第53話 彼女の中での終着点(※フローラ視点)
前期休みが終わる直前、学院に戻る前に託した御守りを兄様は微笑んで受け取ってくれた。
あの女が兄様に触れた瞬間に発動し、意識を奪った末に死に至らしめる呪いを込めた、まさに御守り。
館の近くの森で捕まえた野ウサギや鳥の命を担保に初めて使う命術は、以前館の書庫で見た本通りにすれば簡単に成功したわ。
(お母様、ごめんなさい。本を見ながらでしか術が使えない程私の頭は悪くないの。)
命術を込めた御守は魔力を持たない。入れ物に兄様への祝福を込めて手渡せば誰もその中に人を呪い殺すような呪いが込められてるとは思わない。
でも、別に殺したい訳じゃないの。
だってこの呪いは兄様とあの女が触れさえしなければ発動しないんだもの。
あの女が近寄りさえしなければお互い平和でいられるの。婚約の鎖は解かれたのだからもう好きに兄様以外の男に愛想振りまいてればいいのよ。
私は大切な兄様さえ守れればそれでいいの。後半年、貴方が視界に入るのを我慢してあげる。
兄様が中クラスに落ちてしまっても、ショックを受けていた兄様はもう愛想笑いも浮かべられない程に落ち込んでいても、我慢してあげる。
「マリー……」
学院の廊下の窓の向こうを眺めながら呟かれた言葉が、私の心を刺す。
兄様。もうその女は貴方の傍にいないの。何故まだその女の名前を呼ぶの? 貴方の傍にいるのは――私なのに。
『フレディ兄様』と言うと兄様は優しさを帯びた瞳だけを私に向けて、そっと頭を撫でてくれる。そして見つめ続けられる事もなく、手を離して兄様は再び視線を伏せた。
身を引き裂かれる思いだった。それでも私、我慢したのよ? 兄様とあの女が関わりさえしなければいいって耐えたのよ? いつか兄様の中からいなくなってくれればいいって思って堪えたのに。
なのに――合同課題実習で兄様の呪具が暴発したと聞いた時は冷や汗が出た。
幸い無事に帰ってきた兄様は今にも涙を零しそうな目をしていた。夕食をとった後、寮の誰もいない談話室で防音障壁を張った後、
「フローラ、何故命術でマリーに死の呪いをかけようとした?」
そう言われる事は予想はしていた。兄様が呪具を暴発させるような失態を犯すはずがないから。
「フローラはよく書庫に籠もっていたから命術が使えるのは理解できる。だけど、どうしてマリーを狙った? 彼女とはもう婚約を解消した他人なのに、何故……!」
厳しい表情で紡ぎ出される苦しい言葉に耐えられず、兄様に縋り付きながら謝る。
「兄様……ごめんなさい、私、心配で……ソルフェリノ嬢が兄様に接近しないか心配で……!! だって、ソルフェリノ嬢の所に行ったら兄様は私を嫌うのでしょう!? 彼女の嫌味に耐えられなかった、私を……!!」
それは紛れもない私の本心だった。兄様の心はまだあの女の方を向いている。きっと全てを知れば私に対して冷たい視線を向けるのだろう。
私を庇ってあの女に冷たい視線を向けたように。
「フローラ……何があっても僕はお前を嫌ったりはしない。何をそんなに心配しているんだ? 何でそんなに彼女の事を嫌う? 殺したいとまで思うのは流石に異常だ」
「怖くて……向こうが近づいてくると思ったら、兄様を奪われると思ったら怖くて……!」
あの時私の方向に傾いていたはずの兄様の天秤は揺れている。今、あの女と同等――いやあの女に傾きだしている。
「それはないよ。それはもう、ないんだ……彼女はもう新しい恋をしているから」
新しい恋の話は噂で聞いている。リビアングラス卿に粉をかけているという噂。
兄様に比べて地位が高く力が強いだけの、魔力の器の小さい癖に出しゃばりなお飾り令息。でも――
「兄様とソルフェリノ嬢はあんなに愛し合っておられたではありませんか。兄様が近づけば心揺らされるかも知れないではありませんか。兄様はあんな器の小さい男よりずっと素晴らしい方なのですから。ソルフェリノ嬢がまたいつ兄様の方を向くか……!」
「だから、僕はもうソルフェリノ嬢に近づかないと言っているだろう?」
「いいえ……兄様はソルフェリノ嬢が近づいたら絶対に応えます。だって兄様はまだ、ソルフェリノ嬢の事を……!」
「フローラ……!!」
兄様の諌める声と悲痛な表情が悲しくて、それ以上言葉を紡ぎ出せずに自室に戻った。女子寮に戻る途中、兄様は引き止めてはくれなかった。
合同課外実習で一体何があったの? 命術が発動したという事は兄様にあの女が『触れた』という事。
どういう状況でそうなったのかを把握したくて、兄様の御学友でありあの女とも接点のあるテュッテ嬢を尋ねる。そして詳細を聞こうとした時にボルドー先生が今まで見た事ない位に厳しい視線を向けてきた。
『マリアライト卿が嘘をついてなければ君は今頃学院にはいなかったな』
その言葉に血の気が引く。
何故――何故見抜かれたのだろう? 命術は魔力では感知できないはずなのに。ああそれより何より、この事がお母様に知られたら――
悪寒がする。すぐにその場から立ち去って、体調不良だと伝えて早退した。心なしか担任の先生の目も冷たいように感じた。
寮に戻り食堂で昼食を依頼する。そして昼食の時間にやってきたお兄様に縋った。
「私が命術を使った事を先生達は感づいているようなのです。深い罪を犯した私を学院は退学させようとしてくるのではないでしょうか? 私、どうしたら……」
これまでそこそこ楽しんではいたけれど、あの女さえいなければもっと楽しめただろう学院生活が終わってしまうかも知れない事に自然と涙が溢れる。そんな私の背中を兄様は優しく撫でてくれる。
「……大丈夫だ、フローラ。僕が何も言わなければ証拠にはならない。大丈夫だからもう泣かないでくれ。僕を……これ以上困らせないでくれ」
少し厳しい声――それでも兄様の目は優しさに潤んでいた。
もう大人しくしていよう。これ以上兄様を傷つけたくない。
私も悪かったのだ。ちょっとやり過ぎてしまった結果私も兄様を傷つけてしまった。
あの女の事はとても憎くて消えてほしいけれど――これ以上兄様を困らせたくない。もう諦めよう。
ああ、悔しい、悔しい――だけどもう終わりにして兄様との時間を大切にしよう。
学院を卒業した後の私達の人生に、もうあの女はいないのだから。
 




