第6話 アルマディン領の娘
ボルドー先生から学科変更の提案を受けた後寮に戻り、早々に夕食を済ませ自室に戻ってベッドに横たわる。
(私、フローラ様に予想以上に恨まれてる……?)
婚約破棄を告げられてフレディ様に距離を取られた挙げ句、虐めの噂で完全に孤立しまった私に対して、フローラ様の視線は恐ろしい程の敵意に満ちていた。
普通、気に入らない人間が追い詰められていたら勝ち誇った笑顔だったり、ざまぁと言わんばかりのドヤ顔だったり、あるいは可哀想という哀れみや慈悲の心、懺悔の気持ちが少し位目や表情に現れてもおかしくないものなのに、そういう感じが一切なかった。
あんな目で睨んでくる位だ、中等部から広まっているらしい噂はもうフローラ様が悪意を持って広めてるとみて間違いない。
(でも、どうして……?)
フレディ様と2人の時間が欲しい、と言った事がそんなに気に入らなかったの? もしかして、また私がフレディ様に関わるのではないかと心配しているの? もし、そうだとしたら――
(考えたくないけど……学院から消えてほしいと思われてる?)
でもそれならもっと直接的に私のレターボックスに<消えろ><退学しろ>と紙切れを投函するとかしてきてもいいはず――と考えた所で以前フレディ様のお屋敷、マリアライト邸で彼のお母様であるマリアライト女侯爵――ウィスタリア様ににご挨拶した時の事を思い出した。
何処からともなくハープの綺麗な音色が聞こえる、紫色を基調にした豪華な調度品に彩られた広い応接室でうちの家の使い古されたソファとは全く違う高級感溢れる大きなソファに座った、濃い紫色のキラキラと煌くスパンコールを所々にあしらったスレンダーなドレスに身を包んだとても麗しく美しい女侯爵が私を見るなりフレディ様に告げた言葉は――
『フレディ、マリーさんはアルマディン領の娘です。何が起ころうと、貴方にどんな言い分があろうと、彼女を虐げる事があればコンカシェルが怒るでしょう。アルマディン領の娘と愛を持って婚約したいというのなら生涯マリーさんを裏切る事無く大切にし、一生添い遂げる覚悟が出来ているのでしょうね?』
『はい。僕は例え異世界人と子を成す事があってもこの心は生涯マリーだけを愛して生きていきます』
その言葉にウィスタリア様は満足そうに頷いていた。私本人の性格や資質よりも『アルマディン領の娘』である事を気にしていた姿が印象に残っている。
そしてその言葉は女侯爵の隣に座っていたフローラ様も聞いていた。
アルマディン領――マリアライト領の上隣に位置する、いわばお隣さんの関係。そして私の家、ソルフェリノ子爵家が仕えるアルマディン侯爵家の当主コンカシェル・ディル・フィア・アルマディン女侯爵はとても可愛らしく親しみやすい方で、何より自領の民を慈しみ民が虐げられる事を酷く嫌う人だ。
もし表立ってアルマディン領の娘が虐げられて学院から追い出されたとなれば、確かにコンカシェル様は怒ってくれるかも知れない。
追い出した首謀者がフローラ様だと知れればマリアライト領とアルマディン領の確執となりかねない。
マリアライト家のフローラ様がその事を懸念して直接的な手段を用いてこない、というのも頷ける。ただ――
(コンカシェル様に守られてると思うと、複雑な気分だわ……)
クイーン・コンカシェルとも呼ばれるあの方は容姿にも才にも慈愛にも満ち溢れた方であると同時に『愛する夫が6人』というどう贔屓目に見てもどうなのかなとしか思えないふしだらな性癖の持ち主で、コンカシェル様の人徳を知らない他領の人間にはあの方の特異な性癖のみが伝わり、『愛人侯』という異名と共に『桃色の髪と目=複数の異性を同時に愛せるふしだらな尻軽』というとんでもない悪印象を皇国中に植え付けている。
そんな『ピンク=ふしだら、尻軽』という熱い風評被害で私の背中を撃っているのがコンカシェル様なら、私が直接罵倒されないよう守ってくれているのもコンカシェル様なのだ……と思うと物凄く複雑な気分だ。
(うん、そこを深く考えるのはやめよう)
アルマディン領との外交問題を抜きにしてもフローラ様自身虫一匹殺せないような可憐で儚い容姿と心優しい性格、として慕われている方だから直接的に私を追い詰めて自分のイメージを損なう真似はしたくない、と考えているのかも知れない。
どちらの理由にせよフローラ様が私を『自ら追い詰めるのは都合が悪い』と考えているのだとしたら――だからこうして陰湿に噂を流して追い詰めて、私に自主的に退学の道を選ばせようとしているのだとしたら。
(……流石に、学院まで譲れない)
フレディ様との婚約が破棄されたのはフレディ様が私よりフローラ様を選んだという彼の意志だ。それは私がフローラ様に負けたとも言える。負けたのだから仕方ないと思える。
だけど、私のこれまでの苦労を全てを水に流すような権利はフローラ様にはないはず。
あの方の言いがかりで好きな人から婚約破棄された上に、根も葉もない噂でここまで勉強漬けで頑張ってきた学院生活を退学なんて不名誉で終わらされる筋合いなんてない。このままフローラ様の思い通りになんてさせたくない。
立ち向かえなくても意地でも卒業しなくては。私の学院生活の『全て』を無駄にしないように。絶対に逃げたくない――逃げちゃいけない。
(だけど……このまま魔法学科にいたら何が起きるか分からない。)
フローラ様がこれから先、噂だけで大人しくしているとは限らないのだ。彼女に感化された人間が私に何かしてくる可能性だって否定できない。
ボルドー先生が言っていた『学科変更して距離を取る』というのが最善策なのは間違いないし、友達のテュッテをこれ以上巻き込んだり心配をかけない為にも学科を変えるのはとても有効な手段だと思う。
(ただ……かなりハードル高いんだよなぁ……)
ボルドー先生はハードル高くない、君ならできるって言ってくれたけれど、私は自分の頭に自信がない。
それでも、薬学科、武術科、魔導工学科――その中から選べと言うなら魔導工学科しかない。他の2つだとストレートに編入試験に受かる気もしないし仮に受かっても留年せずに卒業できる気がしない。
(魔導工学……基本は魔法学と同じ魔力や魔法を扱うものだから魔法学科と被っている科目も多い。被ってない科目は魔力を注ぎ込んだだけ、あるいは魔力を注ぎ込んでボタンを押すだけで機能を発揮させる為のプログラミングを学ぶ魔導工学と、金属の加工やボタンの数に応じて魔力の通過先を変更する為の回路を作成する工学…それら2年分の勉強を1節でできるどうか……)
たった2科目、それも基本知識は中等部で学んでいる――だけど魔導工学においてその2つは最重要科目だ。けして簡単とは言えない。それでも他の2つの科よりは苦手意識も殆ど無く、ストレートに編入できる希望が僅かにある。
(魔導工学科への編入試験で落ちても翌日の魔法学科の進級試験では最悪、下クラスに留まる事はできると思うし……)
不安はあるけど、このまま魔法学科に在籍する事の不安の方が大きい。
親に泣きついて助けを求めても退学を勧められるだけだろうし、コンカシェル様に泣きついてマリアライト領とアルマディン領の仲が悪くなるような事になるのも避けたい。私だって貴族のはしくれだ。自分のせいで民が困るような事はしたくない。
泣きつきも駄目、退学も駄目――でも、学科変更は駄目と決まった訳じゃない。
そこに可能性があるのなら、やるだけやってみよう。