助けられたんだと」
「呪具の……暴発?」
ああ、そう言えばマリーに咄嗟にそう言った気がする。
「そうですか……ああ……そうです。思い出しました。僕の呪具が暴発したんです……」
黄の大剣――リビアングラス家に伝わる、闇すら切り裂く破邪の剣。確かに神がもたらした神器なら命術だって容易く切れるかもしれない。
あのいちいちこちらの気持ちも立場も状況も構わずにズバズバ正論をぶつけてくる男に助けられた事に内心舌打ちする。
「マリアライト卿……本当に呪具の暴発なのか?呪いに関してはこの学院の誰より精通しているだろう君が暴発させるとは思い難いのだが……」
「お恥ずかしい話ですが、僕だって人間ですから。得意な事でも失敗する事はあります……」
そう言うと、ボルドー先生は小さく肩をすくめた。
「……そうか。その慢心がリビアングラス卿に相当な負担をかけた事だけは覚えておけよ。魔力回復促進薬を一度に3本も飲めば流石に寿命に影響してくるからな」
寿命か――僕の20年に比べれば、大した事ないだろうに。
中等部時代、彼には色んな事を注意された。武術大会の時も言い過ぎたかと思った直後に返り討ちにあって恥をかかされた苦々しい想い出もよみがえり、酷く憂鬱な気持ちにさせられる。
フローラのポーチを漁った事で謹慎になって、公爵からも叱責を受けたという話を聞いた時は(自業自得だ、ざまぁみろ)と思った。
――こんな僕を命を賭けてまで助ける理由なんて、彼にも、彼女にもないだろうに。
人として正しいのはどちらか――それを知らしめられた悔しさが、中等部の頃からずっとマリーを見ていた恋敵に彼女を取られる事への悔しさが。助けられた事への悔しさが。
醜いものを見たくないからとこんな状況になるまで何もせずにいた自分への腹ただしさが――あらゆる負の感情が心の中で醜く蠢く中、腕で目を覆っても流れ出る涙を止める事は出来なかった。
 




